目次

  1. 入社1年目から改善策を提案
  2. 2万羽の鶏を1羽ずつカウント
  3. 家業から企業への変身
  4. 「くがにたまご」が誕生するまで
  5. SNSで変えるマイナスイメージ
  6. 「右腕」と出会い養鶏場が進化
  7. 任せる方の覚悟も重要
  8. 相次ぐ苦難にも前向きに
  9. 100周年を笑って迎えるために

 米国人の父と日本人の母を持つノーマンさん。幼少期から両国の行き来は多かったものの、人生の大半をうるま市で過ごしました。

 徳森養鶏場は母方の祖父が1967年に創業しました。ノーマンさんにとって身近な存在でしたが、後を継ごうという発想は無く、周囲から「継いでほしい」と言われたこともありません。沖縄県内の大学を卒業後、4年ほど会社員として働き、養鶏場とは無縁の生活を送っていました。

 ちょうど養鶏場が50周年を迎えたタイミングで、ノーマンさんの父が仕事の関係で渡米。両親がうるま市を離れたことで実家に移ることを決めます。

 ノーマンさんは漠然と「早いうちから養鶏について勉強しててもいいのでは」と感じており、徳森養鶏場に転職しました。

 従業員として養鶏場に入った1年目。作業を教えてもらう中で、気になることや疑問に思うことが多々あったといいます。家族中心の経営ということもあり、ノーマンさんは遠慮なく改善策や疑問点を提案していきました。

 例えば、配達する際に卵を1個ずつほうきで拭くという作業工程がありました。実は卵を洗浄する機械があったのに誰も使用せず、「ほうきしか使わないのはなぜ?」と違和感を覚えました。

(続きは会員登録で読めます)

ツギノジダイに会員登録をすると、記事全文をお読みいただけます。
おすすめ記事をまとめたメールマガジンも受信できます。