目次

  1. 投票率が低いのは自然なこと? 損得計算だけで考える
  2. 投票率を上げるには……
  3. 私たちの行動が新しい社会規範を生む
  4. 「友人は投票した」を伝える広告。その効果は?
  5. 高齢化が進めば、政策も高齢者向けになる

最近の日本の国政選挙の投票率は低下傾向にある。

衆議院が解散され、万歳する議員たち=2021年10月14日、朝日新聞社

2017年10月の衆議院選挙の投票率は53.68%。戦後から1990年まではほぼ70%前後を維持してきたので、投票率が低いのは日本人の国民性を反映しているわけではない。

ではなぜ、これほど投票率が下がってしまったのだろうか。 

実際のところ、狭い意味の合理性を前提にすると、投票率が低いことは自然なのだ。有権者にとって、自分1人の投票行為が全体の投票結果に与える影響は、多くの投票者がいることを考えるとほとんどゼロである。

10人しか投票者がいない場合は、自分の1票で当選者が誰になるかを左右できるかもしれないが、数千人から数万人の投票者がいる選挙区では自分の1票が当選者に影響を与える程度はほとんどゼロと言える。

選挙結果が政策に影響を与え、それが有権者に大きな影響を与えるものであったとしても、1人の投票が与える影響がほとんどゼロであれば、選挙から得られる便益も損失もほとんどゼロになる。

仮に、選挙の結果が自分の生活に与える影響が数百万円という非常に大きい額であったとしても、自分の1票が政策を変える効果がほぼゼロであれば、投票することで自分の利害を変える効果は、「数百万円×ゼロ=ゼロ円」となってしまうからだ。

期日前投票所。新型コロナ対策で、鉛筆の回収箱(右)が設置されている=2021年10月20日、朝日新聞社

それに対して、投票に行くための時間、候補者の政策について考える時間にかかる費用は無視できない。単純な計算で、それぞれの有権者に対して選挙の損得計算をすれば、投票することは損失の方が大きい。

もし有権者がこのような損得計算だけで行動するならば、棄権するはずだ。投票するという行動をとる場合でも、候補者の情報を集めるということに時間をかけずに投票することになる。

このような有権者の行動は、「合理的無知」と呼ばれている。合理的無知が蔓延(まんえん)してしまうと、政治家や政党は、自分たちに都合のいい政策や自分たちの利益が大きくなるような政策を取ることになる。なぜなら、有権者の合理的無知の結果、政治家の行動や政策について、選挙での抑制が利かなくなるからだ。

それでは、投票率を引き上げるにはどうすればいいだろうか。

さきほどの「合理性」をもとにした投票行動を前提にすれば、投票率が低い状況だと知らされたときのほうが、人は投票するようになるはずだ。

なぜなら、投票率が低いときの方が、投票率が高いときに投票するよりも、1票の価値がわずかながらも大きくなるからだ。

イエール大学で政治学を専門とするガーバー氏とハーバード大学で行動科学を専門とするロジャース氏は、

「今度の選挙では投票率が低くなりそうだ」

という予測を聞いた場合と

「今度の選挙では投票率が高くなりそうだ」

という予測を聞いた場合とで、人々の投票意欲がどう異なるかを、2つの投票の前に調査した。

getty images

結果はどちらの選挙の場合も、「今度の選挙では投票率が高くなりそうだ」という予測を聞いた場合の方が人々の投票意欲が高くなっていた。

「合理性」をもとにした棄権であれば、投票率が高くなるという予想を知らされたときの棄権の方が多くなるはずだ。

なぜなら、さきほど述べたように、投票数が増えることで、自分の投票行為が全体の投票結果に与える影響が小さくなると考えるからである。

しかし実際には、「多くの人が投票する」と知らされたときのほうが投票意欲が高まるのだ。これは、私たちが「周囲の人の行動に影響されて行動する」という特性が、投票行動でも見られるということになる。

「投票はみんながするもの」という社会規範が成り立っているならば、私たちは投票にいく。つまり、多数派が投票する(投票しそうだ)という情報が得られたなら、私たちは投票するのだ。

昭和の頃に投票率が高かったのは、「投票はみんながするもの」という社会規範があったのだと考えられる。それが、時代を経て、「投票はみんながするもの」という社会規範が崩れ始めたのかもしれない。

特に、20代、30代の投票率は50%以下のため、投票に行かない人たちが多数派になっている。特に、20代の投票率は30%台前半にまでなっている。

投票に行かない人が多数派になった社会規範を変えるのは難しいかもしれない。しかし、「過半数が投票しそうだ」という予想をみんなが持てば、それが社会規範になって、より多くの人が投票にいくことになる。それが社会規範の影響力だ。

スケートボード女子パークの表彰式でメダルを持つ(左から)銀メダルの開心那選手、金メダルの四十住さくら選手、銅メダルのスカイ・ブラウン選手。マスクをつけて表彰式に臨んだ=2021年8月4日、有明アーバンスポーツパーク、朝日新聞社

新型コロナウイルスの感染が拡大して、今ではマスクをすることが日本では新しい社会規範になった。10月になって感染が落ち着いてきても、マスクをするという社会規範はなかなか崩れない。

また、アルコールで手指を消毒することも社会規範になった。新型コロナ感染症の拡大初期には、アルコールで手指消毒をする人は少数派だったが、すぐに社会規範になっていった。

期日前投票所。新型コロナ対策で、消毒液と使用済み鉛筆の回収箱が設けられている=2021年10月20日、朝日新聞社

私たちには、周囲の人の行動をみて、それと同じような行動を取るという特性がある。

ということは、私たち自身がする行動が社会規範となって周囲の人に影響を与える。マスクをすることも、アルコールで手指消毒をすることも、最初に始めた人がいて、その行動を見た人が広めていって社会規範になったのだ。

投票でも同じことが生じるはずだ。自分が投票に行くつもりだと周囲の人や友人に伝えれば、それがあっという間に社会規範になっていく。

1つの事例を紹介しよう。オハイオ州立大学で政治学を専門とするボンド氏らは、Facebook上でこの効果を確かめた。

Aさんに2つの広告を見せる。1つ目は「投票に行こう」と訴える広告。2つ目は「友人Bさんと友人Cさんは投票した」という広告。その2つの広告を見たうえで、Aさんが投票した場合、Aさんの友人であるDさんやEさんにも「投票に行こう」と訴える広告と「Aさんは投票した」という広告が表示されるというキャンペーンを展開した。

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そして、「友人が投票した」という情報が入った広告を見た60万人と、見ていない60万人とで、投票率を比較したのだ。その結果、「友人が投票した」という広告によって投票した人は6万人にのぼり、さらにその6万人が投票したことで、その情報を知った友人ら28万人が投票した。最終的に「友人が投票した」という広告の効果で、60万人のうち34万人が投票することになったと推定されている。

この事例から考えられることは、自分が投票する予定であることや投票したことをSNSで書き込むだけで、社会的な影響を与えることができるということだ。

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SNSでの書き込みによって、投票行動という社会規範が広まっていくのだ。SNSに慣れ親しんでいる20、30代の人たちは、投票を社会規範にして投票率を上げる力がある。

若者たちが投票しなくなることの弊害は大きい。なぜなら、高齢化により、ますます政治が高齢者のための政策を採用するようになるからだ。

政治家は選挙で勝つために、得票数を最大にするために、中位者を狙った政策をアピールする。中位者というのは、特定の政策課題について、強い賛成の人から強い反対の人まで並べた際、一番強い賛成の人から順位が全体の50%前後にあたる賛成の強さをもった人のことだ。

こうした人たちが自分の側に投票してくれるような政策をアピールできれば、過半数を取ることができて、選挙に必ず当選できる。これが「中位投票者定理」と呼ばれるものだ。小選挙区制だと、特に「中位投票者」の争奪が重要になる。そのため、主要政党の主張は、極端な政策ではなく、中位投票者を狙って、同じようなものになる

中位投票者定理で、日本において問題になってきているのは、高齢化だ。現在の投票者の中で、年齢の中位数は50代半ばと言われている。そうすると、50代の人が好む政策を唱えると当選する可能性が高くなることになる。

投票に行けば一部の商品が半額になるキャンペーン広告=2021年10月25日、北海道函館市、朝日新聞社

20、30代は少子化対策や教育にお金を使ってほしいという人が多かったとしても、50代以上の人は、医療、介護、年金問題に関心が高い。高齢化の傾向はこれからも進み、年齢別の投票率が今のまま続けば、2040年には中位投票者の年齢は60歳を超えることになる。

さらに、中位投票者の選好になんらかのバイアスがあれば、政治家はそこを狙った主張をする可能性がある。

「増税しなくても社会保障を維持できる」
「国債をいくら発行しても国民に負担はない」
「自由貿易は日本の雇用を奪う」

といった主張だ。合理的無知な人たちが、特定の心地良い主張に動かされやすいとすれば、選挙結果には、合理的無知な人たちのバイアスをもった意見が反映されてしまうだろう。

良識ある政治家は、そのような戦略を取らないはずだ。しかし、瀬戸際に立たされた政治家ならわからない。瀬戸際の政治家が、合理的無知につけ込む大衆迎合的な戦略を取るのは、世界共通である。

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年10月29日に公開した記事を転載しました)