「まずい」と言われても開発を続行 7代目の粉末みそが海外で高評価
1885(明治18)年創業の「早川しょうゆみそ」(宮崎県都城市)は、7代目で専務の早川薫さん(32)が、独自の乾燥技術でみそを粉末にした「umami・so」を生み出し、安全に配慮した有機みその海外展開とともに売り上げを伸ばしています。伝統食品の新しい可能性を模索し、宮崎の味を広めようと国内外を飛び回っています。
1885(明治18)年創業の「早川しょうゆみそ」(宮崎県都城市)は、7代目で専務の早川薫さん(32)が、独自の乾燥技術でみそを粉末にした「umami・so」を生み出し、安全に配慮した有機みその海外展開とともに売り上げを伸ばしています。伝統食品の新しい可能性を模索し、宮崎の味を広めようと国内外を飛び回っています。
食物繊維が豊富であっさりとした味わいの麦みそ。そして本醸造しょうゆにアミノ酸液などを加えた甘口のしょうゆ――。「早川しょうゆみそ」の調味料はどちらも南九州定番の味で、家庭向けだけでなく、南九州各地の飲食店でも広く親しまれています。
同社はかつて宮崎県の民放でCMを流していたこともあります。早川薫さんが通っていた小学校では同社の工場が社会科見学の対象でした。中学校では「早川」と名乗ったらあだ名がたちまち「みそ」になるくらい、地元・都城市ではよく知られた存在だったそうです。
薫さんが中学生の時、兄から突然「お前が後を継ぐんだよ」と言われ、10代の頃から家業を継ぐことを意識していたと言います。
「兄は地元で有名な会社の後継ぎと周囲から見られるのをプレッシャーに感じていたようで、大学を卒業してからは関西で医療分野のコンサルタントの道に進みました。私は継ぐことに引け目も何も感じず、高校の頃にはすでに『みそやしょうゆを海外に広めたい』と考えていました」
当時、すでに人口減少のトレンドに入りつつあった日本。全国味噌工業協同組合連合会によると、1973年に約59万トンあったみその生産量は徐々に減り、2008年には約46万トンとなっています。
薫さんは海外にも販路を広げないとみそやしょうゆの市場、そして同社の成長はないと感じていました。栃木県内の大学に進学し、11年4月からは米国シカゴにあるイリノイ工科大学に留学します。
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英語を習得するとともに、シカゴの企業でインターンをしながらビジネスの現場を経験し、米国の食文化なども学びました。他国の食材が「アメリカ風」に進化する様子にも触れながら、「みそやしょうゆが入り込めるヒントを感じた」と言います。
13年、大学を卒業し早川しょうゆみそに入社した薫さんは最初、都城に戻らず、大学があった栃木県内のみそ製造会社に、研修のために「出向」することになります。そこでみその製造を一から学んだ早川さんは1年数カ月経った頃、6代目の父・洋社長に電話で呼び戻され、本社の製造部門に勤めることになりました。
本社に勤務し始めて1年ほど経つと、市場縮小への危機感と海外への関心から、即席みそ汁のフリーズドライ製品など新商品の開発や工場の洗浄方法について、様々な提案をするようになりました。
ただ、多くの社員は「そんなのはできっこない」「昔からのうちのやり方と違う」などと、ことごとく提案に反対します。
例えば新商品開発については、同社が地元・宮崎以外の都市圏での販路がなかったため、つくっても売り切れないという理由で反対されたのです。薫さんは当時のやり切れなさを振り返ります。
「実績もない、子どもみたいな若造がベテラン社員に、彼らが経験したことがないことを提案しても全く伝わらないし、反発されるだけでした。ある幹部社員は取引先に『あいつが継いだら会社が潰れる』と言っていたと、あとから聞きました。ショックでしたね」
もちろん、同社が新しい挑戦をしていなかったわけではありません。
洋社長は、消費者の健康志向に合わせ、無添加みその開発やPRに取り組んだほか、国際的な有機認証「ECOCERT(エコサート)」を取得。17年に初めて、オーガニック食品の普及率が高い欧州への輸出を実現しました。
この輸出は、ヨーロッパへの麦みその輸出を手掛けていた商社からの打診がきっかけでした。11年の東日本大震災で麦みそを仕入れていた宮城県内のみそ製造会社が被災したため、商社が代わりの仕入れ先として、健康・安全なみそ造りに注力していた早川しょうゆみそを選んだのです。
東日本大震災では、薫さんも後の新商品開発につながる経験をしました。
「ボランティアに行った友人から『お前のところのみそを支援物資として送れないか』と言われたのです。でも被災地は当時、お湯が使えず、こし器や具、だしがなければみそ汁は調理できません。しかもみそは重さがあるので、運ぶのにも苦労する。みそが“非常食”になっていない現実に、無力感を感じました」
薫さんが入社後に営業で訪れた介護施設でも、応対した給仕の担当者から「みそはおいしいけど重いから大勢の分をこすのは腕が疲れて大変」と言われたこともありました。
その後も「軽くて、使いやすいみそをつくりたい」と思案し続けました。
構想が一気に具体化したのは15年でした。正月休みに旅行で訪れた沖縄の宿でカレーをテーマにした映画作品を手がけた監督と知り合い、「カレーのスパイスのように、みそもしょうゆも粉にしてみたら使いやすいし、世界が広がるのでは」と言われたのです。
「なるほど、それだ!」とひらめいた薫さん。粉にすれば軽くて災害時の非常食にもなり、海外輸出時のコストも削減できる。砂糖や塩のように使われるようになれば料理の幅も広がる――。イメージがどんどん膨らみ、旅行から戻るとすぐ、新商品の開発に着手しようとします。
ところが薫さんの提案に、当時の工場長らベテラン職人は難色を示しました。みそを乾燥させて粉にするには、フリーズドライのために億単位の設備投資をして大量生産しないと、大手メーカーに価格面で対抗できないからです。
実は同社は15年ほど前にも外部委託してフリーズドライ製法で粉末みそを製造したことがありましたが、安価に生産できず、大量の在庫を抱えて失敗した過去がありました。
そんな経験があったからか、職人らも「本当はチャレンジしたいんだけどね」などと話し、提案に反対をしたわけではありませんでした。薫さんはむしろ「いい方法があるならやりたい、と暗に後押ししてくれているのかな」と、ポジティブに捉えたのです。
薫さんは「後継ぎのわがまま」と思われないよう、他の社員には内緒で、まずは1人で開発することにしました。そして三つのハードルを自らに課しました。
かつて失敗したように外部に委託する形ではなく、全て同社が自前で製造できる仕組みにすること。通常のフリーズドライ製法の半分以下の24時間以内でみそを粉にするシステムにすること。そして初期投資の費用は1千万円以内に抑えることでした。
薫さんは土日や平日夜に1人で社屋の片隅にある「品質管理室」にこもり、研究を重ねました。実験用の設備は自作。電気部品などの資材も全て「自腹」で購入しました。乾燥技術に関する英文の論文を取り寄せたり、試作品を何度も職人らに試食してもらっては「まずい」とダメだしされたり。そんな日々が3年ほど続きました。
「何とかこのプロジェクトを成功させて、パイが縮む伝統産業のみそづくりを新境地をつくりたかった。後継者として『もう(自分たちの会社から)逃げられないから、やるしかない』という思いもあって、開発を続けました」
途中から70代のベテラン職人もみそのうまみの出し方や添加物の効果などを数字や長年の経験を元に助言してくれました。
開発から3年ほど経った頃、大手とは異なる独自の乾燥技術を編み出し製造しました。助言を続けてくれた職人は「おいしい。生みそと遜色がないできだ」と太鼓判を押してくれました。
薫さんはさらに2年近くかけて、消費者に受け入れられる味を追求するため、様々な人に試食してもらっては改良を続けました。
このころ、薫さんは麦みそを輸出することになった欧州など海外の展示会に頻繁に呼ばれるようになりました。米国留学で英語が堪能なため、「英語でみそやしょうゆの紹介ができるレアな存在」(薫さん)として、商社から声が多くかかったためです。
展示会には粉末みその試作品も持参し、現地のバイヤーや料理人らに試食してもらいました。すると「パスタやサラダに使えるか」「ヴィーガン向けに提供できるか」などの質問が相次ぎました。
薫さんの奮闘のかいあって、洋社長は新商品を量産するための設備の導入を決裁しました。金額は目標通り、1千万円以内。海外でも認識されやすいようにと名付けたみそパウダー「umami・so」は20年11月から本格的に製造を開始。日本国内に加えてシンガポールや香港など海外向けにも発売しました。翌21年以降にヨーロッパやオーストラリアなどにも輸出しています。
umami・soはみそ汁だけでなく、ステーキやサラダのディップとしても使えるとヒット商品に。発売された21年6月期には売上高約1200万円を達成しました。「日本国内はもちろん、海外でも各国の料理と調和しながらアクセントとして活躍する調味料になってほしい」と薫さんは語ります。
umami・soの発売に先立つ19年には、食品安全の厳しい基準を満たしていることを認証する国際規格「FSSC(Food Safety System Certification)22000」を取得。これを機に、ヨーロッパの消費者向けの生みそのOEM(相手先ブランドによる生産)の注文も舞い込むようになりました。
同社の海外事業の売上高は、17年6月期の約150万円から20年6月期に約960万円と、右肩上がりに増えています。
umami・soの評判が欧州で広がったことから、英国の旅行雑誌「ナショナル・ジオグラフィック・トラベラー・フード」から広告記事の出稿を打診され、21年3月に掲載されることに。これを読んだ英国の王室担当ジャーナリストが推薦したことで、エリザベス女王の即位70周年を記念したアートブックへの掲載も決まりました。
22年10月に刊行予定で、同じ頃にロンドンで出版イベントも開催され、薫さんが出席する予定です。
薫さんはこの機会を追い風にして、自社とみそ・しょうゆ業界の発展につなげたいと語ります。
「今年で創業137年目になりますが、200年を見据えてもっと成長し、ハイクオリティーな商品を提供できる会社をめざしたいです。そしてみそやしょうゆをつくっている職人がもっとリスペクトされ、業界自体が注目されるよう力を尽くしたいと思います」
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