目次

  1. 冷害から生まれた南部せんべい
  2. 「大変なのにもうからない」と言われ上京
  3. 修業の中で気づいた先代のレシピ
  4. ポテトチップスとは勝負しない
  5. 歴代店主の名を商品名に
  6. 目指す場所はデパ地下で売る和菓子
  7. 取材した老舗食堂からみた成功要因

――川越せんべい店のルーツは。

 我々が販売している南部せんべいの説明からします。このせんべいは八戸を中心とした青森県南部から、岩手県北部にかけて食べられている伝統食となります。この付近一帯は「やませ(偏東風)」の冷害に悩まされる、稲作の北限地と呼ばれていた場所で、江戸後期の天保の飢饉後に、比較的冷害に強い小麦作りが推奨され、小麦で作る南部せんべいが各家庭に普及したと言われています。

 川越煎餅店は明治維新後の1871年創業です。明治維新の際に、帰商政策という武士に対して商いを促す補助金を渡す施策がありました。八戸藩下級武士の3男であった創業者善吉は、そのお金で南部せんべいを焼く一丁型を30丁ほど仕入れ、せんべい店を開業しています。

 南部せんべいは元々各家庭で焼くもので、昔は一人一丁分の型をもっていたそうです。明治期に入って米の品種改良でこの地域での米の収穫高が上がったことや、生活様式の変化から、家で焼くことは少なくなり、お店で買うことが多くなったと言われています。

5代にわたって味が引き継がれてきた、川越せんべい店の南部せんべい

――川越せんべい店を継がれるまでのキャリアを教えて下さい。

 八戸の高校を卒業後、東京の大学へ進学しました。4代目である父と母から「南部せんべいは、大変なのにもうからない仕事だ。別の仕事につきなさい」と言われて育ったこともあり、家業を継ぐつもりはなくそのまま神戸の通信販売会社に就職しました。神戸で4年働いた後にアメリカへ留学し、帰国後に大阪で就職、その後シンガポールの子会社社長として5年勤務した後に、日本に戻り東京で働いていました。

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