目次

  1. 設計事務所を営む家で生まれ育つ
  2. ハステック創業者の熱意に惹かれた
  3. 入社1カ月後に創業者が心臓発作で他界
  4. 多額の負債が発覚 現預金数十万円の事業承継
  5. 気合・根性+“建築スキル”で他社と差別化
  6. 売上高は数十億円へ 別の事業に進出

 田島さんは大阪で設計事務所を営む家で生まれ育ちました。創業者は祖父で、父親が2代目。長男の田島さんも、幼いころから家業を継ぐものだと思っていました。

 「最盛期には15人ほどの社員が働く事務所で、事務所に遊びに行ったり、会社の忘年会などに参加したりしてはかわいがられていましたね。製図の紙を取り換える手伝いをすることもありました」

 創業者の祖父は母方であり、父親は元々会社員で建築や設計とは無縁でした。にもかかわらず結婚後、働きながら夜学で建築を学ぶ背中を見ながら田島さんは育ちました。

 大学で建築を学んだ後、設計士として不動産会社の建築部門に入社します。大学で1年留年していた田島さんは、1日も早く成長したい、との意欲を持っていました。しかし、しばらくすると違和感を覚えます。

 「父親や祖父は朝から晩まで、休日も返上で仕事三昧の日々でしたし、それが当たり前の働く姿だと思っていました。そのため入社当時は、ベンチャー企業らしい仕事三昧の環境を楽しんでいました。ところが、上場に際し労働環境が変化していきました」

 結果、2年もしないうちに会社を去る決断をします。

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