「出産で辞めた社員はゼロ」 市岡製菓3代目自身も感じた職種替えの利点
創業73年の市岡製菓(徳島県小松島市)は、徳島県産の農作物を使った商品を製造・販売するお菓子メーカーです。女性が働きやすい会社として知られ、出産を理由に辞めた社員はここ20年で1人もいないといいます。創業家3代目の市岡沙織さん(43)は、自身も2度の産休・育休を挟みながら、2018年に社長に就きました。強いリーダーシップで会社の基盤を築いた父の経営理念を引き継ぎ、時代に合った会社のあり方を探っています。
創業73年の市岡製菓(徳島県小松島市)は、徳島県産の農作物を使った商品を製造・販売するお菓子メーカーです。女性が働きやすい会社として知られ、出産を理由に辞めた社員はここ20年で1人もいないといいます。創業家3代目の市岡沙織さん(43)は、自身も2度の産休・育休を挟みながら、2018年に社長に就きました。強いリーダーシップで会社の基盤を築いた父の経営理念を引き継ぎ、時代に合った会社のあり方を探っています。
目次
市岡製菓は1949(昭和24)年、沙織さんの祖父・友三郎さんが創業しました。自宅でケーキやあめなどを作り、店で売っていたといいます。やがて県外の問屋との取引が始まり、日持ちして流通させやすいかりんとうを主力商品に据えました。長らく家族経営でしたが、1973年に法人化しました。
沙織さんの父・通裕さん(69)が社長在任中の1990年ごろ、現在の看板商品の1つ「焼ぽてと」を発売。それまで「大きすぎる、小さすぎる、曲がっている」といった理由で捨てられていた規格外のサツマイモ「鳴門金時」の加工品です。その後も木頭(きとう)ゆず、阿波やまもも、伊島のよもぎといった徳島県の農作物をお菓子に加工し、主にスーパーやコンビニ、菓子卸業者向けにBtoBで販売しています。
直近の売上高は約9億2500万円。従業員は63人で、社員とパートが半々です。
沙織さんは2人姉妹の長女として生まれました。父・通裕さんからは「やりたいことをやればいい」と言われて育ちましたが、「本当は継いでほしいという思いは漏れ伝わっていた」といいます。
いずれ家業に挑戦したいという漠然とした思いを抱えつつ、兵庫県の大学に進学。まずは父から離れて社会人経験を積みたいと、就職活動を始めます。1999年ごろのことです。
当時は「総合職は男性のみ」と女性に門戸を閉ざす会社も多かったといいます。同じ会社に同じ日に資料請求しても、男性より1カ月遅く書類が届くような現状に沙織さんは疑問を感じます。
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そんな中、情報系・IT系企業は採用担当者も若く、男女を区別なく扱っているように見えました。沙織さんは大手メーカー系のシステム会社に就職し、システムエンジニア(SE)になります。
再び小松島市の実家で暮らしながら、徳島市内の職場に通勤しました。毎日終電で帰るような時期もありましたが、上司や同僚に恵まれ、やりがいのある日々だったといいます。図書館の蔵書管理システム構築など、大きなプロジェクトも担当しました。
20代後半にさしかかったころ、「将来の結婚・出産などを考えると、家業に入るかどうか、そろそろ決断の時だ」と感じました。市岡製菓の経営を担うのは不安だけど、将来的に挑戦するかは家業を経験してから決めたい、経験さえしないのは継がせようと頑張っている父にも申し訳ない――。そう考え、「家業も一度経験したいし、帰ろうかな」と伝えると、通裕さんは大喜びだったといいます。こうして4年半の会社員生活を終え、2006年、市岡製菓に取締役として入りました。
最初のうちは通裕さんと一緒に協力農家を訪ね、新しい果物をどう加工するかといった商品開発や営業の仕事を担いました。まもなく、徳島の製菓業界にとって大きなできごとが起きます。徳島銘菓として抜群の知名度を持つ「金長まんじゅう」を製造するハレルヤ製菓が経営危機に陥ったのです。
市岡製菓から見ると、事業規模はハレルヤ製菓の方が上です。協力会社として商品を製造・納品する取引先でもありました。結果的に市岡製菓は2008年、ハレルヤ製菓から有償で事業譲渡を受け、雇用を維持したまま経営を引き継ぎました。
「当時、私や母も含めて話をしましたが、最終決断したのは父です。父は常々『お菓子は文化』と言っています。金長まんじゅうを始め、ハレルヤ製菓が徳島に根付かせた文化を徳島の同業者として引き継ぎたい。そんな思いで決めたのだと思います」
旧ハレルヤ製菓は現在「ハレルヤ」として、市岡製菓グループの一角を占めます。市岡製菓の小売店舗運営会社である「五線譜」も含め、3社とも沙織さんが社長を務めます。のちにベトナムで設立した「市岡製菓ベトナム」も合わせ、グループ4社の従業員数は約150人に拡大しました。
2009年に第1子の出産と育休を経験し、職場復帰した沙織さん。担当したのが、ハレルヤの本社工場を一部改装した「ハレルヤスイーツキッチン」の立ち上げです。
工場見学やお菓子づくり体験ができるほか、できたてのお菓子を食べられるカフェもあります。徳島県と淡路島を結ぶ鳴門大橋(大鳴門橋)から来やすく、徳島空港も近い立地から、観光客の立ち寄れる施設と位置づけました。ただ、集客では苦労したといいます。
「この手の施設はまず地元で有名になり、それから観光客を呼び込むというのが、経営セミナーなどでよく聞くセオリーです。2011年6月の開業時は、物珍しさからにぎわいました。でも年末にお客さんの少ないお店を見て、このままじゃダメだとやり方を変えたんです。観光客をどんどん呼び、その声を拾いながら改善を繰り返すことにしました」
翌2012年の年明けから、沙織さんは旅行会社への営業を強化します。検索結果に並ぶ旅行会社に訪問アポを入れ、ハレルヤスイーツキッチンを売り込みました。徐々に観光バスが来るようになると、添乗員への聞き取りにも力を入れました。
「施設に立ち寄る時間はないが、お土産がほしい人は多い」と聞けば、事前にパンフレットを配ってバス車内で注文を受け、商品を積み込みました。飛行機に乗るまでのつなぎとしても寄れるよう、工場見学は通常版以外に短縮版も用意しました。関西や中国地方から阿波踊りを見にいく途中で立ち寄る客が多いと聞くと、酒販免許を取得してビールの販売を始めました。
こうしてハレルヤスイーツキッチンの運営は次第に軌道に乗りました。2013年、沙織さんは第2子出産のため、再び産休・育休に入ります。
沙織さんを含め、市岡製菓では女性が出産後に職場復帰するのが普通です。「出産をきっかけに仕事を辞めた人は1人もいないと思う」と沙織さんは言います。なぜそんなことが可能なのでしょうか。
秘密は柔軟な職種変更にあります。例えば、東京へ泊まりがけで出張して営業活動をする女性がいたとします。出産後、小さい子どもを見ながら同じ仕事を続けるのは困難です。このため職場復帰する際、店舗接客や品質管理、商品開発など、泊まりがけの出張を伴わない部署で働いてもらいます。その分野の知識を深め、やがて子育てが一段落ついたら再び営業に、と臨機応変に職種替えしています。
「従業員全体の男女比は1対3、社員に限っても2対3で女性が多く、お互い様の風土があるのかもしれません。同じ仕事を長く続けると、属人的な部分が生まれたり、考えが偏ったりしがちです。私自身、2度目の産休に入る前、社内会議で店舗運営の視点に寄った発言をしすぎていると気づき、危機感を覚えました。広い視野を養う意味でも、出産を機に別の職種に就くのはいいことだと思います」
2014年、沙織さんは2度目の育休から復帰します。その頃から次第に、通裕さんは社外の公益活動に力を入れ始め、実務を少しずつ沙織さんに委ねていきました。
同時期に進んだのが、新規事業であるベトナム進出計画です。国内の人口減少を考えると、海外に目を向けるべきだと通裕さんは考えました。大手があまり進出していないこと、米食や蒸す調理法など食文化が近いこと、親日国であること、発展著しいASEAN(東南アジア諸国連合)で地理的にほぼ中心にあること、通裕さんの古い友人がいることなどから、ベトナムを選んだといいます。
ジェトロ(日本貿易振興機構)の支援を受け、市場調査を進めました。ただ、何度出張を重ねても、具体的な見通しや手応えを肌で感じるには至りませんでした。「会社を作り、人を雇って、商品が1個でも売れれば伝票が動く。そうすればいろいろなことが見えてくるはずだ」(沙織さん)と、現地企業と合弁会社を作り、テスト販売に取り組みました。その結果、新たな挑戦として、自社単独で新会社を立ち上げることにしたのです。
ベトナム工場操業のめどが立った2018年1月、沙織さんは39歳で市岡製菓の社長に就きました。ベトナム現地法人である「市岡製菓ベトナム」の社長を務めるのは、妹の志麻さん(37)です。通裕さんは会長として、日本とベトナムの両方を見ています。
ベトナムでは材料を現地調達し、ベトナム国内で製造・販売しています。ベトナム事業はまだまだ小さく、先行投資の段階といいます。それでもパッケージにドラえもんを描いたどら焼きは「ドラえもんケーキ」として一定の知名度を得ているそうです。事業が軌道に乗れば、ASEAN地域への輸出なども検討するといいます。
社長就任の2年余り後、コロナ禍が到来します。特に打撃を受けたのは、同じ市岡製菓グループのハレルヤの事業です。小売業向けの流通卸として商品を製造するBtoBの市岡製菓と異なり、ハレルヤは主に県内での観光や贈答の需要に応えるBtoCの業態です。人の動きが止まり、空港や駅、物産館などの店舗の売上は一気に鈍りました。
沙織さんが開業を手がけた「ハレルヤスイーツキッチン」も風景が様変わりしました。それまで毎日、観光バスが少なくとも数台は来ていたのに、コロナ禍の序盤1年半はゼロだったといいます。
「販売経路のバランスの重要性を痛感しました。ハレルヤは観光と贈答を強みとしてきましたが、軸足に重きを置きすぎると、もろい経営になってしまう。ただ、ありがたいことに私たちが扱っているのはお菓子です。それがお土産や贈答品でないとしても、みなさんどこかでお菓子を買って召し上がっている。例えばハレルヤがBtoBに挑戦してもいいし、定期的にお菓子が届くサブスクサービスを始めてもいいかもしれない。少ない添加物で新しいものをお届けできるよう、冷凍向け商品を開発する手もあります。お菓子をお客様に届ける様々な販売経路を検討しています」
コロナ禍のさなかに発売した新商品もあります。徳島大学発ベンチャー企業「グリラス」(鳴門市)と共同開発したコオロギクッキーです。
グリラスは徳島の農作物の残渣(ざんさ)をえさに、たんぱく質が豊富な食用コオロギを養殖しています。規格外や廃棄予定の農作物から多くのお菓子を生み出してきた市岡製菓と相通じる面があり、協業に至りました。
「ただ、食用コオロギはアレルゲン(食物アレルギーの原因となる物質)を含む食材で、専用の製造ラインを用意する必要があります。既存のラインを転用すると、そこでは他の商品を製造できなくなります。私たちにとっても大きな決断でした」
開発も困難続きでした。油分の多いコオロギパウダーでサクサク感を出そうとすると、配送中に割れやすくなってしまいます。どうやっておいしさを長く保つか、コオロギの味を隠すのではなく生かすには、といった点も試行錯誤しました。
「虫の日」の2021年6月4日、苦労の末、「ココア味」と「ハーブ&ガーリック味」を発売。その後「きなこ」味も加わりました。「ファミマ!!」の一部店舗のほか、グリラスのホームページ、ハレルヤの各店舗などで買うことができます。
沙織さんが社長就任後に始めたのが、全社員との1対1の面談です。2019年から半年に1度、グループ3社の社員67人を対象に、それぞれ20~30分やっています。社長として社員と接する中、社歴や部署によって考えていることが違うと感じ、面談を決めたといいます。
「父はトップダウン型で会社を率いてきたし、そのスタイルは時代に合っていたと思います。ただ、社長退任前の父は60代半ばで、20代の社員とはかなり年齢差がありました。会社の規模もハレルヤが加わる前と比べ、かなり大きくなった。会社の経営理念や経営者の考えていることが本当に全社員に浸透しているのだろうか、私も入社2~3年目の社員の悩みや不安を理解できているだろうか――。そんな気持ちで始めました」
実際に話を聞いてみると、「そんなふうに思っていたのか」と驚かされることもあるそうです。全てのパート従業員を対象に、職場のリーダーが同様の面談をする仕組みづくりも進めています。
社長就任から4年。父から引き継いだ「大きい会社より強い会社であれ」「ナンバーワンよりオンリーワンの商品を」という理念はこれからも大切にしたいといいます。
「目指すところは父と同じでも、私なりの新しい市岡製菓を育てていきたいです。強いリーダーシップで引っ張るというより、従業員と意見交換しながら、より働きやすい環境を整えながら進んでいきたい。お客様が商品を喜んで食べて下さり、従業員が誇りを持って働ける。そんな会社を目指します」
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