日の目を見てない策に救われた 崎陽軒4代目が大事にする平時の種まき
おなじみの黄色いパッケージの駅弁「シウマイ弁当」で知られる、1908年創業の崎陽軒(横浜市)。4代目の野並晃さん(41)は、キリンビールを経て家業に入り、コロナ禍が続く中で社長に就任しました。出張など移動の減少で売り上げが大きく落ちたとき、それまで日の目を浴びてこなかった施策が突破口になったといいます。
おなじみの黄色いパッケージの駅弁「シウマイ弁当」で知られる、1908年創業の崎陽軒(横浜市)。4代目の野並晃さん(41)は、キリンビールを経て家業に入り、コロナ禍が続く中で社長に就任しました。出張など移動の減少で売り上げが大きく落ちたとき、それまで日の目を浴びてこなかった施策が突破口になったといいます。
ーー子どもの頃、家業はどのような存在でしたか。
特に意識することはなかったです。二世帯住宅で一緒に暮らしていた祖父(当時の会長)からも、仕事の話をされた記憶はありません。ただ思い返すと、友達からは「おまえんち、冷蔵庫開けたら赤い包みがいっぱいなんだろう」などとネタには使われていましたね(笑)。
妹が1人いる長男ですが、だから継げと言われたこともありませんでした。ただ、大学3年で就職活動が始まった時は、父に「どうするんだ」と聞かれましたね。いきなり会社に入るよりは他の会社を経験したかったので、「崎陽軒に最初から入るつもりはありません」と伝えて就職活動をしました。
ーー新卒でキリンビールに入ります。選んだ理由は?
大学は経済学部でしたが、勉強よりもサッカーに打ち込んでいた学生時代でした。部の先輩でサントリーに行く人が多かったんです。企業研究をする中で、当然キリンビールにも興味を持ちました。崎陽軒と同じ横浜を発祥とする企業ですし、同じ食品会社でもあります。
ーーどのようなお仕事を経験されたのでしょうか。
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神戸支店に配属され、営業を担当しました。地域の酒屋さんや飲食店さん、お酒のルートとなる卸さんを回ったり、一般企業にファンを作る活動をしたりしました。
ーーキリンビールでの勤務で気づかれたことはありますか。
これは崎陽軒に入ってからの比較になりますが、ビール会社には明確な競争相手がいます。同じエリアにライバル企業の営業がいて、競争しながらも会合で一緒になったりする面白い世界だなと思いました。かたや、崎陽軒は中小企業としての生き残り方と言いますか、大資本が入ってこないニッチなマーケットをやらせてもらっている。そこは大きな違いだと感じました。
大きな資本があってバチバチ戦える大企業と違って、中小企業はリソースが限られている。生き残りのため、負けないためには、「戦わない状況をいかに作っていくか」が大事だと考えています。
ーー確かに崎陽軒はオンリーワンのイメージが強く、苛烈なシェア争いとは無縁にも思えます。
崎陽軒は自分の製品を自らで作って、自分たちの店頭で販売しています。会社の中で企画が通れば、店頭まで並べることができます。しかし、キリンビールはメーカーでしたので、小売店や飲食店に取り扱ってもらわないと、最終的にお客様に届けることができません。へまをしたら他のメーカーに変えられてしまう。そんな緊張感を含めて、良い経験をさせてもらいました。
ーー3年後の2007年に崎陽軒に入られます。入社して最初の仕事は?
最初の1年間は3カ月ごとに色々な現場を回らせてもらいました。お弁当の製造現場、シウマイや点心の製造現場。販売店に立って販売員の仕事もしました。最後の3カ月はレストランのホールスタッフでした。
お弁当を詰めるラインでは、先輩方から「遅い」と言われながら働いていました。1日1日、繰り返しの作業の中で、これだけの数の製品が毎日製造、出荷され、毎日これだけの製品を誰かが召し上がってくださっている。そう肌で感じられたことが、製造の現場を経験して良かったことです。
ーー実際どのくらいの数を製造されているのですか。
いろいろなお弁当を作っていますが、シウマイ弁当が1日平均で2万7千食、シウマイはお弁当に入るものも含めて1日平均で約80万個です。
ーー入社3年目からはビジネススクールに通っています。これは、どういう理由で。
学生時代は週6日サッカーグラウンドにいるような生活だったので、頭の中もきちんと鍛えなければと。父親が出たビジネススクールでもあり、自分がなりたいポジションにいる人の持つ知識を身につけるべきだと思ったのです。
ーー入社から5年後の2012年春、取締役に就任しました。
神奈川県下の営業店舗の責任者の立場となり、引き続き企画開発課を兼務しており、新業態を作ることがミッションとして与えられていました。
ーー具体的に新規事業は実現したのでしょうか。
2013年、「RIGHTEOUS!(ライチャス)」というサンドイッチ店を横浜ベイクォーターに出店しました。ワンハンドで料理を手軽に食べてもらうコンセプトで、崎陽軒というネーミングを使わず、店舗や製品にこだわりました。しかしながら結局うまく行かず、2年ほどで撤退しました。
ーー初めての大きな失敗。でも早めに経験した方がいいですよね。トップに立ってから大きな勝負をして大コケするよりいいのでは。
本当にそうですね。いいタイミングでやらせてもらいました。その時に改めて、崎陽軒の名前、ブランド価値の大きさにも気づかされました。事業はうまくいかなかったけれども、新しいことにチャレンジする中での学びは間違いなくあり、チャレンジを積み重ねていくことの大事さも知ることができました。自分だけではなくて、社員もチャレンジできる雰囲気を会社の中で作りたいと思っています。
ーー企画開発課と営業の後は。
シウマイ点心事業部といって、その名の通りシウマイと点心類の製造と販売の責任者を2年やり、その後、本店・レストラン事業部でレストラン事業をトータルで見るようになりました。
ーーそして2022年5月、社長に就任されます。なぜこのタイミングだったのでしょう。
もちろん、当時の社長(現会長)の意思判断が大前提ではあるのですが、一方で私はずっと青年会議所で活動しており会頭にも就任しました。この役職をやりながら、会社の社長を新たに継ぐのは、ちょっと無理だろうと思ったので、現会長に「今は青年会議所の役職を精いっぱいやらしてほしい」とお願いしていました。
会長は2021年の5月、あと1年でこの役職を終えると発表しました。後任を誰にするとは言ってはいませんが、1年後に社長が代わることは分かっていました。おかげ様で、青年会議所の会頭を任期の21年12月31日まで務めさせてもらい、22年5月、社長に就任したという形です。
ーーコロナ禍がおさまらない中での就任です。これまでにどんな影響がありましたか。
コロナのダメージが1番大きかったのは、最初の緊急事態宣言が出された2020年の4月です。単月での売り上げは前年対比6割以上ダウンしました。もともと帰省客のお土産需要もあって、毎年お盆と年末に売り上げの山があったのですが、移動の自粛でそこも打撃を受けましたね。
ーー売れる商品の種類に変化などはあったでしょうか?
コロナ以前は、シウマイとお弁当の売上比率が大体半々でした。シウマイはお土産としてのご利用も多く、コロナでお土産需要が減ってしまった影響で、回復が少し遅れました。
一方、お弁当は一時期飲食店がお店を開けなかった状況の中、ご家庭で楽しまれるために買われる方が多く、コロナ禍の中でも堅調に回復し、その後伸びていきました。
ーーお弁当は駅弁として駅で買うイメージが強かったので、それは意外でした。
ターミナル駅の売り上げは大きく落ちこんだものの、生活に密着したエリアの店舗は非常に堅調でした。ありがたいことに、地元の方々に日常的に召し上がっていただいています。そんなこともあり、この2年間はロードサイドの出店に力を入れ、2020年9月以降から計17店舗をオープンしました。電子レンジで調理できる冷凍のお弁当「おうちで駅弁シリーズ」も拡充していきました。
ーー出張や帰省の機会が減っても、それ以外のシーンでお弁当を楽しんでもらえたわけですね。
ただ、いずれも全く新しく始めた施策ではありません。それまであまり日の目を浴びていなかったものが、コロナになって「意外といい感じだから広げていこう」と注目されるようになりました。そういう意味で、平時からの種まきが重要だと改めて思いました。
経営でも「選択と集中」が大事だと言われますが、集中しすぎると柔軟性を失うというのを、このコロナ禍で改めて実感しました。ある瞬間で「うまくいってないなあ」という事業も、続けられる体力を持ち続ける企業ではありたいですね。環境の変化に対して柔軟に対応できる組織作り、チャレンジし続ける風土作りを、組織のトップとしてやっていきたいと考えています。
※後編では、崎陽軒があえて全国展開をせず横浜ローカルにこだわる理由に迫ります。
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