目次

  1. 譲渡された技術を磨き上げる
  2. 「アラジンらしさ」を社内で共有
  3. 中国で鍛えられたポジティブ思考
  4. 知財功労賞を受けて固めた守り
  5. 知財戦略が若手活躍のきっかけに
  6. 「中小企業らしさ」を軸に成長
  7. 後継ぎとしてワンチームを目指す

 1953年創業の千石は、三洋電機の傘下の下請けプレス加工工場として立ち上げられた後、63年に法人化されました。

 現在は国内に加え、中国やフィリピンにも生産拠点を置いています。従業員は345人で、年間売上高(2021年度)は単体で約191億円にのぼります。

 千石の事業はOEM・自社ブランド・部品製造の3本柱です。OEMや部品製造では祖業のプレス加工技術を生かし、様々なジャンルの家電生産を下請けとして支えています。

 自社ブランドでは、石油ストーブの「アラジン」が古くから知られています。このブランドは英国発祥ですが、2005年に権利譲渡を受けた千石が育て上げてきた結果、長く愛される商品群が生まれました。

 近年はブランドを拡充し、15年に発表した高級トースター「グラファイトトースター」は累計販売台数が200万台を超えるヒット商品に成長しました。

千石のグラファイトヒーター

 人気の秘密は、瞬発的な高温によって最大限に引き出されたトーストのおいしさです。特殊技術の「グラファイトヒーター」を搭載しており、0.2秒で発熱し、短時間で1300度に達する圧倒的なスペックを誇っています。

 元々、グラファイトヒーターはパナソニックが開発した技術でしたが、同社の事業撤退にともなって千石が特許権を譲り受けたという経緯があります。グラファイトヒーターは当初、熱の調整が難しいなど商品化に向けた課題が残されていました。

 千石にはOEMで鍛えられた「現場の技術力」があったので、先見の明において大手企業を上回ることができたというわけです。

 自社ブランド「アラジン」へのこだわりは相当です。滋之さんは「新商品に納得がいかない部分が見つかれば、販売計画が縮小されることになっても発売を延期してきました」と語ります。

 例えば、22年春にコーヒーメーカーの発売を予定していましたが、あえて発売を延期しました。一般的にはおいしいといえるレベルに新商品の性能が達していたものの、「理想の味わい」を実現するにはさらなる時間が必要だったことが理由です。

 「より良い商品を作れることが分かっているのに、中途半端なものを出すことは『アラジンらしくない』というコンセンサスが社内にありました。はっきり言語化してきたわけではありませんが、『アラジンらしさ』は社内ではイメージとして共有されている価値観です」

 滋之さんが家業に入ったのは、大学を卒業してすぐのことでした。「大人になったら千石で働く」と漠然と思って育ったので自然な流れでした。

 「子どものころは実家の1階が会社の事務所でした。すぐ近所に工場があり、時折社員と一緒にご飯を食べたり、遊んだりしたという記憶があります。千石は昔から家族的な会社でした」

千石は古くから家族的なつながりを大切にしてきました

 千石に入社した滋之さんは、まず中国の子会社に勤務しました。担当した業務は海外工場の運営を支える貿易事務です。

 当初は先輩社員のサポートが中心だったものの、タフな交渉には筆舌に尽くしがたい大変さがありました。ストレスフルな状況と向き合うなかで「何とかなる。一度やってみよう」というポジティブな考え方が身につきました。

 滋之さんが最も印象に残った経験が2010年、工場の立ち退き移転に伴う中国政府関係者との交渉です。交渉のデッドラインが明らかなうえ、強い要求に苦慮した一方、失業を恐れる工場労働者に集団で詰め寄られることもあったといいます

 「中国人はタフネゴシエーターのイメージが強いですが、主張をゴリ押しする人はごく一部です。中国政府あてに日本領事館から手紙を出してもらうなど母国の力を借りながら、理路整然と物事の道理を説明し続けたので、お互いに納得のいく着地点にたどり着くことができました」と当時を振り返ります。

 滋之さんは20年、中国の子会社から日本本社に移りました。本社勤務2年目の21年、自社ブランド「アラジン」のグラファイトトースターが、知的財産の活用事例として、21年度の知財功労賞の特許庁長官表彰を受けました。

 アラジンブランドやグラファイトヒーターなど、売りに出された知財の将来性をいち早く察知してきた「目利き」が評価ポイントの一つです。さらに、技術力を生かして取得した知財から優れた商品を送り出しているため、強固な競争優位が築かれていると評されました。

 滋之さんは受賞をきっかけに、知財戦略に本格的に動き始めました。「知財については期待感よりも危機感を抱いていた」と胸の内を明かします。

 「受賞してから様々なメディアから取材を受けました。しかし、本音を言えば、知的財産についてきっちりした戦略を持っていたわけではありません。素直にありがたいと思うものの、雰囲気に流されてしまえばまずいと思いました」

千石は21年度の知財功労賞の特許庁長官表彰を受けました

 特に懸念したのが、無自覚な知的財産権侵害のリスクだったといいます。「以前は技術を活用している意識はあっても、知的財産として注目していたわけではありませんでした。受賞をきっかけに知財の価値に気づく一方で権利侵害の潜在的なリスクが気がかりになりました」と語ります。

 さっそく着手したのが、知的財産コンサルタントとのパートナーシップによる社内教育体制の構築です。いわば、知的財産戦略を「守り」の側面から固めていったのです。

 座学にとどまらず、自社を題材にしたOJTを大幅に採り入れています。既存商品に使われている技術を弁理士に総点検してもらう中で、社員が知的財産権侵害の可能性がないかといったリサーチ作業を担当。実践的な知識を蓄積していきました。

 難易度の高い「宿題」に応じる社員の様子を見るうち、滋之さんは知的財産戦略への社内のポテンシャルを再認識します。

 「知的財産の価値についての認識が社内に浸透すると、アイデアが続々と寄せられるようになりました。教育体制を立ち上げてから数カ月しか経っていませんが、若手のアイデアが特許申請のきっかけとなった技術が既にいくつかあります」

 知的財産戦略の「守り」を固めるうちに実践的な知識が社内に蓄積され、その結果、新たな知的財産の創造という「攻め」に発展しているというわけです。

 知的財産活用のアイデアの提案は、特に若手社員が熱心で、仕事に対する主体性を磨くきっかけになっています。

 「社長が作り上げた現在の千石は、非常に優れたビジネスモデルです。後継ぎとしての私のミッションは、会社を今の時代に適応させていくかじ取りです。その一環でボトムアップの気風を盛り上げています」

 滋之さんは「チャレンジしよう」というメッセージを発信してムードメーカーの役割を買って出てきたといいます。

 触発された若手からアイデアを相談されたときには、「やったらええやん。なんとかなるで」と背中を押してきました。一方、壁にぶつかったときは「じゃあみんなで考えよう」とサポートに目を配ります。

 カリスマ性に富んだ現社長がトップダウンの強みを生かして会社を急成長させた一方、滋之さんは時代に合った組織のあり方としてボトムアップの気風を根付かせようとしています。

 成長を続ける千石ですが、アイデンティティーの軸は「中小企業らしさ」にあると滋之さんは語ります。特に中小企業によく見られる社員同士の家族的なつながりを大切にしてきました。

 そういう気風もあって、千石ではベテランから若手への技能継承がスムーズに進んでいるといいます。

 ただ、仕事面では世代間の融合が進んでいる一方、価値観の違いから摩擦が生じることもあります。特に「仕事との向き合い方」は世代間で価値観の折りあいをつけることが難しいポイントです。「正直、ホンマ難しいです」と滋之さんは本音を漏らします。

 「会社や業界の常識論を頭ごなしに言い聞かせても、若手には響きません。しかし、ベテランにしてみれば『当たり前のことに今さら何を言っているんだ』と苦い気持ちになるわけです。これはどっちも正しい意見だと私は思っています」

 「会社の未来を創るメンバーは若手ですが、現在の千石を作り上げてきたベテランの意見も尊重する必要があります。どちらかだけをケアするという発想はありません」

千石は知財戦略を固めて商品開発を加速させようとしています

 一方で、滋之さんは管理職の中でも年齢が若いということから、若手世代の声に耳を傾けるように心がけてきました。若手世代の言いたいことが背景を含めてよく理解できるからです。

 遠慮しがちな若手世代の意見を滋之さんが吸い上げることで、社内の意見の年齢的なバイアスを解消してきました。

 若手の意見が経営層の心を動かすシーンもたびたび起きています。会議では若手の発言がますます積極的になってきました。その結果、活躍の場面を得られた若手が、幹部候補として注目されるきっかけが生まれています。

 「次世代を担う40代、30代だけでなく、“次の次の世代”を担う20代も頭角を現しています」と滋之さんは社内の変化を説明します。

 「私自身はバリバリの営業マンでも技術者でもありませんが、社員一人ひとりはそれぞれの持ち場のプロフェッショナルです。信頼して任せるようにしています。一方で、問題の気配は察知して助け舟を適宜出してきました」

 「必要であれば目先の売り上げを犠牲にして、社内の協力を促すこともあります。部門や世代など社内にある様々な違いを乗り越えて、会社全体を1つのチームにすることは後継ぎだからこそ、担える役割だと思っています」