「ギスギス」のワンマン制からリーダー制へ 小沢製作所3代目は任せる戦略
半導体製造装置、医療機器、エレベーターや工作機械の筐体(きょうたい)や部品の製造・加工を手がける小沢製作所(東京都八王子市)。3代目の小沢達史さんは、ギスギスしていると感じた従業員との関係性を変えるため、ワンマン制からチーム・リーダー制へと移行。すると、製造能力や利益率のアップだけでなく、営業や新事業考案に使える時間を確保できるようになりました。
半導体製造装置、医療機器、エレベーターや工作機械の筐体(きょうたい)や部品の製造・加工を手がける小沢製作所(東京都八王子市)。3代目の小沢達史さんは、ギスギスしていると感じた従業員との関係性を変えるため、ワンマン制からチーム・リーダー制へと移行。すると、製造能力や利益率のアップだけでなく、営業や新事業考案に使える時間を確保できるようになりました。
目次
小沢製作所は、東京・立川にある国立昭和記念公園の前身、立川飛行場周辺にあった関連工場で、板金加工職人として技術を磨いた小沢さんの祖父、小沢登さんが1966年に設立しました。
当時、職人の腕ひとつで板金加工を手がけていましたが、工作機械の進化に伴い、機械を次々と導入。プログラミング(コンピュータ)で加工を制御するNC工作機もいち早く導入するなどして、他社との差別化をはかり、業容を拡大していきます。
1992年にはさらなる拡大を目指し、現在の拠点である工業団地へと移ります。また、取引先など経営戦略を大きく転換した時期でもありました。
創業した当初は、大手通信機メーカーの一次下請けとして、計測機器の筐体(機械を収める箱)や内部の金属部品などを手がけていました。ところがあるとき、メーカーの製造拠点が東北に移ることになり、ついていくかどうかの判断を迫られます。
「結果として、ついていきませんでした。さらに、一次下請けからあえて二次下請けのポジションになることで、それまでネックになっていた課題を解決していきました」
一次下請けの場合には、納める部品の品質管理を自社で担う必要があります。そのため工場での製造以外でのバックオフィス業務にも力を入れる必要がありました。
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もうひとつ、いくら大手メーカーとはいえ取引先が偏っていては、何かあった際のリスクが高くなります。そこで、二次下請けのポジションに変えると同時に、発注元は業界の異なる顧客先を意図的に選ぶ戦略をとります。
その経営判断をしたのは、2代目であった小沢さんの父・孝志さんでした。職人気質の先代とは一転、営業センスに長けていたと小沢さんは言います。
医療機器、食品向けの工作機械、エレベーター部品、ロボット関連、半導体製造装置など。現在では6つの業界の大口顧客と取引することで、リスクヘッジとしています。
「当社の強みは、頼れる二次サプライヤー。板金屋のための板金屋として製造に集中することで、現在は特に営業することなく依頼が舞い込む状況です」
両親にとって1人目の子どもであり、祖父にとっても初孫、男の子だったこともあり、生まれた当初から3代目として家業を継ぐことは規定路線でした。
当時、実家が工場から車で5分程度の距離にありました。小学生のころから工場に遊びに行っては、バリ取りといった簡単な作業から、タップでネジを切るといった本格的な作業をすることもありました。
「『お前が継ぐんだぞ』。物心つくころから、特に祖父からは常に言われ続けていましたね。工場で大きな機械が動いているのを見ることも好きでしたし、手伝う作業も楽しかった。当時流行っていたミニ四駆など機械的なものが好きなタイプでもありましたから、家業を継ぐのは当たり前だと自分も思っていました」
ところが、高校1年のときに祖父が他界すると、「あなたの自由に、やりたい、好きな道に進みなさい」との言葉を祖母からかけられたことで、小沢さんの心に変化が生じます。
当時興味を持っていたライフサイエンス、今のバイオテクノロジーなどにつながる分野を学ぶために、家業とは関係のない薬科大学に進学します。しかし、研究職が自分には合わないことを知ると、次に興味のあったMBAの取得を目指し、一転、アメリカの大学に留学します。
MBAを取得すると、すぐに家業に入るか。あるいは関連会社に就職するか。後継者にとっては大きな決断ですが、小沢さんは家業とは関係のない進路を選択しました。
当時、勢いのあったITスタートアップにエンジニアとして就職。エンジニアとして要件定義からプログラミングなど、上流から下流まで、システム開発の業務に幅広く携わります。
そして、このときの決断が、その後の糧となります。祖母の言葉どおり、好きなことを自由にやりつつ、心の底では祖父の願いをしっかりと受け止めており、自分なりに考え歩んでいた道だったと振り返ります。
「家業を継ぐことは心の中にずっとありました。また、会社の魅力や強みはトップで決まることを、父や祖父の姿を見ていて学んでいました。自分は職人ではないし、父親のような営業手腕ならびに人を引きつける魅力はない。であれば違う要素で、存在感を出そうと考えたんです」
社会人として2年ほど経験を積んだ2013年、小沢さんは家業に入ります。「なんとなく、虫の知らせがしたから」と振り返ります。
予感は、悪い意味で的中します。入社3カ月後に父親が脳出血で倒れたのです。幸い命に別状はなく、後遺症が残ることもありませんでした。しかし、仕事に完全復帰するには3カ月が必要でした。
当時の小沢製作所は社長の父がすべてを取り仕切るワンマン体制でした。つまり、父が復帰するまで入社わずか3カ月の小沢さんが、会社の顔として指揮をとる必要がありました。
「父親に代わって得意先に営業に行き折衝をするんですが、できるわけがありませんよね(苦笑)。でも、そのままでは仕事は進みませんから、父親の状況も含めて話し、いろいろとご指導いただけませんかと、素直に話してまわりました」
すると、手を差し伸べてくれる先がほとんどで、なんとか父親が戻るまでの3カ月を乗り越えます。その後は父親からの薫陶も受け、経営スキルを次々と吸収。入社から2年ほど経つころには専務としてかなりの業務を権限委譲されるまでになります。
業務改革も進めました。まずは、ワンマン体制です。情報はすべて父親である社長が抱えていたため、指示を出すのは必然的に社長のみ。意思決定者も社長ひとりでした。
工程管理表などもなく、社長が顧客から受けた仕事を、手の空いている従業員もしくは工場長に指示する。進捗状況の報告や何かあった際の相談や意思決定なども、すべて社長が直接受けていました。
小沢さんは当初、何から何まで自分で行う経営スタイルを踏襲しようとしました。
「でも、できませんでした。また、情報をすべてトップが握っている体制では、社員従業員間同士の認識ややり取りで相違が発生し軋轢が生じるなど、社員間の関係性がギスギスしているとも感じていました」
そこで小沢さんは、案件ごとに工程をまとめるリーダーを立て、意思決定も移譲。情報や仕事の流れを、これまでの縦一方向のみから横展開に変えます。すると、それぞれのリーダーが進捗などの情報を共有し合うことで、忙しいグループを助ける動きが生まれます。
特定の人やグループが忙しかった状況は改善され、会社全体として仕事の波は平準化されていくと同時に、会社全体の製造能力もアップします。他のグループの仕事も手伝うことで新たな技術が身につく、多能工化も進みました。
気づけば、以前よりも多くの受注を請けられる体制に変わり、利益率もアップしていきました。以前のような軋轢もなくなり、楽しく仕事に向かう社員が増えるなど、社内の雰囲気も改善されました。
一方、トップは、案件が工程どおりに進んでいるかどうか報告を受ける、確認する体制に変わりました。これまでのように指示を出す必要や手間がなくなり、その分の時間を、営業や新規事業、外部の人との交流に使えるようになりました。
これまでざっくりであった見積もりも、工程表を作成したことで工数を割り出し、機械の稼働コストなどを加え、数字的根拠のある積算を行い、顧客に提示する体制に変えることができました。
チームワーク、会社の雰囲気向上においては、さらなる取り組みを行います。従業員には何か困ったことや悩みごとがあったら、いつでも相談に来てほしいとアナウンスするとともに、必ず年に一度、小沢さんと1対1での面談を実施。目標や将来について考える時間を設けました。
自分ができること、できないことを判断し、できないことは無理をせず、他人に任せたり別の方法を考えたりすることが重要だと小沢さんは言います。
また父親は経営のバトンを渡すと決めてからは、小沢さんの取り組みに反対することは、一切なかったそうです。というのも、父親は改革を祖父から反対され、苦労した経験があったから。「反面教師にしていたのだと思います」と小沢さんは言います。
「5年、10年後の会社の姿は描けていますか?」
祖父、父親が継承してきた事業に自分なりの改革を加え、ブラッシュアップしていけば、会社はこれからも安定、継続していく。そのような考えで事業に取り組む矢先にもらったメッセージでした。
言葉を発した相手は、地元八王子で同じように、家業を継いだ先輩経営者でした。たまたま受講した地元商工会議所の経営塾「はちおうじ未来塾」での一コマでした。
地元の先輩経営者が次々と登壇し、失敗事例を赤裸々に語り、目先だけでなく、未来の姿を明確にイメージすることが重要だと伝えていきました。
自分たちは〇〇屋との固定概念があった。そのため、スピードや変化の早い今のビジネスについていけない、未来をイメージできていなかった……。
「テレビ番組『しくじり先生 俺みたいになるな!!』を、目の前で観ているような感覚でしたね。実例だからこそ納得できました」
そこで小沢さんは企業理念とビジョンをつくり、受注するだけの体制から脱却を図ります。
このときの経験が、翌日に公開予定の後編の記事「競争激化のアウトドア市場 新商品は市場ニーズから考えた体験型焚き火台」で紹介する新規事業へとつながります。
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