「知名度ゼロ」が寂しくて 徳森養鶏場2代目がエサにこだわった卵
沖縄県うるま市の徳森養鶏場は、約3万羽もの鶏を育てて卵を販売しています。ノーマン・裕太・ウエインさん(33)が2017年、祖父から2代目を継ぎ代表取締役社長に就任。ブランド卵の「くがにたまご」を開発し、スイーツやアパレルにも注力。ユーチューブ配信でも積極的に活動するなど「養鶏場」の枠を飛び越えたビジネスを進めています。
沖縄県うるま市の徳森養鶏場は、約3万羽もの鶏を育てて卵を販売しています。ノーマン・裕太・ウエインさん(33)が2017年、祖父から2代目を継ぎ代表取締役社長に就任。ブランド卵の「くがにたまご」を開発し、スイーツやアパレルにも注力。ユーチューブ配信でも積極的に活動するなど「養鶏場」の枠を飛び越えたビジネスを進めています。
目次
米国人の父と日本人の母を持つノーマンさん。幼少期から両国の行き来は多かったものの、人生の大半をうるま市で過ごしました。
徳森養鶏場は母方の祖父が1967年に創業しました。ノーマンさんにとって身近な存在でしたが、後を継ごうという発想は無く、周囲から「継いでほしい」と言われたこともありません。沖縄県内の大学を卒業後、4年ほど会社員として働き、養鶏場とは無縁の生活を送っていました。
ちょうど養鶏場が50周年を迎えたタイミングで、ノーマンさんの父が仕事の関係で渡米。両親がうるま市を離れたことで実家に移ることを決めます。
ノーマンさんは漠然と「早いうちから養鶏について勉強しててもいいのでは」と感じており、徳森養鶏場に転職しました。
従業員として養鶏場に入った1年目。作業を教えてもらう中で、気になることや疑問に思うことが多々あったといいます。家族中心の経営ということもあり、ノーマンさんは遠慮なく改善策や疑問点を提案していきました。
例えば、配達する際に卵を1個ずつほうきで拭くという作業工程がありました。実は卵を洗浄する機械があったのに誰も使用せず、「ほうきしか使わないのはなぜ?」と違和感を覚えました。
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データ管理も進めました。当初は養鶏場に何羽いるかも不明瞭だったそうですが、「根っこの部分でまず自分たちのことを知らないと」とノーマンさんはカウンターを購入。当時は約2万羽以上いた鶏を1羽ずつカウントしていきました。
卵は毎日どれくらい産まれ、エサはどの程度食べられているかという数値も計算し、エクセルデータにまとめました。そんなノーマンさんの様子を見て、従業員も手伝ってくれるようになったといいます。
「気づいたことがあればノートに書き出し、改善点はその場で話し合いました。冊数もどんどん増えていきましたね。その習慣はメンバーが増えた今でも変わりません」
経営改善に積極的な姿勢のおかげか、入社1年目にして祖父から後を継ぐことを提案されます。
「当時は目の前でできることに必死に取り組んでいただけで、深く考えていなかったのが正直なところです。今思うと、何かに導かれたような感覚もあります」
ノーマンさんは27歳という若さで後を継ぎましたが、今になって「もっと早く継いでおけばよかったかも」と振り返ります。
養鶏場の法人化を皮切りに、社内の制度や作業工程など、あいまいだった部分を整備していきます。家業は良くも悪くも甘えが出てしまうものですが、企業へと進化する必要があると感じました。
「できることはたくさんありました。ただ、全体的に『面倒くさいことはしたくない』という空気が漂っていましたね。でも従業員が生き生きと働く場所を作るなら、福利厚生や待遇、体制を変えていく必要があります」
ノーマンさんは、週に1度のミーティングと朝礼を始めました。さらに「言った言わない」という問題を無くすため、従業員全員が参加するグループメッセージも始めました。アプリを入れていない従業員のスマートフォンには、ノーマンさんみずからインストールしたといいます。
また、労働時間を減らそうと仕事の流れを見直し、それぞれの分担を決めてシフトを作成したところ、週休2日を確保することができました。
徳森養鶏場は生産に特化していたこともあり、地域での知名度は全く無かったそうです。近所の人にすら「こんなところに養鶏場あったの」と驚かれるほどで、ほとんどの卵が「沖縄県産卵」の一つとして市場に流通していました。
「僕はそれが寂しかったんです。任せてもらったからには、徳森養鶏場を有名にしたいと思いました」
地域に根付いたものを作れないか――。毎日考えてリサーチを重ねるうち、徳森養鶏場ならではの卵を作ろうという発想に至りました。しかし、全国にはブランド卵も、ビタミンやDHAなどの栄養素を強調した卵もあふれています。
そこで地域に特化した卵として、うるま市も含めた沖縄県内の素材をエサにする発想に至りました。うるま市で生産される畳の原料や、沖縄が生産量日本一のもずくなど数々の素材が候補に挙がり、最終選考に残ったのが沖縄特産の「黄金(くがに)芋」でした。
黄金芋をエサにしてみると、卵の黄身の色が鮮やかになり、甘みに加えて味のコクが感じられる卵が産まれました。鶏が飲む水が「黄金(くがに)水」という地下水だったこともあり、「二つの黄金がつながった」というストーリー性が生まれ、手ごたえを感じました。
専用のパッケージやロゴも考え、新ブランド卵「くがにたまご」の販売を開始したころには後を継いでから2年が経っていました。そのタイミングで「うるマルシェ」という同市内の農産物直売所がオープンしたことも追い風になりました。
「うるマルシェのおかげで、『くがにたまご』はすぐに商品としてデビューできました。多くのメディアにも取り上げられ、この3~4年ほどで販路も広がっています」
「くがにたまご」の販売開始と時を同じくして、ノーマンさんはユーチューブやティックトック、インスタグラムなど、SNSでの発信にも力を入れるようになりました。「徳森養鶏場の知名度を上げたい」という目的に加え、養鶏業界全体のイメージを変えたいという思いもありました。
「養鶏場に限らず、農業は世間的に『きつい、くさい、かせげない、結婚できない』など、後ろ向きでマイナスなイメージを抱かれています。そんな環境を変えるのも自分たち次第ということを示し、良い前例を作っていきたいと思いました」
最初はうまくいかず、周囲からネガティブな声が聞こえて落ち込む時もあったそうです。しかし「ティックトックの、卵の人ですよね?」などと声をかけられることもあり、じわじわとSNSの効果や手ごたえを感じたといいます。
ノーマンさんの弟で「のましょす」ことノーマン・渉太・トーマスさんも合流。ローカルタレントを目指し劇団に所属した経験もある渉太さんのキャラクターも手伝い、「ノーマンブラザーズ」というユニットで活発に活動を始めます。
「若い世代を巻き込みたい気持ちがあるので、SNSには力を入れたいです。今は経営者としての経験も積みつつ、当面は全SNSのフォロワーを最低1万人を集めることが目標です。将来的には県内でタレントやコメンテーターとして活躍したり、業界の広告塔になったりできればと思っています」
継いだ当初は、3~4人だった従業員は現在20人までに増えました。販路が広がった卵だけでなく、バウムクーヘンといった加工品や、Tシャツなどのアパレルの展開を進めていくためにも、従業員数はもっと増やしていくつもりです。
祖父の代からいるベテラン社員からは「なんでわざわざ制度を変えるの」「ブランド卵をわざわざ作る必要があるのか」など、反発を受けることも。何度も話し合いを重ねることでその都度理解してもらうように努めていますが、どんな仕事よりも人を動かすことが一番大変だと痛感したそうです。
従業員が増えたことで、社内に生産、販売、総務という各部署に加え、従業員を束ねる幹部のポジションも作りました。徳森養鶏場のユーチューブをきっかけに知り合い、現在は取締役を務める平安山良斗さん(23)も幹部の一人です。
はじめは動画編集のスタッフとして参加していましたが、波長が合ったノーマンさんは次第に養鶏場についても相談をするようになります。話をすることで頭の中が整理され、するべきことが明らかになったと振り返ります。
「ぜひ会社を手伝いたいと言ってくれたので、まず秘書として入社してもらいました。周囲からは『秘書って必要?』という声もありましたが、この人を逃さない方がいいと確信しました。まだ2年弱ほどの付き合いですが、平安山さんとの出会いで養鶏場は飛躍的に進んだと感じます」
幹部となった平安山さんは、現場で指示を出すなど活躍を見せています。事業継承をするなら、従業員や友人にも相談できないことを打ち明けられる右腕の存在は大事だと、ノーマンさんは振り返ります。
先代の祖父は現在86歳。今は現場から離れ、ノーマンさんに全てを任せています。
「『何かあったら言いなさいよ』と気にかけてくれますが、祖父は僕に口出しをしません。家業を継いだ人が先代と衝突した話はよく聞きますが『オジィ(祖父)と孫』という関係だから良かったのかもしれません」
会社を継いで四苦八苦していた時期に祖父ともめていたら「心がもたなかったかもしれない」と振り返ります。
「任せてくれていたからこそ、従業員と話し合う時間も多く持てました。それは先代からするとリスクもあるはず。継ぐ側の覚悟だけでなく任せる側の覚悟も重要なんだなと。自分より祖父の方が覚悟が強いなと感じます」
2019年は鶏卵の相場が歴史的に大暴落し、価格が半額以下に。さらにコロナ禍で卵の売れ行きが低下し、ウクライナ侵攻の影響で飼料の価格も大幅に値上がりするなど、困難が続きます。
「年商だけを見ると継いだ当初の2倍に到達しましたが、万全な状態ではありません。外的要因がこれだけ重なったことでまだ一息つけない状況です」
しかし、ノーマンさんは逆境にも「会社として確実にパワーアップしている」と前向きな姿勢を崩しません。
「ただ後を継ぐだけでも大変なはずですが、この2、3年は特にハードモードでした。でも、短期間でここまで動けたのも、相次ぐ逆境のおかげかもしれません。なんとなくでうまくいってたら、今のように多方面に展開できていなかったかも。たくさん試練を与えてくれてありがとう、という気持ちです」
若手経営者が集まる「全国養鶏経営者会議」では副部会長を務め、数カ月に1度東京に出向きます。さらに、観光関係の組合や商工会、教育関係の集まりなどにも精力的に顔を出しています。「色々な場所に行って視野を広げたいという思いを強めました」
ノーマンさんは養鶏場の規模拡大を視野に入れつつ、うるま市や沖縄県を盛り上げたいというビジョンもあるといいます。
「祖父が養鶏場を始めた年齢と、僕が2代目になった年齢は近いんです。祖父が50年養鶏場を続けてきたように、今後50年養鶏場を続けられたらと思うとできることはまだまだあると感じます。100周年を迎えて笑っていられたら最高ですね」
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