目次

  1. 人的資本とは何か
    1. 人的資本と人的資源の違い
    2. 人的資本経営とは
  2. 人的資本が注目されている理由
    1. 人材・働き方・キャリアの多様化
    2. ESG投資への関心増加
  3. 人的資本の情報開示
    1. なぜ情報開示が必要なのか
    2. 情報開示で期待できる効果
    3. 情報開示で求められる項目
  4. 人的資本を高める3つの方法
    1. 人材戦略を経営戦略から落とし込む
    2. 役割と権限を明確化し必要なスキルや知識を決める
    3. 適材適所に配置し、適切に評価する
  5. 人的資本を高めることで企業価値を向上させる

 人的資本とは、自社の人材を価値創出の源泉である資本として捉える考え方です。最近では、「人的資本投資」「人的資本経営」などの言葉で注目が高まっており、人材の価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営を行うことを目的としています。

 これまで、企業価値といえば財務的価値が着目されていましたが、企業や個人を取り巻く環境変化に応じるためには、非財務の価値である人材に着目し、人をコストとして捉えるのではなく価値を生み出す源泉と捉え、戦略的に人材課題に取り組むことが求められています。

 人的資本は具体的に何を進めることなのかがわかりにくい概念ですが、人的資本は、単に個人のスキルや能力の向上に投資することを指すのではなく、人材が何を身につけ、どのように経験し、結果として企業の成長にどのように結びつけるのかまで検討して実施することを指します。この活動こそが人的資本への投資であり、人的資本経営だといえます。

人的資本の定義と情報開示の重要性
人的資本の定義と情報開示の重要性(デザイン:増渕舞)

 人的資本との違いがわかりにくい言葉に人的資源があります。

 人的資源(Human Resource)とは、人、モノ、金、情報などの経営資源のひとつで、人そのものを経営資源と捉えます。資源ですので、リソースとして使う費用という考え方です。一方、人的資本(Human Capital)は、その人が持つ能力やスキルを資本と捉えます。資本ですので投資の対象となるため、投資をしてその価値を磨き、将来的に企業価値向上につなげるという前向きな考え方です。

 経済産業省が2020年に「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書~人材版伊藤レポート~」を発表したのを皮切りに、人的資本経営について注目が高まっています。

 人的資本経営は、持続的な企業価値の向上を実現するために、ビジネスモデル、経営戦略と人材戦略を連動させようとする動きです。この動きは、有価証券報告書への人材情報の開示義務が2023年に予定されていることから、大企業や上場企業を中心に関心が寄せられていますが、報告書の開示義務がない中小企業であっても企業価値を高めるために大切な考え方となります。

 2022年度版中小企業白書の第2章「企業の成長を促す経営力と組織」第2節「人的資本への投資と組織の柔軟性、外部人材の活用」でも、人的資本について言及されており、人的資本がいかに企業成長に寄与するかがわかります。

 人的資本は、個人のキャリア意識の変化、働き方の変化と社会変化の影響を受けています。注目されている理由を説明します。

 時代の変化とともに、新卒一括採用、終身雇用から自由なキャリア選択へと変化し、副業、複業、兼業などの選択肢も生まれてきました。また、働き方もテレワーク、ワーケーションなど新型コロナウイルス感染症への対応を含めて多様化が進んでいます。また、デジタル化の進展により、必要なスキルや知識も変化し、ビジネスモデルも労働集約型から知識集約型へと変化してきました。

 しかしながら、企業や個人を取り巻く変化に対して、企業の人材戦略とのギャップが大きくなってきており、このギャップを埋めるべく人的資本への注目が高まっているのです。

 以下は、その変革の方向性を示したものです。

企業や個人を取り巻く環境の変化
企業や個人を取り巻く環境の変化(筆者作成)

 ESGとは、Environment(環境)、Social(社会)、Governance(ガバナンス)の頭文字からなる言葉です。企業が成長していくためには、環境や社会に適合し、ガバナンスに配慮することが求められており、取り組みを実施している企業に対する投資をESG投資と呼びます。人的資本は、ESG投資の社会(Social)に該当します。

 1990年代後半から米国企業における無形資産への投資額が有形資産への投資額を上回り、その差が広がっていると言われています。そして、ESGのなかでも社会(Social)が企業価値に密接に結びついており株価パフォーマンスも高いことから、人的資本を含む無形資産への投資への注目が高まっています。

 しかしながら、日本の多くの企業は、変化への対応を意識しつつも経営戦略に結びついた人材戦略を実施できているとは言い難く、今後その戦略にシフトしていくことが求められていることから、人的資本への注目も高まっているのです。

 つづいて、人的資本を理解するうえで欠かせない情報開示についてご説明します。

 企業の規模に問わず、今後、企業運営においては人的資本の情報開示も重要な項目のひとつとなるでしょう。

 2022年6月7日、「経済財政運営と改革の基本方針2022」いわゆる「骨太方針2022」が閣議決定されました。骨太方針では、「新しい資本主義に向けた改革」のなかで「人への投資と分配」が挙げられ、今年中に非財務情報の開示ルールを策定するとされています。

 この非財務情報の開示は、2021年9月から開かれている経済産業省の「非財務情報の開示指針研究会」、2022年2月から内閣官房内で開かれている「非財務情報可視化研究会」での議論により、決定してくるものと思われます。

 2020年8月には米国証券取引委員会が、人的資本に関する情報開示を義務付けており(参照:SEC Adopts Rule Amendments to Modernize Disclosures of Business, Legal Proceedings, and Risk Factors Under Regulation S-K丨SEC)、今後日本でも開示の義務化への動きが高まることがこの動きからも推察されます。

 人的資本の情報開示によって期待できる効果としては、大きく以下2点です。

  • 人的資本投資への取り組み推進による企業の成長力向上
  • 経営者、投資家、従業員などステークホルダー間の相互理解による信頼性向上

 人的資本投資が促進されることにより、経営戦略と人材戦略が結びつき、自社が直面する課題や将来的な課題やリスクに対する対応力が強化され、企業の成長力の向上につながることが期待されます。また、企業と個人がともに成長し、社会を豊かにする流れが生まれます。

 投資家も、企業から開示された情報をもとに、中長期的な企業価値の向上や持続的成長を促す観点から評価、フィードバックを行うことが可能になり、企業価値向上に一層寄与できるようになります。

 人的資本開示のガイドラインとして、2018年12月に国際標準化機構(ISO)が発表したISO30414があります。

 現時点でガイドライン規格には、日本国内における公的な第三者機関の認証制度はなく、企業が任意で自発的に取り入れるものです。この項目が全て採用されるわけではありませんが、ISO30414の項目は細かく制定されているため、どのような項目の開示が求められてくるのかの参考になります。

ISO30414の項目一覧
ISO30414の項目一覧。ISO「ISO 30414:2018 Human resource management — Guidelines for internal and external human capital reporting」をもとに筆者作成

 人的資本は、人材の価値と企業価値を結びつける考え方であり、人的資本を高めることは企業価値向上に直結します。では、どのような方法があるでしょうか。筆者は、次の3つが有効だと考えます。

  1. 人材戦略を経営戦略から落とし込む
  2. 役割と権限を明確化し必要なスキルや知識を決める
  3. 適材適所に配置し、適切に評価する

 人的資本と聞いて能力開発(研修、育成など)への投資を想像する方もいると思いますが、人的資本は局所的な対応では高まりません。経営戦略と結び付けて、戦略的にどのようなスキルが現在求められているのか、将来求められるのか、そのスキルをどのように企業の成長に結びつけるのかを経営者と人事が一体となって検討する必要があります。

 前述した人材版伊藤レポートにおいても、CHRO(最高人事責任者:Chief Human Resource Officer)のイニシアチブで人材戦略を策定することが大切だと述べており、責任者をおいて経営戦略と一体化した流れで人的資本を高める必要性を説明しています。この流れで進めないと、情報開示が義務付けられた際に手段が目的化してしまい、むしろこの対応がコストになってしまう可能性が高いからです。

 キャリア意識の変化・多様化、変化の早い時代のなかでのスピーディーな意思決定が求められることを考えると、従業員と経営者・上司と部下の関係性は、より対等で自律的なものになってくることが予測されます。

 とはいえ、組織は多くの人の集まりであり、その運営は立場や役割が明確でなければスムーズに進めることが難しくなります。また、各人の身につけるべきスキルや知識が何かを見誤る可能性があるでしょう。人的資本を高めるためには、役割や権限を改めて明確にしたうえで、それと習得させたいスキルや知識を結び付けることが重要です。

 習得したスキルや知識を活かした人材を適材適所に配置し、適切に評価しなければ、個人の成長に対する効果は得られにくいでしょう。配置や評価も、人的資本を高め、企業を成長させるために考えておく必要のある項目です。

 また、多様化した人材を活用する上では、従業員の納得感を醸成するためにも、対話が欠かせません。配置や評価、育成においても、その狙いや目的を伝えることや、結果のフィードバックを重視することが今以上に求められるでしょう。

 新型コロナウイルス感染症などの想定外の出来事や、DX、GXに代表されるテクノロジーや社会環境の変化への対応など、私たちは今まさに急激に時代の変化にさらされています。変化に対して指をくわえて見ているだけでは、個人も企業も生き残れない時代が到来しているといえるでしょう。変化に対応していくことで、新たな価値を創出したり、組織の力が強化されたり、変化は私たちにチャンスを与えてくれているとも考えられます。

 これらの変化を捉え、企業価値向上を目指す企業は、人的資本を高める取り組みに積極的に臨むことでしょう。この記事を読んで、人的資本に関する取り組みを行い、持続的な成長力を獲得する企業が一社でも多く現れることを祈っています。