ステイホームを呼びかける最適な記事の見出しは? 行動経済学で考える物事の伝え方
大阪大学教授で経済学を専門とする大竹文雄さんが、行動経済学を通じて若手ビジネスパーソンの次の行動につながる考え方やモノの見方を伝えます。今回のテーマは「物事の伝え方」についてです。
大阪大学教授で経済学を専門とする大竹文雄さんが、行動経済学を通じて若手ビジネスパーソンの次の行動につながる考え方やモノの見方を伝えます。今回のテーマは「物事の伝え方」についてです。
目次
新型コロナウイルス感染症対策では、
・密閉空間、密集場所、密接会話という3密を避ける
・不織布のマスクをする
・手を洗う
ということが重要だ。加えて、ワクチン接種の機会があれば、接種するというのも効果的である。
それでもデルタ株の感染力は強く、2021年7月から8月にかけて感染が拡大した。地域によっては医療提供体制が逼迫(ひっぱく)し、自宅療養者が増加し、自宅で亡くなる人も出た。
人流を抑制し、感染者数そのものを抑えることの必要性が高まると、政府や自治体から人々に行動自粛要請がされる。
新型コロナウイルス感染症対策分科会は2021年8月12日、「期間限定の緊急事態措置の更なる強化に関する提言」を出した。
その提言では「8月26日までの集中的な対策の強化により、昼夜を問わず、東京都の人流を今回の緊急事態措置開始直前だった7月前半の約5割にすることを提案」している。
8月15日時点のデータでは、約36%の人流減少が観察されている(※2021年8月18日厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード資料)。
目標の50%減少には到達していないが、36%減少しているため、目標を7割達成できているのも事実である。
この結果を
「36%しか人流が減っていない。それは、多くの人は感染対策に協力してくれている一方で、一部の人は協力してくれていないからだ」
と表現することは間違っていない。
しかし
「36%しか人流が減っていない」
という表現よりも、
「目標の7割が達成されているので、もう少し頑張りましょう」
という表現を使う方が、人々の協力を得やすいはずだ。
36%しか減っていないというのは、50%減少という目標が参照点(損得を考えるときの基準)となっている表現で、損失フレーム(損失を強調する表現)になっている。
努力をしてきた多数派の人にとって、その努力の成果を損失で表現されると、行動変容の意欲が削がれるのではないだろうか。
「目標の7割が達成されていることに感謝します。目標達成まであとわずかですから、みんなでがんばりましょう」
という表現であれば、努力に対する報酬を得られたように感じるはずだ。報酬が得られる行動を繰り返したくなるのは、私たちの特性である。
私たちは、同じ金額の利得と損失を比べると、利得で得られる喜びより、損失で生じる悲しみの方が2倍以上大きく感じる。これが行動経済学で損失回避と呼ばれる特性だ。
だからこそ、損失をできるだけ避けようと行動するし、損失を強調されると魅力的に感じない。努力の成果が損失を強調して表現されるとあまりうれしく感じないのだ。
緊急事態宣言では酒類を提供する飲食店への休業や営業時間の短縮が要請される。
様々な調査によれば、90%を超える飲食店が休業要請や営業時間短縮要請に従っている。しかし、それを報道する際にメディアは、休業要請に協力していない飲食店やそうした店を利用している人たちを大きく取り上げる傾向がある。
例えば、協力要請に従っている人たちが90%で、そうでない人が10%であったとしても、報道する側は、協力要請に従っている店とそうでない店について、同じ程度の分量で報道することが多い。
また、休業要請で困る人やこの要請を守らない人についての紹介が報道では多いように感じる。
取材する立場からすれば、休業している人を探し出して取材することは難しい。それに対して、休業要請に従わないで営業をしている店やそれを利用している人に取材するのは簡単である。
確かに、そのような要請をされても守れない人や困る人も多い。一方で、かなり多くの人がこの危機的な状況を理解して行政からの要請に協力している。
休業要請で困っている人や営業している飲食店を利用する人を報道することの意義はよく理解できる。
一方で、感染リスクの高い行動をしている人を紹介することは、たとえそれが批判的な取り上げ方であっても、行動経済学的には逆効果である。
そういう人たちの様子を報道することで、協力要請に従わないことが社会規範なのだと多くの人に認識させてしまう可能性がある。
その報道を見た人は、協力要請に従っていない人が多いのなら、自分も守らなくてもいいだろう、と思ってしまう。
2020年4月26日の朝日新聞の1面には、ゴールデンウイーク中に新型コロナ感染症の拡大防止のために、ステイホームを呼びかける記事が掲載された。
記事の中身は、全国的に共通だが、その記事の見出しは東京版、大阪版、名古屋版でつぎのように微妙に違っていた。
東京版:「さぁ連休 でも『うちで過ごそう』」
大阪版:「連休中 うちで過ごそう 各地の人出 大幅減」
名古屋版:「さぁ連休 でも まばらな名駅」
この3つの見出しのうち、一番「うちで過ごそう」と思うのは、大阪版ではないだろうか。
「各地の人出 大幅減」という言葉が、
「多くの人は外に出かけていない」
という社会規範メッセージになっているだけではなく、
「出かけることはあまり魅力的ではない」
ということを暗黙のうちに伝えている。それよりも、
「連休中はうちで過ごすことが楽しい」
と思わせる。
一方、東京版は、「さぁ連休」で楽しく出かける連休がやってきた、と説明して、読者に出かけて楽しい連休を連想させる。読者の参照点は、連休中楽しく出かけていることになる。
ところが「でも」があることによって、出かけることは無理だから「うちで過ごそう」と呼びかけている。読者の残念な気持ちに寄り添っているとは言える。
しかし、読者にとってみたら「楽しい連休を我慢して家で過ごすのか」と、家にいる意欲が削がれてしまう。
暗黙のうちに比較対象が「外に出かけるはずの楽しい連休」になって、楽しいはずの連休が失われたという損失を感じてしまうからだ。
名古屋版は、東京版に似ているが、「でも まばらな名駅」となっているので、みんなが家にいるという社会規範を暗示させて、外に出かけても楽しくないことも意味している。それよりも「うちで過ごす」ことが楽しいと示している。
似たような見出しだが、この見出しを考えた人は、少しずつ異なるメッセージを伝えたかったことがわかる。
大阪版の担当者は、新型コロナ感染対策で人との接触を減らして欲しいと読者に伝えたかった。名古屋版もそうだ。東京版も同じようにみえて、せっかくの連休なのに、うちで過ごすことはつらいだろうけれど、我慢してほしい、というスタンスではないだろうか。
それぞれ一理あるが、新型コロナウイルス感染対策として人との接触を減らすという行動変容のための見出しとしては、大阪版が一番優れている。ちょっとしたことで、人々の行動は変わることもある。
私たちは、暗黙のうちに比較対象となる状況を想像し、それよりも「利得となるのか」「損失となるのか」を考えている。
表現を少し変えるだけで同じことでも「利得」と感じることにもなるし、「損失」と感じることにもなる。人に行動を変えてもらいたい場合、まだできていないという損失に注目しがちであるが、誰しも損失を嫌うので、損失をともなう表現自体を忘れてしまいたい。一方で、利得となる表現をされると、それをいつまでも覚えておきたいものだ。
感染対策していない人がいることを強調すれば、それが少数派ではなく、多数派のように私たちは錯覚してしまう。感染対策をしないことが新たな社会規範になってしまうのだ。
感染対策をしている人たちが実際に多数派であれば、その情報を伝える方が私たちは感染対策を続けたいと思うのだ。社会規範が私たちの参照点になるので、そこからの乖離(かいり)は、損失と感じてしまうためだ。
企業の中でも、残業を減らしたいなら、残業が多い部門を公表して注意を促すのは逆効果である。残業時間が目標よりも少ない多数派の部門の比率を示し、その目標を守っていないところが少数派であることを強調する方が効果的であろう。
何を「暗黙の参照点」としているかをよく考えて、表現を工夫することを心がけたい。
(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年8月27日に公開した記事を転載しました)
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