目次

  1. 連休は年4日 誇らしかった働く父の姿
  2. 突然の社長就任 無我夢中で覚えた仕事
  3. 紹介のおかげで顧客開拓 売上は右肩上がり
  4. コロナ禍で打撃 一般客開拓へネット販売
  5. ラーメン自販機「月500食売らないと赤字」 
  6. 折り込みチラシやインスタで全年代に発信

 「渡辺中華製麺」は吉野川の河口近くにある小さな製麺所で、現在パートを含む10人が働いています。創業当初は家族経営で、屋台向けの徳島ラーメンの麺だけを作っていました。

 その後、渡辺さんの父で、現在は取締役として製麺所をサポートする廣司(ひろし)さん(71)が2代目社長に就任。販路を広げようと、ラーメン店や中華料理店に営業をかけました。麺の種類を増やしたほか、彼らが必要とするギョーザの皮の製造を始め、麺と一緒に売り込みました。これが奏功し、新しい取引先を大きく増やすことができたのです。

 渡辺さんの子ども時代、製麺所の定休日は日曜だけで、大みそかと正月三が日の4日間が唯一の連休でした。連休中は家族旅行が恒例行事で、渡辺さんにとって大きな楽しみでした。「もっと家族で過ごす時間がほしい」という思いはあったものの、懸命に働く父の姿が誇らしかったといいます。

工場の門を背景に撮影した、渡辺さんの幼少期の写真

 渡辺さんは大学卒業後、神戸市内のIT企業に就職し、保守などの業務を担当していました。3人兄弟の長男だったこともあり、「いつか実家に戻って家業を継ぐことになるかもしれない」とぼんやり考えることはありました。ただ、神戸での生活が気に入っていたこともあり、当面戻る気はなかったそうです。

 「幼い頃から見てきましたが、製麺所の仕事は早いと午前3時に始まります。午前10時頃に製造が終わると、その後は営業です。休みがありません。家業を継ぐなんて絶対に無理だと思っていました」

渡辺中華製麺の工場外観

 神戸での暮らしや、早番・遅番のシフト勤務にも慣れた社会人4年目。2代目として製麺所を切り盛りしていた父が倒れたとの一報を受け、帰郷することになります。2007年、27歳のときでした。

(続きは会員登録で読めます)

ツギノジダイに会員登録をすると、記事全文をお読みいただけます。
おすすめ記事をまとめたメールマガジンも受信できます。