伝統にとらわれすぎない夫婦の力 大田酒造7代目が醸した新銘柄
三重県伊賀市の大田酒造は知る人ぞ知る地方の酒蔵でしたが、代表銘柄の「半蔵」が2016年の伊勢志摩サミットで乾杯酒に選ばれ、全国に名を広めました。7代目で杜氏の大田有輝さん(27)と妻の麻帆さん(27)はそのタイミングで家業に入り、新ブランドの立ち上げや製造工程の見直しなどを進め、家業の新たな成長の先頭に立ちます。
三重県伊賀市の大田酒造は知る人ぞ知る地方の酒蔵でしたが、代表銘柄の「半蔵」が2016年の伊勢志摩サミットで乾杯酒に選ばれ、全国に名を広めました。7代目で杜氏の大田有輝さん(27)と妻の麻帆さん(27)はそのタイミングで家業に入り、新ブランドの立ち上げや製造工程の見直しなどを進め、家業の新たな成長の先頭に立ちます。
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1892年創業の大田酒造は「半蔵」を中心に年間600石(一升瓶換算で6万本)を製造しています。有輝さんの両親で6代目の勲社長と智洋専務を筆頭に従業員17人が働いています。
有輝さんは「子どものころ、両親から継いでほしいと言われた記憶もなく、周囲から『後継ぎ』と言われたときに少し意識したくらいです」と振り返ります。
それでも「将来どう転んでも良いように」と東京農業大学短期大学部の醸造学科に進みました。大学で酒蔵の後継ぎの同級生と出会い、「お酒について話すのが楽しかった一方、自分が家業のことをあまり知らないことに気づき、自然と家業を意識するようになりました」。
そんな同級生のなかに、将来の伴侶となる麻帆さんがいました。共通の趣味のゲームとアニメの話で意気投合し、交際に発展。卒業後の2015年に結婚しました。
千葉県の一般家庭で育った麻帆さん。チーズなどの発酵食品にひかれて大学を選びましたが、「醸造学に触れて日本酒にも興味を持ち、いつか自分も酒造りをしたいと思うようになりました。酒蔵へ嫁ぐことに抵抗はなく、むしろうれしかった。正直、酒蔵の暮らしが全く想像できていなかったので、逆に不安もなかったと思います」と笑います。
有輝さんは大学卒業後、広島県にある酒類総合研究所での研修を経て、15年冬から名酒「作」で知られる清水清三郎商店(三重県鈴鹿市)で修業を積みます。麻帆さんも鈴鹿市で一緒に暮らしました。
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有輝さんはその前に2カ月ほど大田酒造の蔵に入っていましたが、清水清三郎商店で働き始めて家業との違いに驚いたといいます。
「(清水清三郎商店は)会社としてきちんと管理できている印象でしたが、うちは家族経営で緩い部分も多いと感じました」
全国的にも有名な「作」の蔵元で感じた「家業の課題」を日々ノートに書き出すと、あっという間に100個以上に。「不要なものを捨てる、掃除の頻度を増やす、生産計画の効率化など、うちの蔵で実行すべきことが次々出てきました」
修業先で多忙を極めていた16年5月、大きなニュースが飛び込みます。「伊勢志摩サミット」の晩餐会の乾杯酒に、大田酒造の「半蔵 純米大吟醸 磨き40」が選ばれたのです。
報道されると問い合わせが殺到。一夜にして乾杯酒が完売し、大田酒造と「半蔵」がいきなり全国区になりました。
「驚きました。地方の小さな酒蔵に戻るつもりが急にハードルが上がったなと」。サミットを機に生産量を増やすことになり、17年9月、有輝さんは22歳で伊賀に戻りました。
まず手をつけたのが自社ECサイトのリニューアルでした。「うちの親世代はまだまだアナログで、ネットを活用した情報発信が十分できていませんでした」
18年にはネットショップを開き、SNSも駆使します。ネットショップは年々成長し、21年の売り上げは約500万円になりました。
取扱店には「半蔵通信」という蔵人目線の商品案内を定期的に発行しました。「半蔵通信で限定酒や季節商品の引き合いを呼び、ネットの活用で新規取引先が増えました」
伊賀に戻ってからの酒造りは当時70代だった藤井久光杜氏に教わりました。「杜氏は高齢だったので、今のうちに学ばなければという思いでした」
有輝さんは酒造りを学ぶうち「1本仕込んでみたい」と社長に直訴。本家の「半蔵」とは別の新ブランドにすることで理解を得ました。
初めて仕込んだ酒は「半蔵 &」と命名。パッケージは自分と同じくらいの若い層を意識しました。三重県の酒米を使った「半蔵」と違い、「半蔵 &」は県外の酒米で醸し、大田酒造の変化を印象づけます。
妻の麻帆さんはこのころ育児に奮闘中でした。「夫は仕事を頑張っているから家のことは私が、という気持ちでした。造りの時期、夫は夜もほとんど家にいません。だからこそ家に戻ったときくらいはリラックスできるように心がけました」
藤井杜氏の引退に伴い、有輝さんは19年秋、24歳という異例の若さで杜氏となります。経営側の蔵元が製造責任者の杜氏も兼ねるのは、大田酒造の歴史で初めてでした。
「何かを変えるなら杜氏交代の1年目がチャンスだと思いました。前と同じように酒造りをしても、杜氏が変わったら味が変わったとかいろいろ言われます。だったら今やっておこうと」
そんな気持ちで、修業時代ノートに書き留めた改善案を実行に移します。蔵の中の不要なものを捨て、掃除の頻度も増やしました。
製造計画も一新します。以前は吟醸造りのときは吟醸酒だけ仕込んでいましたが、他の酒も同時に仕込むようにして、1年を通して製造計画が均一になるよう組みなおしました。
「吟醸造りに集中していたときは、その前後に作業のしわ寄せがきて工程のロスが発生し、忙しい時期は掃除などに手がまわらなくなっていました。仕事を平準化して役割分担することで、蔵人も計画的に休みを取れるようにしました」
杜氏になってからは毎日、酒の成分を分析するように変えました。数値データを取ることで、感覚ではなく論理的な酒造りができるからです。酒質の向上を目指し、麹の作り方も変えました。
それでも杜氏になってしばらくしたころ、販売担当者に「お客様から『以前の半蔵の方が味がよかった』という声が出ている」と言われました。
そこで有輝さんはその担当者に、前の杜氏が造った酒と今の「半蔵」をブラインドテイスティングしてもらい感想を聞きました。担当者は有輝さんが造った「半蔵」を選び、納得しました。しかし、若き杜氏が周囲を納得させるには客観的評価が必要と痛感する出来事でした。
積極的に国内外のコンテストに出品し、多くの賞を受賞。22年には杜氏3年目で全国新酒鑑評会で金賞を取りました。
妻の麻帆さんも数年前から少しずつ大田酒造の仕事に加わりました。最初は事務やイベントの手伝いをしていましたが、人手不足でお酒の分析など酒造りに関わりだします。
麻帆さんは「夫婦で同じ職場に立つことで、夫の話もより理解できるようになりました。醸造は大学時代に一通り学んでいたので興味津々でした」と言います。
酒造業界は女人禁制が長く続きましたが、大田酒造では有輝さんが杜氏になった19年から女性蔵人を採用。麻帆さんも20年秋から正式に蔵人として酒造りに参加し、「私に1本つくらせてほしい」と手を挙げました。
「蔵に入り、そばで夫を見ていると多忙でしんどそうでした。私が1本でも責任をもって担当すれば楽になるのではと思いました」
女性がお酒を仕込むのは大田酒造で初めて。夫も義父の社長も最初は驚きましたが、意外とあっさり了承されました。
麻帆さんが目指したのは「1日疲れて1杯だけでも飲みたい時にスッと飲める、香り穏やかできれいな味わいのお酒」。使用する酒米は決まっていましたが、味や香りを左右する酵母や種麹(たねこうじ)の方向性は、麻帆さん自身が決めました。
「蔵人として手伝うのと、1本のタンクをすべて担当するのは全然違いました。こんなにもたくさんのことを考え、判断し、決めなければいけないのかと。仕込み中は自分のお酒が気になって目が離せず、分からないことは杜氏の夫に相談しました。1本だけでも大変なのに、蔵の全部のお酒を仕切る夫を改めて尊敬するとともに、チームとして支えてくれる蔵人さんへの感謝も深まりました」
22年7月、麻帆さんが仕込んだ「純米大吟醸 半蔵 GHOST(ゴースト)」を1100本限定で販売。「ゴースト」には、夫を公私にわたって支える陰の立役者という意味が込められています。若女将のお酒は売れ行きも味の評価も好調で、有輝さんは「杜氏の立場が危ういですね」と笑顔を見せます。
麻帆さんは7代目の妻として「臨機応変に動ける立場でいたい」と言います。「蔵人だけでなく、事務も販売も、そのときに必要とされる場所にいけるように体をあけておきたいです」
創業家と従業員をつなぐ役割も担おうと決意しています。「わたしは一般家庭で育っているので、勤め人のスタッフの気持ちも理解できることが多い。夫や専務、社長に言いにくいことも、私には気楽に言ってもらえることがあると思います。意見をすくい取って職場環境の改善に努めたいです」
ちなみに嫁姑の関係について尋ねると「最初は遠慮もありましたが、今は何でも言えるようになりました。夫と社長・専務の意見が違うときは、夫の味方につくように心がけています」と笑います。
有輝さんが家業に入って5年。コロナ禍で売り上げは乱高下しました。それでも、7代目夫婦がもたらした新しい空気は大田酒造のブランド力を高め、22年はコロナ禍前の水準に戻ってきました。
大田酒造は晩酌向けのリーズナブルな価格帯から、贈答用の高級酒までそろえ、「半蔵」だけで20種類以上あります。最も高い銘柄「初空」は4合瓶(720ミリリットル)で1万円(税別)ですが、有輝さんはさらに高い価格帯に挑む考えです。
「首都圏のデパートやホテルのレストラン、海外などはさらにランクの高いお酒のニーズがあります。ニッチなニーズにも応えられるラインアップにすることでブランド力も売り上げもあがり、宣伝効果も望めます」
現在、12月上旬の発売に向けて1本2万円(税別)の「半蔵 無縫 MUHO 大吟醸」を準備中です。
「お酒は好みもあるし、食が変わればニーズも変わります。歴史や伝統にとらわれすぎず、時代に合わせて変わることが(家業を)続けることにつながると思います」
有輝さんの弟も蔵人です。「弟が杜氏をやりたいと言えば、造りは任せて私は経営に専念してもいい。年間製造量で前年比10%増を続け、(現在の600石から)千石、2千石へと伸ばすのが目標です」
麻帆さんも 「私は夫が仕事に専念できる環境をつくることが最優先事項。公私にわたって支えていきます」と言います。
若き後継者夫婦は熱い想いを胸に、そろって酒造りの道を歩みます。
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