目次

  1. 規格外のサツマイモを加工した看板商品
  2. 就活で感じた男女の差、大手系列のSEに
  3. 徳島銘菓「金長まんじゅう」との出会い
  4. 観光施設が不振「このままじゃダメだ」
  5. 女性社員が出産を理由に辞めない理由
  6. ベトナム進出に挑戦、新会社社長は妹
  7. コロナ禍で痛感 多様な販売経路の大切さ
  8. コオロギクッキー開発で試行錯誤
  9. 父の理念を継ぎ、私なりのやり方で

 市岡製菓は1949(昭和24)年、沙織さんの祖父・友三郎さんが創業しました。自宅でケーキやあめなどを作り、店で売っていたといいます。やがて県外の問屋との取引が始まり、日持ちして流通させやすいかりんとうを主力商品に据えました。長らく家族経営でしたが、1973年に法人化しました。

 沙織さんの父・通裕さん(69)が社長在任中の1990年ごろ、現在の看板商品の1つ「焼ぽてと」を発売。それまで「大きすぎる、小さすぎる、曲がっている」といった理由で捨てられていた規格外のサツマイモ「鳴門金時」の加工品です。その後も木頭(きとう)ゆず、阿波やまもも、伊島のよもぎといった徳島県の農作物をお菓子に加工し、主にスーパーやコンビニ、菓子卸業者向けにBtoBで販売しています。

 直近の売上高は約9億2500万円。従業員は63人で、社員とパートが半々です。

市岡製菓の看板商品である「焼ぽてと」。規格外のサツマイモ「鳴門金時」を使い、しっとり焼き上げた=同社提供

 沙織さんは2人姉妹の長女として生まれました。父・通裕さんからは「やりたいことをやればいい」と言われて育ちましたが、「本当は継いでほしいという思いは漏れ伝わっていた」といいます。

幼少期の市岡沙織さん(中央)。母(左)、父とともに

 いずれ家業に挑戦したいという漠然とした思いを抱えつつ、兵庫県の大学に進学。まずは父から離れて社会人経験を積みたいと、就職活動を始めます。1999年ごろのことです。

 当時は「総合職は男性のみ」と女性に門戸を閉ざす会社も多かったといいます。同じ会社に同じ日に資料請求しても、男性より1カ月遅く書類が届くような現状に沙織さんは疑問を感じます。

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