目次

  1. 岡山県産材の「木育」製品が好評
  2. 特殊鋼メーカーに入社、営業職に
  3. 海外転勤か家業入りか、27歳の決断
  4. 「自社の価値も知らずに会社を継ぐのか」
  5. リーマン・ショックで「注文が止まった」
  6. OEM依存に危機感、自社製品開発へ
  7. 後継ぎは金融機関の人と交流を
  8. 地元の町を襲った西日本豪雨災害
  9. 行政の支援情報にアンテナを張ろう

 ホリグチは、真伍さんの祖父・堀口恭市さんが岡山県吉備郡真備町(現・倉敷市真備町)で1964(昭和39)年に創業しました。当初は木材チップと合成樹脂を貼り合わせたカラーボックスや花台などの小物家具を作っていました。

創業からまもない時期の製品たち。当時の看板には「有限会社ホリグチ家具」の文字がある。1995年に株式会社になった(ホリグチ提供)

 1980年、真伍さんの父・昭良さん(76=現在は相談役)が2代目社長に就任。オフィス家具メーカーにOEM(相手先ブランドでの生産)供給を始め、事業を拡大しました。現在では、木材や木製品との触れ合いを通じて木の文化に親しんでもらう「木育」に着目し、岡山県産のヒノキ材を使った「木育」製品が好評です。従業員数は27人、2021年度の売上高は約3.3億円です。

 2010年に34歳で3代目社長に就任した真伍さんは、事業承継のモデルケースとして地元の経営支援団体が開くセミナーに登壇することもあります。リーマン・ショックでピンチに陥った家業を継いだ真伍さんは、どのように会社を立て直したのでしょうか。

 真伍さんは、姉と妹に挟まれた3人きょうだいの長男。子どもの頃は、自宅の隣にあった工場に出入りして遊んでいました。当時、工場で働く人の多くは近所の主婦たちでした。今でも近所のおばあちゃんから「昔、社長を抱っこしていたのよ」と話しかけられるそうです。

 そんな和気あいあいの環境で育った真伍さんは「自然と、僕が後を継ぐものだと思っていました」と振り返ります。

 大阪府の大学に進学する際も「いずれ家業を継ぐ時に役立つように」と経営学部を選びました。就職活動では「すぐに家業に入るより、他の会社で社会人経験を積みたい」と考えました。家具メーカーを中心に就職活動をしたものの「いずれ実家の後を継ぐのだろう」と思われ、30社以上面接を重ねてもなかなか内定に至らなかったそうです。

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