目次

  1. 食品卸会社で経理を経験
  2. びっくりするほどアナログ
  3. 「多忙は怠慢の隠れ蓑」を戒めに
  4. 社長として進めた三つの改革
    1. 販売のオンライン化
    2. 観光部門の見直し
    3. 輸出の強化
  5. コロナ禍の小旅行先で人気に
  6. 「東京の地酒蔵」を生かした戦略
  7. 地道な仕事で道は開ける

――子どものころ、酒蔵を継ぐことは考えていましたか。

 私は4人きょうだいの2番目で姉がいます。今でこそ女性が継ぐ可能性もありますが、当時は長男の私が、蔵の従業員や町の人からも次期後継ぎとして見られていました。

 自宅は酒蔵の中にあったため、当然将来は酒蔵で働くものだと思っていました。

――家業に入るまでのキャリアを教えてください。

 酒蔵の後継ぎの多くは東京農業大学に通いますが、私は一般的な大学に通いました。父から「酒のことはいつでも勉強できる。他のことをやっておいた方が良い」とアドバイスされたからです。

 大学卒業後は、お酒とは直接の関係がない食品関連の卸会社に約4年半勤めました。

 経理部に所属し、管理会計から財務まで一通り経験しました。本当は営業も経験したかったのですが、営業は会社の看板が違えばやり方が変わってしまう一方、数字はどの企業でも変わりません。結果的には一番良いキャリアを歩みました。

小澤酒造は奥多摩の山あいにある酒蔵です

――4年半勤めた後、家業に戻ることになった経緯を教えてください。

 3年ほどで実家に戻ると決めており、前職の会社もそのことを知っていました。しかし、当時は先代の父も元気で、会社全体の財務を任せてもらう代わりに期間が延長となりました。

 それから1年半が過ぎた後、家業で営業部長が退職をすることになり、2012年に実家に戻ることになりました。ただし「名刺を出せば後継ぎということが分かってもらえるよね」ということから、役職は無しで一からのスタートでした。

――前職との違いについてはどのように感じましたか。

 びっくりするほどアナログでした。前職ではパソコンが1人1台配備され、出勤管理を社員証で行い、社内を統括するシステムを運用するのが当たり前でした。

 しかし、当時の小澤酒造はすべてが紙ベースで、パソコンも1人に1台は割り当てられていません。会社用の携帯電話も無くすべて個人携帯で仕事をしていました。「田舎の中小企業ってこんなもんなのかなぁ」と感じました。

 私の代になってからは、携帯電話とモバイルPCを1人1台配布し、事務職の従業員には全員デスクトップを設置しています。

 一方、大きな会社だと社員同士でも他人のような雰囲気がありますが、家業は社員同士の距離感が近く、アットホームだと感じました。

小澤酒造の醸造作業(同社提供)

――19年に家業の経営を引き継ぐことになりました。

 実家に戻った後は営業を任され、輸出の営業を活発に行い、米国や香港などを飛び回っていました。

 そんな中、父が大病を患ってしまいました。幸い病気は治りましたが、60歳を過ぎていたこともあって体力がなかなか戻りませんでした。

 酒蔵の仕事はすべてが体力勝負です。力仕事や宴席の仕事があり、時代のスピードも異常に早くなってしまい、最前線で仕事をするのが難しくなりました。

 結果的に想定よりも早い35歳で社長業を引き継ぐことになったのです。

――社長業を担うことになり、ご自身の中に変化はありましたか。

 当主になったばかりのころは不安もありましたが、新しい仕事ができる楽しみが勝っていました。

 社長になるまで「忙しいことが正義」と考えていました。しかし、社長就任後は今まで抱えていた営業の仕事がどんどん無くなって会社にいる時間が増え、悶々とするようになりました。

 そんなとき、ふと思い出したのが「多忙は怠慢の隠れ蓑」という言葉です。

 「忙しい」というのは良くも悪くも目の前のことに集中している状態で、ある種の満足感や達成感を味わえます。しかし、本当に大事なことや本質的なことがなおざりになってしまいます。

 特に現代では、感染症や地政学などの外部リスクが多分にあります。そういったものから逃げずにビジネスを見直していかなければならない。

 忙しくするための仕事はやめ、自社の価値につながる本質的な仕事を追求することにしました。それが社長になってからの一番大きな変化ですね。

小澤さんは35歳の若さで伝統の蔵を継ぎました

――社長として具体的にはどのような仕事を行いましたか。

 当主になってから手がけたことは大きく三つあります。

➀販売のオンライン強化
②観光部門の見直し
③輸出の強化

 販路を広げるために、ネットショップを改修し、広告は新聞などの紙媒体からデジタルにシフトしました。

 特にネットショップはハコだけを作るのではなく、メールマガジンの配信や、インスタグラムとの連動など運用面を強化しました。ただし、この超スピード社会で自社でノウハウを蓄積するには時間がかかりすぎるため、思い切って外注に出しました。

 コロナ禍前の19年までは、観光バスの受け入れを行っていました。蔵に団体客が来ればにぎにぎしくなるため、惰性でやっていた面があります。

 しかし、思ったより客単価が高くなく、ツアー会社への委託費などを勘定に入れると赤字であることが分かりました。

 「これからの観光はもっと個の時代になるため、高付加価値のサービスの提供が必要になる」

 そのように考えた結果、自社で運営している料亭「ままごと屋」を完全予約制とし、座席数を大幅に減らしました。お客様一人ひとりと向き合ったサービスの提供で、付加価値の向上を図りました。

 それまでは団体のお客様に向けて、一度に大量に出せるよう宴会用の料理がメインでした。

 しかし、完全予約制に切り替えたことで、出来立てで温かく質の高い料理を提供できるようになりました。

 座席数を減らしたことで売り上げは下がりましたが、食材のストックを減らすことができ、さらに人件費も抑制できたため、飲食事業の利益は大幅に改善しました。

 輸出は元々力を入れていましたが、社長になってから本腰を入れました。実際は国内営業と同じで現地に行けば売り上げは伸びます。

 既存のルートの米国や香港に加え、シンガポール、カナダなど積極的に訪問しました。その結果、ほぼ0%だった売上比率は5%にまでなりました。

――経営改革を進める最中の20年からコロナ禍に直面しました。

 まず大きな影響が出たのは、居酒屋などの飲食店向けです。会社全体の売り上げに対して飲食店向けは30%を占めており、かなりの痛手を負いました。

 冠婚葬祭需要の激減も響きました。結婚式でのたる酒や花火大会での振る舞い酒などはスポットの注文ではあるものの、売り上げ全体で2~3%はあった需要が、ほぼゼロになってしまいました。

小澤酒造の観光事業はコロナ禍でも人気を博しています(同社提供)

 一方、助けとなったのが観光部門です。コロナ禍で県境をまたいだ移動が制限される中、まん延防止重点措置の期間中は小旅行先として選ばれ、売上高はコロナ禍前と比較すると約120%で推移しました。

 社長就任時に改革を進めた観光部門の高付加価値化が、結果的に功を奏した形です。

 コロナ禍では新たにカフェを新設しました。当社はお酒を造る原料である「水」に重きを置いており、「澤乃井」のルーツであると考えています。コーヒーの提供で、お酒以外にも水の良さをつたえる努力をしました。

 緊急事態宣言下やまん延防止重点措置下では、カフェの設置で蔵に来場するお客様がお酒を飲まない方にシフトしました。ノンアルコールのサービスを提供できたことで、新規顧客の取り込みに成功しました。

 売り上げがほぼゼロに近かったネットショップも好調で、直近では売り上げの7-8%を占めるようになりました。

――アフターコロナへの展望や今後の課題は。

 飲食店を含めたお酒の需要は完全には戻らず、コロナ前と比較すると80%程度が関の山だと思います。

 まん延防止重点措置が明けた現在も動きは良くなっておらず、既存のモデルのままではいけないと考えています。

 今はブランドイメージの改善と人材雇用が課題になっています。

 ブランドイメージでいえば、当社は「東京の地酒蔵」という悩みを抱えています。売り上げのほとんどは東京の市場です。地方の酒蔵とは違い、都外で商売をしても「東京=地酒」のイメージが無く、「なんだ、東京の銘柄か」となかなか選んでもらえません。

 「いかに東京市場で、東京の地酒として認めてもらうか」の戦いになり、ブランドイメージの改善が必要になってきます。

小澤酒造の商品群(同社提供)

 具体的には生酒に注力したいです。「東京の地酒蔵」は強みでもあり、東京市場に対しては物理的な優位性があります。味が変化しやすい生酒を自社トラックで配送し、できたてのお酒を飲んでもらうことが可能です。

 一方、人件費が全体的に高騰し、日本酒業界で働きたいという人が少なくなる中、会社全体としてはローコストオペレーションを徹底する必要があります。

 一人ができるパフォーマンスをどれだけ最大化していくのかがポイントです。機械が対応できることは機械で行い、アナログな仕事はどんどんデジタルに移行する必要があります。

――社内の運営改革でこれまでに実行したことや、今後の目標を教えてください。

 既存の人員のままでECサイトの売り上げを2倍に伸ばしました。具体的には受発注システムを見直し、手書きだった伝票を自動で起こせるようにして、これまで一通一通確認していたメールを自動返信できるようにしました。

 今後もクラウドやSNSを活用し、大企業と遜色のない会社にするつもりです。人が行う作業をできるだけ自動化することで 蔵人には充実した働き方をしてもらい、地元の雇用を確保するのが私の目標です。

――コロナ禍においても国際的なコンクールで受賞するなど、前に進もうとしています。

 「澤乃井 純米大吟醸」が21年、フランスの日本酒コンペティション「Kura Master」で最高賞にあたるプレジデント賞に、312蔵960銘柄の中から選ばれました。

「Kura Master」のプレジデント賞を受賞した「澤乃井 純米大吟醸」(Kura Master運営委員会提供)

 日本酒の味わいはあえて大きく変えず、少しずつ改善を重ねてきました。奇をてらわず、地道に仕事をすれば道は開けることを確信した瞬間でした。

 「多忙を怠慢の隠れ蓑」にすることなく、東京の地酒蔵として酒も仕事も洗練させていきたいです。