目次

  1. 「継ぐんだよ」と兄に言われ
  2. ベテラン社員から次々反発
  3. みそを粉にしようと着想
  4. ひそかに研究した粉末みそ
  5. 海外展示会で粉末みそをPR
  6. 海外の売り上げが右肩上がりに

 食物繊維が豊富であっさりとした味わいの麦みそ。そして本醸造しょうゆにアミノ酸液などを加えた甘口のしょうゆ――。「早川しょうゆみそ」の調味料はどちらも南九州定番の味で、家庭向けだけでなく、南九州各地の飲食店でも広く親しまれています。

本社の倉庫で出荷を待つ「早川みそ」

 同社はかつて宮崎県の民放でCMを流していたこともあります。早川薫さんが通っていた小学校では同社の工場が社会科見学の対象でした。中学校では「早川」と名乗ったらあだ名がたちまち「みそ」になるくらい、地元・都城市ではよく知られた存在だったそうです。

 薫さんが中学生の時、兄から突然「お前が後を継ぐんだよ」と言われ、10代の頃から家業を継ぐことを意識していたと言います。

 「兄は地元で有名な会社の後継ぎと周囲から見られるのをプレッシャーに感じていたようで、大学を卒業してからは関西で医療分野のコンサルタントの道に進みました。私は継ぐことに引け目も何も感じず、高校の頃にはすでに『みそやしょうゆを海外に広めたい』と考えていました」

 当時、すでに人口減少のトレンドに入りつつあった日本。全国味噌工業協同組合連合会によると、1973年に約59万トンあったみその生産量は徐々に減り、2008年には約46万トンとなっています。

 薫さんは海外にも販路を広げないとみそやしょうゆの市場、そして同社の成長はないと感じていました。栃木県内の大学に進学し、11年4月からは米国シカゴにあるイリノイ工科大学に留学します。

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