目次

  1. 秋田出身の父が始めたうどん店
  2. 一度は離れた料理の道
  3. 津波を受け「店はやらない」
  4. 再建のため定めたビジョン
  5. 麺も一新しオリジナルに
  6. 親子だからこそうまくいかない事業承継
  7. 一生懸命に生きることが新たな夢を生む

 「稲庭うどん瀧さわ家」は1987年、秋田県出身だった先代の父・勝城(かつしろ)さんが「秋田の名産である稲庭うどんのおいしさを皆に知ってもらいたい」という思いから、今の場所に立ち上げました。当時、勝城さんは自営で建設業を営んでおり、飲食業とは無縁でした。

 しかし勝城さんの実家と、稲庭うどん製造の老舗である佐藤養助商店(秋田県湯沢市)とのつながりがあったことから、佐藤養助の名を冠した独立店「佐藤養助 松島店」の事業がスタートします。

創業当時、秋田の佐藤養助商店前にて

 スタート時の店の規模は今より小さく、席数は35ほど。観光客向けというよりは、地元の人に愛される店だったそうです。

 瀧澤さんは長男で、当時中学2年生。漠然と「将来は店を継ぐんだろうな」という思いがあったといいます。その思いは高校卒業後も消えることなく、18歳で調理師学校へ進学。19歳からは懐石料理店で板前修業を始めます。

 そうした瀧澤さんの姿を見た両親から、明確な言葉はありませんでした。けれど、「両親もきっと、ゆくゆくは継いでくれるだろうと思っていたんじゃないでしょうか」と瀧澤さんは振り返ります。

 そんな瀧澤さんに転機が訪れたのが、25歳の時でした。知人の紹介で健康食品の営業販売の仕事に出会い、その面白さにのめり込みます。結果、瀧澤さんは板前を辞め、料理の道からも実家のある宮城県からも遠ざかりました。

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