目次

  1. 都内で働く「とある女」の物語
    1. 朝6:30、起床
    2. 7:15、夫と息子、起床
    3. 8:30、出社
    4. 10:00、取引先が来社
    5. 昼12:30、待ちに待ったお昼の時間
    6. 15:00、月に一度の全社MTG
    7. 17:00、プレゼンをしにクライアント先へ
    8. いよいよ取引先へ
  2. 最後に

令和に生きるビジネスパーソンのみなさんと、スキルやノウハウといった“前に進むための知恵”ではなく、倫理や文化といった“立ち止まり見直すためのきっかけ”あるいは“豊かさを考えるためのきっかけ”を共有したい。

そんな一見ビジネスパーソン向けらしからぬこの連載。

今回は、ビジネスメディアではなかなかないであろう短編小説という形に挑戦してみました。

このストーリーを通じて、女性のリアルを、ほんの一部でもお届けできたら嬉(うれ)しいです。

隣で夫は……いびきをかきながらまだ寝ている。

「……昨日残業で私の方が帰り遅かったのに」

3人分の朝ごはんを作りながら、息子の弁当を詰めていく。昨日の晩御飯で多めに作っておいた卵焼きに、いんげんの胡麻和え、ミニトマトに冷凍食品の肉団子。

あとなんかあったっけな、ちょうど良いおかず……と冷蔵庫を見回し、スーパーで買ったキャンディチーズを弁当箱の余白にねじ込む。

「弁当なんて手抜きくらいがちょうどええんです」

心の中の土井善晴先生が、私をなんとか鼓舞してくれる。

「今週こそは俺が弁当当番を!」と豪語していた夫のいびきがリビングまで響き渡り、今日も今日とて私の神経を刺激するのだ。

 

詰めたご飯の余熱を冷ましている間に、顔を洗いに洗面所へ。

前髪の向きがぐちゃぐちゃにならないよう、ヘアバンドを慎重につける。洗顔のたった数分間だけでも、前髪はすぐに癖がつくから面倒なのだ。

洗顔料をネットで泡立て、摩擦でシワを作らないようそっと優しく顔を洗う。雑誌で見た「シワは女の敵!35を超えた女の若返り美容術」という見出しが脳裏によぎり、そんなことを気にする自分が情けなくて嫌になる。

女だって当たり前に年をとるし、シワの1つだってできるに決まっているだろう。ヱヴァのパイロットじゃあるまいし。

会社の役職は年功序列で年をとるほど良いとされるのに、女の見た目だけ加齢と逆行させられるのは、一体どうしてなんだろう。25歳までに結婚しない女は、「売れ残りのクリスマスケーキ」と呼ばれた時代はもうとっくに過ぎたはずなのに。

「価値観のアップデート」がしきりに叫ばれる令和でもなお、若さや美といった“女らしさ”が、ありのままの私たちを縛りつける。

 

肌の上に残った化粧水を一滴でも多く浸透させようと、念入りにハンドプレスしながら自分の部屋に移動する。自分の部屋、といっても、2人の寝室に私のクローゼットが置いてあるだけなのだけれど。

この家を買うときに不動産屋が言った言葉が、未だに脳裏でリフレインする。

「奥様に気に入って頂けそうな素敵なキッチンがあります。ほら、最新の食洗機も!」

「こちら、旦那様のお仕事にぴったりの書斎です。防音設備もついて、自分だけの空間に!」

と。その言葉通り、気づけば“私だけの空間”はこの家のどこにも見当たらない。

慌てて着替えてお弁当を渡し、息子を保育園に送っていく。

……息子よ、お願いだから走らないでくれ。私は今生理中なんだ。眠い目と重い腰を携えながら、世界一元気な3歳男児の背中を追いかける。なんとも愛おしいその背中。

一方で、痛む自分の腰は憎らしい。もう子供をつくるつもりはないのに、なぜ私の意思を無視して血が流れ続けるのだろう。

満員電車に揺られ、オフィスに向かう。混んでいるけど、窓から差し込む光が心地いい。

しかし家を出たばかりなのに、ふくらはぎがすでにパンパンだ……。

ストッキングにパンプスは、何年履いても足が慣れない。お気に入りの一足で、見た目はとても好きなのだけれど、いかんせんパンプスは足が冷えるし痛くなる。

通りすがるスーツ姿の男性の足元がチラリと目に入り、革靴いいな、と思わずボソリ。#KuTooという言葉が流行語大賞にノミネートされていたけれど、わたしの職場にその言葉はいまだ届いていないようだ。

女性はパンプス必須、男性はネクタイ必須のルールは令和の今もなお脈々と続いている。

部長と2年目の風間くんと私の3人で、会議室に移動する。

今日は先方のお偉いさんが来ているらしい。あのふてぶてしい部長が、いつもより緊張した表情を浮かべながらオフィスを横断する。

「ちょっと君、お茶お願い」

わざわざ奥の席にいる新卒の女性社員に声をかける部長。すぐ近くに同じ新卒の男性社員がいるのに。お茶に性別関係ある?

 

会議室に入り、まずは名刺交換。部長が終わり、次は私だ準備しなきゃ……と思いきや、なぜか風間くんの方に一直線する取引先。風間くんも慌てている。

女性は補佐という思い込みからなのか、単に風間くんが大人っぽいからなのか。

でも名刺交換の順番なんか細かいことに目くじら立ててたら、小さいことを気にする面倒なやつと思われるかな……我慢我慢、と自分に言い聞かせ、名刺交換を終えると一番手前の席に座った。まだ1日は始まったばかりなのに、なんだか気疲れしてしまう。

 

「あの、田代さん、さっきはすみません。僕が出しゃばってしまって。あの企画は田代さんが作ったものなのに、僕、何も言えなくて」

会議が終わり、風間くんが律儀に謝ってきた。いいのだいいのだ。彼は悪くない。

2年目であの部長と取引先に切り込む厳しさはよくわかる。問題は彼ではなく、そして部長でも取引先だけの問題というわけでもなく、それが当たり前になっている“構造”やそういう“空気”に問題があるのだ。空気に抗うのはそう簡単なことではない。

「いや~、もう慣れっこだよ……!気にしないで大丈夫!丁寧にありがとね!若く見られたって喜んどく!笑」

まっすぐな彼を庇(かば)いたくて、思わず自分を卑下するような言い方をしてしまった。私も自分をもっと大事にしてあげないと。

午前中は会議や資料整理が多くて、腰が疲れてしまった。大きく伸びをしてひと息。朝起きて眠い目をこすりながら作ったお弁当を開ける。

キャンディチーズ、入れてよかった。

子供のためにと言いながら買ったのだけれど、実は私の大好物なのである。軽く手を合わせて、ワクワクしながらおかずに箸を伸ばしていると、後ろから部長の声が。

「へぇ~、田代さんお弁当なんだ。いいお嫁さんになるね。鈴木とか山田とかさ、ほら、田代さん貰ってあげなよ。30超えててもギリいけるとか言ってなかったっけ、この前。あ、田代さん結婚してるのか、こりゃまずい、ははは」

そう言いながら、男性社員たちと昼食に出かけていった。部長はいつも、嵐のように訪れてはいろんなモヤモヤの雨を私たちに降らせて、そのままどこかへ去っていく。私たちの足元は、土砂崩れまであと一歩。

久しぶりに顔を合わせる社内のメンバーもいて、何だか嬉しい。

とは言っても半分がリモート勤務なので画面越しなのだけれど。何だか偉い人たちがやけに多いなと思ったら、今月の全社MTGは社長が来るらしい。

私まで何だかドキドキしながら各部の報告を聞いていく。次は、自分たちの部署の番。今月は大きなプロジェクトローンチがあって、担当していた案件の報告を部長がプレゼンしたところ社長がものすごく喜んだ。わたしの名前も出た。

チームメンバーそれぞれの頑張りも社内に届けられたようで、正直すごく嬉しい。忙しい日々だけど、お客様の声を改めてこうやってレポートとして聞くと、これ以上ない喜びだなと毎回のことながら頬が緩む。

 

月次報告が終わり、社長もいるということで全員でリモート画面越しに記念撮影をすることに。

今年は女性の中途メンバーも多く入ったからか、こうしてずらりと並んでみると今までの疎外感が和らいだようで何だかちょっと嬉しかった。

とそのとき、社長が一言。

「女性が増えると華があっていいね~!」

私たちは、華のために採用されたわけでも、そのために勤務しているわけでもない。

私たちは、“仕事”をしに来ているのだ。後で見返したら、集合写真に何人かムッとした表情の女性社員がいた。おお同志よ。当の私もその1人。

同期の吉田くんもちょうど外出のタイミングで、一緒にタクシーに乗り込む。

行き先がここから近いらしく、彼を先に降ろしてからクライアント先に向かうことに。

「○×商事までお願いします」

吉田くんが運転手さんに声を掛ける。

「かしこまりました、ご指定のルートはございますか?」

 

吉田くんは、同期の中で一番最初に結婚して、子供を育てるために育休を取って社内をざわつかせた大型新人だった。

うちの会社で男性の育休は初めてだったらしい。そもそも当然の権利だし、子供の成長を見れるのは人生で一回だけだからと、なんの躊躇もなく申請して各所に根回しをしながら飄々と育休を勝ち取った。ひょっとして彼は、私たち同期の中の革命家かもしれない。

そんな人だからこそ、いつもだったら誰にも言わない愚痴をついついこぼしてしまった。

昨日、残業して疲れて帰宅したら、夫と子供の痕跡で家の中が荒れ放題でがっかりしたこと。

それなのに夫より先に起きて、みんなのお弁当を作って保育園に送ったこと。

取引先との会議で、男性ばっかり話すこと。

自分のために作った弁当を、男性に選ばれるためのスキルかのように言われたこと。

求めてもいないのに、勝手に女品評会をされたこと。

仕事がどんなにできるようになっても、成果ではなく華を求められること。

そしてそのどれもが、必ずしも悪意ゆえの発言じゃないこと。

 

1つ1つは小さな小石でも、積み重なれば大きな岩になる。話していて、あれもこれも、自分はちゃんとモヤモヤしていたんだと気づかされた。

近況をあれやこれやと話していたら、あっという間に○×商事の前へ到着。久々の同期との会話は何だかとてもフラットで楽しかった。

愚痴ももちろんだけど、お互いが頑張っていることを色々話し合っていたら、なんだかちょっと勇気が出たのだ。あんなにダメダメだった新卒時代の私たちを思い返すと、お互いの成長を心から誇らしく思う。あたしたち、よくやってる。

そうして走っていく吉田くんを見送りながら、私は自分の行き先の住所を確認しようとスマホを手に取り、運転手さんに住所を伝えようとした、そのとき。

「で、次はどこいくの?道わかる?」

思わず耳を疑った。

「……はい?」

「だから、次はどこにいくのかって。」

 

さっきまでの態度とあまりに違うその口調に、思わずフリーズしてしまった。なぜこの人は、車内が私1人になった途端、突然タメ語を使い始めるのだろう。

さっきまであんなに丁寧そうな口調だったのに。私がネクタイを締めてないから? 吉田くんと違ってガタイが良いわけじゃないから? 私が、女だから?

たかがタメ口。ほんの些細なことだと分かってはいても、バケツに溜まり続けた雨漏りのように、最後の一滴が私の涙となって頬をつたう。

さっきまで吉田くんと話してほんの少しだけ取り戻していた自信や希望を、最後の一発で粉々に打ち砕かれた気になったのだ。

私自身がどれだけ頑張っていようが、どれだけ自立して仕事をしていようが、結局私自身ではなく “女”というジェンダーロールを通して認識される。

いくら成績を出しても女性は昇進させないうちの会社だって、あの部長だって取引先だって社長だって、問題はきっと同じだ。夫がいつも、家事育児を“手伝う”と言うことだって、テレビで偉い人が「女が出席する会議は長い」と笑いながら言っていたあのニュースだって、きっとどこかでつながっている。

たかがそんなこと、と私を含めた多くの人たちが波風立てずにスルーし続けた結果が、今のこの、行き場のない悲しさなのだ。

 

「……何で口調変わったんですか」

「え?」

「さっきまでと変わりましたよね」

勇気を振り絞って怒りの声を伝えてみる。

お客さんが敬語で話して、サービス提供者がタメ語で話す。しかもお客さんによって態度が変わる。この関係性がいびつであることが、どうして伝わらないのだろう。

お客さんもサービス提供者も、初対面なら性別や年齢に限らずお互いに尊重し合うのが当たり前じゃないのか。

驚いた運転手さんがこちらを振り返って見るや否や、私の涙に気がつき困惑の表情を浮かべた。

「た、たかがタメ口で、そんな泣くほど怒らなくても……。これだから女は」

その瞬間、自分の中で何かがぷつっと切れ、お釣りはいらないと一万円札を突きつけながらタクシーを飛び降りた。

 

きっとこの運転手さんは、女性にタメ語を使うのが当たり前のこととしてこの社会を見てきたんだろう。

私を傷つける言葉たちを当たり前のごとく吐き捨てる社長も部長も取引先も、テレビで見るあの政治家にとっても、それらはほんのちょっとしたミスやおふざけのつもりかもしれない。

だから、向こう側から見ると私が小さなことでいきなり泣き出したように思うのだ。そんなわけあるかってんだ。

積もりに積もった情けない気持ちやら悔しい気持ちやらがぐちゃぐちゃになってあふれ出る。

私自身、何かに特別長(た)けているわけでもなければ、何かで名を馳(は)せているわけでも有名なわけでもない。

メディアで勇敢にジェンダー平等を発信するタレントや、媚びず群れず突き進んでいく女性リーダーを見て勇気づけられることはあっても、私自身が何かをできるわけでもない。普通に育ち普通に暮らす、ごくごく一般的などこにでもいる32歳女性。

そんな私の周りにも、これだけの数のほんの小さなジェンダーバイアスがそこかしこにあふれているんだ。自分でも、今の今まで気づかなかった。

 

「あの子はアイドルなんてやってるから、容姿を批評されても仕方ないね」

「女で経営者とか気が強くてモテなさそう」

「セクハラも痴漢も一部の特殊な出来事でしょ」

「自分の周りにはそんな人はいないけど」

「周りで差別なんて聞いた事ない」

「それくらいで傷つくなんて繊細すぎ」

「まぁまぁそんな感情的にならずに」

そんな言葉を日々SNSでたくさん目にする。正直そういう言葉を目にするたびに、私は私のモヤモヤを、ぐっとこらえて飲み込んできた。「お前なんかが」と指を差されるのが怖かったのかもしれない。

きっとこうして無かったことにされているいくつものモヤモヤたちが、この国のあちこちに蔓延(まんえん)している。

初めはほんの小さなモヤモヤでも、私の中に積み重なり、そして社会に積み重なり、分厚く重い壁のように日本の社会を覆っていく。いつか本当に身動きがとれなくなるまで、それぞれが見て見ぬ振りをしながら次々と壁を塗り重ねていくのだろう。

 

「何なんだーーーーーーっ!!!!!!!」

もう、全部やめてやる。わきまえるのも、忖度するのも、こんなもんだろうと諦めるのも、品定めに一喜一憂してしまうのも、私がやらないと誰もやらないと無理して1人で背負うのも、全部全部放り出して、1人で海にでも向かってやる。

そう心の中で叫びながらも、気づけば私はまた涙を拭いて、次のタクシーを探していた。

わたしが子供をあやしながら眠い目をこすって作った企画を、きっとまた部長が我が物顔でプレゼンするのだろう。私たちの戦いは、まだまだ続いていく。

ここまで読んでくださりありがとうございます。

普段ジェンダーにまつわる発信をしていると、そういう発信をしていると絡まれて大変だよね、と言われることが少なくありません。辻さんだから見える社会があるとか、応援してるよ(あなたも社会の一員なのだから当事者ですよ~!と思いながら聞いています)とか、そんな風に良かれと思ってかけていただく声もありました。

でもそれはあくまで声をあげ続けている人たちが表面化しているだけであって、その水面下には今もなお、セクハラやパワハラに苦しみ、暗い夜道で後ろにおびえながら歩き、ガラスの天井にぶち当たりながら悔しい思いをしている人たちが少なからずいるはずです。たとえその人たちが実名で声をあげずとも、社会には確かに存在しています。

今回のストーリーを通じて、そんなどこにでもある、誰にでも直面しうる女性たちのリアルを、ほんの一部だけでもお届けできていたら嬉しいです。

 

社会はすさまじいスピードで変わろうとしているけれど、果たして私たちひとりひとりは変わろうと日々学べているでしょうか。あくまで自分ではない誰かの、もしくは社会の問題と思っていないでしょうか。

SDGsバッジを胸に光らせながら、ジェンダーは女性だけの問題だとどこか他人事に思ってはいないでしょうか。自分は差別などしないから大丈夫だと“無関心”でいられる自分の特権性に目を向けられているでしょうか。

この連載が、少しでもそんな気づきのきっかけにつながりますように。それでは、また次回の連載で。

   

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年6月14日に公開した記事を転載しました)