豆腐は地球を救う? ヒット商品「TOFU BAR」に込められた豆腐愛
食品メーカー・株式会社アサヒコで、「TOFU BAR」などの商品開発を担った「プラントフォワードプロジェクト」を立ち上げたという事業部長の池田未央さんに、開発に関するエピソードや豆腐への熱い思いを聞きました。
食品メーカー・株式会社アサヒコで、「TOFU BAR」などの商品開発を担った「プラントフォワードプロジェクト」を立ち上げたという事業部長の池田未央さんに、開発に関するエピソードや豆腐への熱い思いを聞きました。
片手で手軽に食べられて、低糖質で高たんぱくの「TOFU BAR(豆腐バー)」。2020年11月に販売を始め、約1年で890万本以上を売り上げるほどのヒット商品になりました。
――「TOFU BAR」の開発には、アメリカでの市場視察が深く関わっていると聞きました。どのような経緯があったのでしょうか。
アメリカでは1990年代から豆腐の市場が徐々に拡大。2018年当時は植物(プラント)由来の原料から作られた食品である「プラントベースフード」の先進国としてビヨンドミートやインポッシブルミートなどの代替肉が市場で注目を集めていたという背景があり、視察をさせてもらうことになりました。
ただ、当時は私自身が入社から間もなく、さらに視察する現地に知っている人が1人もいない場所ということで、心細かったんです。
そんなときに訪れたカリフォルニア州・ロサンゼルスのスーパーで「TOFU」という文字を見かけ「知っている人がいる!」とまるで友人を見つけたような嬉しさを覚えました。そして豆腐が日本とはまったく違った形で活躍していることを知りました。アメリカ人は豆腐への先入観がない分、良質な植物性たんぱく質を含んだ食材として活用しているんです。
衣をつけて揚げたり、スパイスとメイプルシロップで甘辛く味付けして、カリっと焼いたり、柔らかいタイプはフルーツとミキサーにかけてスムージーにして飲んだり……。
その多彩さに「なんで日本人はこういう風に食べないの? もっと自由に豆腐を使ってもいいのに」と疑問を抱くようになりました。
柔らかいイメージが強い豆腐ですが、アメリカでは水分が少なく、落としても跳ね返ってくるほどの硬さのものが主流です。
そのためTOFU BARでも硬さを重視し、お肉のような弾力ある食べ応えを再現しました。コロナ禍と重なって、まだ1度しかできていないアメリカ視察ですが、TOFU BARの開発にとって重要なものとなりました。
――「スティック状」という形はどの段階で生まれた発想なのでしょうか。
はじめは、サラダにトッピングするダイスカットされた硬い「TOFU」をイメージし、手軽に植物性たんぱく質をとってもらうことを思いつきました。
ですが、市場に流通させるとなると、消費期限の関係上、殺菌工程で豆腐を熱加工する必要があります。
そうすると、せっかくカットしたのに豆腐同士がくっついてしまうんです。完成したものの、形状と消費期限との兼ね合いで私の追い求める豆腐とは違った形となりました。
その頃、コンビニに並ぶサラダチキンバーを目にし「これならば、手軽にいつでも植物性たんぱく質を摂取できる」という発想へと結びつき、片手で食べられるTOFU BARの原型ができました。
TOFU BARは普通の豆腐を作るような、豆乳ににがりを加えて固める製法です。
なので、後から何かを添加してたんぱく質を強化しているのではなく、身体に優しいたんぱく質を自然に摂ることができます。
植物性たんぱく質や魚由来のたんぱく質などバリエーションが増えることで、消費者の方にとってもより多くの選択肢ができ、自由度も増すと思います。
――試作のため、石川県の企業に何度も足を運んだそうですね。
当時、アサヒコの工場には、私が求める硬い豆腐に味を付けるための設備がありませんでした。そのため、新しい設備に投資をする必要がありました。そこで設備が整っている企業に協力をいただき、試作を繰り返しました。
もちろんすぐに成功するわけではないので、新幹線や飛行機で何度も通わせてもらい、朝から晩まで試す日々でした。企業の方には「またですか」と少し呆れられるほどでしたね。
――池田さんが入社した2018年当時から、豆腐業界は縮小傾向にありました。
豆腐のメインユーザーが高齢化し、若者の消費量が減っているのが豆腐業界の課題でした。
アンケートを取ると、食生活は変化しているにもかかわらず、豆腐の食べ方は数十年前とほとんど変わっていないことがわかりました。さらに毎日のように食べている人となると、年配の方がほとんど。
ただ「ソイラテ」など大豆にまつわる製品は人気ですし、若者に受け入れられるポテンシャルはあるはずだと思っていました。だからこそ、若者も食べられるような、進化した豆腐を作りたかったんです。
――基本フレーバーの「和風だし」と「柚子胡椒味」はどうやって生まれたのでしょうか。
ベンチマークとしていたのがサラダチキンだったので、ラインナップにある味つけはひと通り試しましたが、豆腐には合いませんでした。
さらに「カレー味」や「すき焼き味」、「ワサビ味」などのフレーバーを試しましたが、味が濃すぎるのも良くありませんでした。豆腐の奥ゆかしさに合わないというか……似合わない服を着せているような不自然さがあるんです。
現在は味噌汁をイメージした「和風だし」、鍋に入れる薬味をイメージした「柚子胡椒味」の2種類にしています。どちらも豆腐の無垢(むく)な味わいを引き立てられる味付けになったと思っています。
――お話をうかがっていると強い豆腐愛を感じます。豆腐への熱量は元々高かったのでしょうか。
転職するまで、豆腐への思い入れは一般の人と変わらなかったと思います(笑)。入社してから豆腐の作り方をいちから学び、製造過程なども間近で見るようになりました。そこで、水の違いや絞り方だけで味が大幅に変わる奥の深い食材ということを知って……。
各社の製品も食べ比べることで、味や舌触りの違いも感じられるようになりました。今では毎食のように豆腐を食べて「こんなに豆腐のことを考えたことはないのでは」というくらい豆腐のことばかり考えていますね(笑)
ちなみに、醤油や薬味をかけずそのまま食べると、味の違いが分かりやすいのでおすすめです。
とにかく豆腐は特売の対象になるなど、ぞんざいに扱われがちです。そんな食べ方をされてもしっかりとおいしく、それを受け入れてくれる豆腐の懐の深さというか……。
「なんと奥ゆかしい食べ物なんだろう!」と豆腐への愛は知れば知るほど増していきます。
――前職は同じ食品業界でも、菓子業界でブランドマネージャーなどを担当していたんですよね。菓子業界で得たスキルや知識は、アサヒコでどのように活かされていますか。
私は20年近く菓子業界に身を置き、国内や海外、コンビニやスーパーをはじめ、お土産や百貨店など、ひと通りのお菓子に携わることができました。そこで、お菓子は国境や年齢・性別を超えて人を幸せにしてくれる「心の栄養」だとしみじみ感じたんです。だって、お菓子を食べて怒る人はいませんよね。口にするとつい微笑んでしまうし、落ち込んだ時の助けになります。
そして「今度は身体の栄養も考えたい」という考えに至り、アサヒコに転職しました。
「人生100年時代」と言われていますが、これからは生き生きと暮らすことが重要になってくるはず。そんな世の中で、今まで培ってきた知識や経験も活かせたらいいなと。
畑は違えど、自分の中で共通しているのは「食を通して社会に貢献したい」という思いです。自分が世に送り出した商品たちが人のためになればという思いが根底にあります。
――はじめての豆腐業界でTOFU BARを開発するにあたり、開発メンバーとはどのように連携しましたか。
コンセプトがうまく伝わらなかったのか、当初は社内でも理解を得られませんでした。
ですが、調査を重ねて、自分の中にあるTOFU BARのイメージを伝えられるようになると、開発メンバーと役割分担をして進めていくことができました。
「バータイプ」というコンセプトが固まってからは、目的意識も共有でき、一丸となって開発に取り組めたと感じます。
私は豆腐に関して素人なので、豆腐の製造や開発に長らく携わっている社員からすると発想がぶっ飛んでいたのかもしれません(笑)
一方で開発メンバーも「豆腐はこういうもの」という確固たるイメージがあるので「豆腐バー」という発想はなかったのかもしれません。
素人と玄人が協力することで、新しいアイデアと確かな技術と知識が組み合わさり、ヒット商品になったのかもしれません。
――精力的に活動されている池田さんですが、これまでに生まれた苦難や壁をどのように乗り越えてきたのでしょうか。
前職でキャンディーの開発を担当していたとき、家事をしながら食べている主婦層が多いということがわかりました。
さらに調査を進めると「家族のために頑張りたい」という使命感やポリシーを持ち、面倒な家事に取り組むための気持ちをギアチェンジするきっかけとしてキャンディーを食べているということがわかりました。
「それなら彼女たちを応援するため私はもっと良い商品を開発しよう」と励むようになりました。
その思いは現在とも共通していますし、自分がくじけそうになっても「私が途中で諦めちゃいけないんじゃないか」という思いで踏ん張ることができます。
自分が力を尽くしている様子は、社内のメンバーにも熱量として伝わるはずだし、商品を通してお客さんにも通じるはずだと信じています。
――アサヒコでの今後の展望を教えてください。
2022年1月からはTOFU BARの生産ラインを自動化する予定です。それに伴い、豆腐の良さを引き出す新フレーバーも追加していきたいです。
食感や味のしみこみやすさ、タンパク質の含有量など改良の余地はまだまだあります。
食品業界ではようやく形にできたと思っても、改良ができたり新たなステージが見えてきたりするので、ゴールがなく延々と続けられる仕事です。TOFU BARも今が完成形ではなく、まだ進化の途中だと思っています。
豆腐の活躍をアメリカで目にして以来、「やはりポテンシャルの高い食べ物なんだ」と改めて納得しました。
TOFU BARを皮切りに、日本においても「豆腐のお肉」や「豆腐のごはん」のように、もっと豆腐が輝けるような商品を作っていきたいです。
――「TOFU BARで宇宙進出したい」という野望があると聞きました。
ぜひ、宇宙でもTOFU BARが食べられるようになってほしいですね。宇宙空間だと筋力も衰えるでしょうし、きっとたんぱく質は重要な栄養素になるはずです。
ただ、宇宙に行く前にまず「世界征服」を叶えたいです! 今、人口増加などに伴い肉の需要がどんどん高まっています。
加えて環境負荷が高い肉は価格が高騰する可能性があり、そうなると自給率が低い日本において、肉を食べられない時代が訪れてもおかしくないでしょう。
日本人がたんぱく質を摂取できず、健康リスクにさらされる可能性を避けるためにも、古くから日本で親しまれていた「植物性たんぱく質」をより手軽に摂取できるようにすべきだと考えています。
いずれは世界中で、もっと豆腐が浸透すればすばらしいと思っています。
「どうしたら豆腐を食べてもらえる?」から始まったプロジェクトですが、次第に、地球の環境や人々の健康を包括的に解決する鍵は植物性たんぱく質、つまり豆腐なのではと考えるようになりました。
――最後に、池田さんのアイデアや熱量の源を教えてください。
マーケティングや企画を担当していると「創造する力が豊富なのでは」と思われがちですが、決してそうではありません。
これまで開発した製品は、大それた発想から生まれたわけではなく、日常の生活に転がっている「もっとこうなったらな」が原点です。
TOFU BARなら「豆腐を外で食べられたらいいな」から始まっていますし、考えるだけなら頭の中で、0円でできますよね(笑)
そして、何か感情が動くことがあれば「なんで私はこれが嬉しいんだろう」と1度冷静に考えてみるようにしています。
「だから~なのか」と自分の内面を振り返る癖をつけることで、お客様が興味や関心を持つきっかけの理解につながり、追求していくとそれが商品になっているんです。
好きなものがどうしても見つからないという人は、いつも答えを外に追い求めているのかもしれません。自分の外ではなく、内に向き合ってみてください。
池田 未央(いけだ・みお)。愛知県生まれ。国内外の菓子メーカーでマーケティングや商品開発を担当。2018年、株式会社アサヒコに入社し「TOFU BAR」や「TOFFU PROTEIN」シリーズを手がける。
(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2022年1月13日に公開した記事を転載しました)
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