目次

  1. 魚屋になるのは恥ずかしかった
  2. 成城石井で学んだ「基本」の大切さ
  3. 「会社が危ない、戻ってきてくれ」
  4. 経営理念は「街をもっと多彩に、もっと面白く」
  5. 家業に入って見えた課題は「1000個以上」
  6. “ふくしま”から持続可能な水産業を発信したい
  7. 「美味しい魚を届ける」ただそれだけ

 「おのざき」の4代目・小野崎雄一さんは姉2人を持つ末っ子長男。周囲から跡取りと言われることが多く「いつか自分が継ぐのだろう」と意識して育ってきたそうです。店はいつも活気にあふれ、従業員もお客さんも笑顔。幼心に家業を誇らしく感じてきました。

昔のおのざきの店舗。現会長・小野崎英雄さんの人情味あふれる接客もお店が人気の理由だった(同社提供)

 ところが、思春期になると魚屋であることがとたんに恥ずかしくなったといいます。

 「実家が魚屋って同級生たちからめちゃくちゃからかわれるんですよ。だから、中学生ごろからは『魚屋なんかにはならない!』と反発していました」

 大学進学とともに上京するまでに明確な目標はなかったという雄一さんですが、そんな彼に大きく影響を与えたのは、大学時代に暮らした西荻窪の町でした。

 「中央線沿いにある西荻窪は魅力的な個人店が多くて、町の人みんなが知り合いのような雰囲気なんです。人情味があって、居心地がよくて、この町が持つ空気感が全国に広がれば、世の中はもっと良くなるんじゃないかと思ったことが今につながる原体験です」

 当時アルバイトをしていたカレーバーでは、お客さん同士が仲良くなることもしばしば。いつか自分も店を持って起業し、街を彩るような存在になりたいと思うようになったそうです。

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