激安アウトレットのガットリベロ 2代目が「普通じゃない父」を超える日
全ての商品が一般流通価格の半額以下という激安アウトレット店「222(トリプルツー)」を展開するガットリベロ株式会社(本社・滋賀県栗東市)。1号店の出店から4年のうちに店舗網を8店に広げ、テレビやネットニュースで取り上げられるなど快進撃を続けています。2代目社長を目指して修行中の荒木亮太郎さん(23)と、父で創業社長の荒木伸也さん(51)に話を聞きました。
全ての商品が一般流通価格の半額以下という激安アウトレット店「222(トリプルツー)」を展開するガットリベロ株式会社(本社・滋賀県栗東市)。1号店の出店から4年のうちに店舗網を8店に広げ、テレビやネットニュースで取り上げられるなど快進撃を続けています。2代目社長を目指して修行中の荒木亮太郎さん(23)と、父で創業社長の荒木伸也さん(51)に話を聞きました。
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ガットリベロの前身は、社長の伸也さんが2005年に立ちあげたネット古書店「かっぱ堂」です。事業を始めたきっかけは、自宅にあった思い入れのある蔵書をネットオークションに出品したことでした。あっという間に売れ、購入者は喜びのコメントを残してくれたのです。
自分にとっての不用品が、必要とする人に届いて喜ばれ、お金になる――。ネットビジネスに可能性を感じた伸也さんは、自宅を拠点に「かっぱ堂」を開きました。実店舗で安く買い集めた古本を、ネットで販売する事業です。
ある程度のお金がたまると、築年数の古い建物を借りて事業所に。古本に加え、中古のCDやゲームソフトも扱うようになりました。一定の資金がたまるたび、少しずつ大きな建物に引っ越しました。
激安アウトレット店という現在の事業モデルに転換したのは2011年です。2015年には商号をガットリベロに変更。2018年に初の実店舗を出して以来、4年間で滋賀・京都・大阪・三重・神奈川の5県に8店舗を展開。パート・アルバイトを含めた従業員数は120人にのぼります。
激安アウトレット店の事業はどのように生まれたのでしょうか。きっかけは、2011年の東日本大震災でした。被災した知人から、地震の影響で落下した商品を買い取ってほしいと頼まれ、「かっぱ堂」でネット販売したのです。
これを機に縁が広がり、過剰在庫やネット通販で返品された商品、パッケージに傷があったり賞味期限が近かったりで一般の店では販売できない品々を買い取る機会が増えました。伸也さんはショックを受けると同時にビジネスチャンスを見いだします。
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「商品自体に問題がないのに販売できない。そんな物がこんなにあるのかと驚きました。廃棄予定の品々を見て、もったいないと思ったのです。一方、パッケージの破損や箱つぶれを気にしない人もいるはずです。それでも買いたいという人に安く届けたい、と思いました」
こうして一般の店が販売できない「訳あり」商品をネットで募って買い入れ、市場価格より大幅に安く売ることにしたのです。2015年1月、楽天市場やYahoo!ショッピングに出店しました。
ECサイトでの販売は順調でした。ただ、商品は安いのに、送料がかかる点に伸也さんは違和感を抱きます。
どうにか送料の負担なしにお客様に商品を届けられないか――。そんな思いから2018年、滋賀県栗東市に実店舗「222(トリプルツー)」をオープンします。
何とか開店にこぎつけたのはよかったものの、電気工事が間に合わず、当初は夕方になると店内が真っ暗でした。来店客は携帯電話の明かりを頼りに商品を探していたといいます。
伸也さんは「2018年の日本の話とは思えないでしょう?」と笑いながら、「お客様も楽しそうで、私も楽しかった」と振り返ります。実店舗に手応えを感じた伸也さんは、4年で8店というスピード出店を続けました。
「222」という店名には、「捨てられるものに『2度目』の命を吹き込み、地球に優しく平和(ピース)な取り組みを通じ、笑顔(ニコ)が広がってほしい」という思いが込められています。
ガットリベロでは現在、伸也さんの長男・亮太郎さんが、将来の事業承継を見据えて奮闘中です。子ども時代、伸也さんの姿はどう映っていたのでしょう。亮太郎さんによると、経営者としての父を尊敬する気持ちがある一方、恥ずかしいと感じたこともあるそうです。
「小3から野球を続けてきたのですが、父が送迎や応援に来るときはすごく恥ずかしい思いをしました。今ではすっきりした見た目ですが、当時はいかつい格好で、野球道具の載らない2ドアの外車で現れるんです。ほかの親御さんとは明らかに違いました」
伸也さんは「確かに見た目も考え方も普通ではなかったと思います。ただ、普通や当たり前とは違う感覚も、経営者には大切です」と笑います。
様々な経験をして広い視野を持ってほしいという伸也さんの思いもあり、亮太郎さんは県外の寮付きの高校に進学。高校でも野球に打ち込み、都内の大学の経営学科に進みました。
「野球は高校までと決めていました。将来、野球で食べていくのは難しいからです。明確な将来の夢はなく、『東京に出て遊びたい』くらいの気持ちで大学に進みました」
大学卒業後の2021年、亮太郎さんは都内のIT関係の会社に就職しました。そこでは大半の社員が、入社から数年で独立するといいます。
「最近まで、ガットリベロを継ぐことは考えていませんでした。2世ではなく、新しいことをやりたい、何かを作り出したいと思っていたからです。26~27歳くらいで起業したいと考えていました」
一方の伸也さんも、後を継がせようとは思っていませんでした。
「息子には息子の人生があって、やりたいこともあるでしょう。事業を継ぐ以外の人生もいいと思っていました。それに、息子が小さい頃、よく『お前には継がさへん』と言っていました。甘えられては困るからです」
そんな亮太郎さんの運命を変えたのが、「222」の東京・新宿への出店です。2020年12月から1年4カ月、期間限定で営業しました。取り壊し予定のあるテナントを、通常の半分ほどの家賃で借りたのです。主な目的は首都圏での知名度向上でした。
ただ、当時はすでにコロナ禍のまっただ中。以前に比べれば人通りは少なく、収支は厳しかったといいます。
一方、プラスの影響もありました。本社のある滋賀県を中心に店舗を展開していたため、関西圏では「222」は知られた存在でした。その店舗の東京進出とあり、激安商品の珍しさも相まって、テレビやネットニュースで引っ張りだこになったのです。
そして「222新宿店」のオープニングスタッフとして関わることになったのが、東京で1人暮らしをしていた大学生の亮太郎さんでした。
「アルバイト先がコロナ禍で休業し、収入が途絶えてしまったんです。当時は大学4年生で、就職も決まっていました。生活を維持するため、オープン前の11月から新宿店で働くことにしました」
新宿店で働くようになり、亮太郎さんは伸也さんと話す機会が増えたといいます。次第に「父はたった4年で8店をオープンさせた。身近にこんなにすごい人がいる。この人に学びたい」という思いが強まりました。こうして亮太郎さんは、就職先を3カ月ほどで辞め、2021年7月、ガットリベロに入社します。
伸也さんは「会社を辞めるから雇ってほしいというのでは困ります。しかし、事業を継ぐために学びたいという本気度が伝わったので、受け入れました」と振り返ります。
「もともと弊社の採用には、国籍も性別も年齢も学歴も関係ありません。やる気がある人を積極採用し、頑張っている人に相応のポストや報酬を与えるよう努めています」
入社した亮太郎さんを待っていたのは、伸也さんからの「むちゃぶり」でした。新宿店のオープニング経験があったことから、いきなり川崎港町店(川崎市)の店長に指名されたのです。そこでの頑張りを評価され、3カ月後には平野店(大阪市平野区)の店長になりリニューアルオープンを担当。さらに3カ月後には、野洲店(滋賀県野洲市)の店長を兼務で任されました。
亮太郎さんは「2店舗兼任は正直大変です。スタッフの大半は年上ですし、時には1回りも2回りも違います。『挑戦させてもらっているのだから頑張ろう』とポジティブに考え、思い切って取り組んでいます」と話します。最初は無理だと思っていたのに、何とかこなすうちに、やる前から諦めないという気持ちが強まったそうです。
伸也さんの助言から学ぶことも多いといいます。例えば、店舗運営ではルール作りが大切だと指摘されたそうです。
「以前はアルバイトの方に『品出しを何個して下さい』と言うのは偉そうだし、できれば言いたくありませんでした。でも、アルバイトの方は経営者ではないので、会社を大きくしたいと考えてくれる人は少数派です。するとやはり『品出しは何個する』『この時間はこれをやる』といったルール作りが必要だと気づきました」
伸也さんは厳しくも温かい目で亮太郎さんを見守ります。亮太郎さんの社会経験の少なさを指摘し、様々な店舗の運営を通じ、失敗をバネにできる強さを身につけさせたいと話します。
「社長の息子をわざわざいじめる人は少ないので、人間関係で嫌な思いをすることはあまりないでしょう。でも、嫌な思いやつらい経験をすることで、人の痛みの分かる、優しい人間になれます」
さらに、経営者になるならみんなと同じでは駄目だといいます。人の2~3倍のスピードで仕事をこなし、普通でない決断を下すことも時に必要だと伸也さんは考えます。
「初代は自分の思うように経営できますが、2代目は大変です。初代が作り上げたものを崩しにくい。しかし、長く生き残るには、既存のものを守りつつ進化させる必要があります。視野を広く持ち、私とは違う感覚を養い、早く私を抜いてほしいと思います」
2022年4月には8店目となる芸濃店(三重県津市)をオープン。三重県内にはもう1店を出店予定といい、「222」の勢いは止まりません。2代目を目指す亮太郎さんは、こう決意を語ります。
「今までと同じことを続ければいいとは思っていません。でも、まずは事業を拡大し、『222』をもっと多くの方に知っていただきたいです。そのために、父や先輩スタッフの方々から毎日多くのことを学びたいと思います」
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