目次

  1. 体験型ミュージアムを運営
  2. 薄利なお菓子に注ぐ情熱
  3. 遊び心にあふれた父
  4. 入社前から「宣教師」に
  5. 食品以外に初めて進出
  6. 妖精キャラや漫画でテコ入れ
  7. 「助けてください」叫びが拡散
  8. 体験施設を個人客の仕様に
  9. コラボ金平糖も海外戦略も

 「コンペイトウ王国」と書かれたカラフルな看板を掲げる大阪糖菓。主力商品は南蛮渡来の金平糖、次いでミンツ、マーブルと呼ばれる球体の砂糖菓子、錠剤の糖衣などに使う粉糖を製造しています。

 同社は1940年、野村さんの祖父の三男氏が菓子卸問屋「野村商店」として創業。終戦直後、砂糖が配給制だった時期に金平糖の製造を始めて好評を博し、現在の礎を築きました。

 「金平糖を始めたきっかけはたまたまです。お得意様から『金平糖の釜がほしい』と依頼されたにもかかわらず、価格の折り合いがつかず、巨大な釜だけが手元に残ってしまいました。祖父は仕方なく空襲で焼けた店舗跡に工場を建て、職人を雇って金平糖を作りはじめたと聞いています」

大きな釜で金平糖を製造しています(大阪糖菓提供)

 73年には全国菓子博覧会で厚生大臣賞を受賞するなど、大阪糖菓の金平糖は多くの人の舌をうならせてきました。

 従業員は40人。八尾市と堺市、福岡県の3カ所に事業所があり、そのすべてで「コンペイトウミュージアム」という体験型施設を運営しています。館内では金平糖の歴史を学べるほか、手づくり体験コーナーもあります。

全国3カ所で展開するコンペイトウミュージアム

 大阪糖菓の金平糖の特徴は発色の鮮やかさとキラキラ光る透明感、カチッと歯にあたる食感の楽しさにあります。中でもポップな色合いの定番シリーズ「クリスティ」は、花をイメージしたそうです。

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