目次

  1. 売上はピークの5分の1、廃業も検討
  2. 「家業も日産のように立て直しを」
  3. 支出を点検、段ボールからガス代まで
  4. 温度管理の装置、自作して経費節減
  5. 中国から販売開始、異例の日本酒
  6. ライブコマース効果で中国売上は最高

 金谷酒造店は創業153年の、まちの小さな酒蔵です。看板銘柄の「高砂」で知られ、「高砂の梅酒」は国内の品評会でも高評価を得ています。酒蔵を改造したレストラン「高砂茶寮」を運営する別会社も合わせ、従業員数は約20人です。

 かつて成長の原動力になったのは、石川県内各地に設置された自動販売機での日本酒販売でした。しかし、国内の清酒出荷量がピークを迎えた1973年ごろを境に、金谷酒造店の売上も下降線をたどり始めます。未成年者の飲酒防止のため、自販機の撤去が進んだことも打撃となりました。

 金谷さんの父で7代目の芳久社長(73)は状況を打開しようと、金谷酒造店の酒とともに料理を提供する「高砂茶寮」を2003年にオープン。しかし逆風は続き、2014年には売上がピーク時の約5分の1にまで落ち込みました。2015年に発売した「麴(こうじ)あまざけ」がヒットし、やや持ち直したものの、なお厳しい状況が続いていました。芳久社長は廃業を考え始めます。

「酒蔵レストラン 高砂茶寮」。酒蔵を改造し、自社の酒に合うフランス風懐石料理を出している(金谷酒造店提供)

 金谷さんは3兄弟の次男として生まれました。芳久社長は金谷さんだけでなく、兄にも弟にも「継いでほしい」と言わなかったそうです。金谷さん自身、家業に関わるつもりはなく、大学進学を機に故郷を離れ、自動車関係の学科に進みました。

 日産車体に就職すると、品質管理や品質保証を担当しました。ここで学んだことが、のちに金谷酒造店を改革する際の礎になっているといいます。

 「その頃の日産は、カルロス・ゴーン最高経営責任者(CEO、当時)による日産リバイバルプランの真っ最中でした。倒産寸前からV字回復する過程で何に取り組んだのか、内部で見ることができました」

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