目次

  1. 職人だった祖父、大手メーカーの下請けとして創業
  2. 「板金屋のための板金屋」あえて選んだ二次下請け
  3. 祖父・父から学んだ「会社の魅力や強みはトップで決まる」
  4. 入社3カ月 父が脳出血で倒れる
  5. ワンマンからチーム・リーダーで仕事を進める体制にシフト
  6. 経営者は会社の未来を創造するのが仕事

 小沢製作所は、東京・立川にある国立昭和記念公園の前身、立川飛行場周辺にあった関連工場で、板金加工職人として技術を磨いた小沢さんの祖父、小沢登さんが1966年に設立しました。

 当時、職人の腕ひとつで板金加工を手がけていましたが、工作機械の進化に伴い、機械を次々と導入。プログラミング(コンピュータ)で加工を制御するNC工作機もいち早く導入するなどして、他社との差別化をはかり、業容を拡大していきます。

さまざま工作機械や設備がそろう工場

 1992年にはさらなる拡大を目指し、現在の拠点である工業団地へと移ります。また、取引先など経営戦略を大きく転換した時期でもありました。

 創業した当初は、大手通信機メーカーの一次下請けとして、計測機器の筐体(機械を収める箱)や内部の金属部品などを手がけていました。ところがあるとき、メーカーの製造拠点が東北に移ることになり、ついていくかどうかの判断を迫られます。

 「結果として、ついていきませんでした。さらに、一次下請けからあえて二次下請けのポジションになることで、それまでネックになっていた課題を解決していきました」

 一次下請けの場合には、納める部品の品質管理を自社で担う必要があります。そのため工場での製造以外でのバックオフィス業務にも力を入れる必要がありました。

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