目次

  1. 東京への憧れで製菓学校へ
  2. 6畳一間、共同生活の和菓子修行
  3. 「お前の代になったら潰れる」と言われ
  4. 「金額が高い=売れない」の概念を破りたい
  5. 活動の幅を広げるために法人化を決意
  6. 1本1万円の「万羊羹」を開発
  7. 和菓子文化を海外へ

 和菓子店「風月堂」は、3代目藤田浩一さんの祖父・光彦さんが、地元にまだ車のない時代に自転車で和菓子の卸し販売をしたことがはじまりです。

初代・光彦さんと妻のやすさん。店舗の前にて。当時は卸売が専門だった(同社提供)

 姉2人を持つ末っ子長男の浩一さんは、幼い頃から取引先に「跡取りができてよかったね」と声をかけられることが多く、店を継ぐことは当たり前だと思い育ってきたそうです。

 ただ、父・正照さんから家業を継いでほしいと言われたことは一切ありませんでした。思春期にはパソコンに興味を持ち、SEを目指して情報処理科のある高校へ進学します。プログラミングなどを学び、日々パソコンに向かって励みますが、国家試験で挫折。「一生続ける仕事として自分には向いていないかもしれない」と悟り、高校3年生の時にはその道を諦めたそうです。

 目標は失ったけれど東京には行きたい……。進路について悩んでいると、「製菓の専門学校だったら東京に行ってもいいよ」と母から声をかけられます。

 「そのときは、『本当に東京に行っていいの!?』とうれしくて、東京への憧れだけで専門学校への進学を決めてしまいました。安易に考えていて、家業を継ぐことはあまり意識していませんでした」

 専門学校で2年間徹底的に和菓子を学ぶと、浩一さんは徐々に和菓子の世界にひかれていきました。

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