26歳で就任した北陸製菓8代目 「ビーバー」を前面に売り上げ5割増
北陸で人気の揚げあられ「ビーバー」を製造する北陸製菓(金沢市)は、髙﨑憲親さん(30)が先代の父に直談判して26歳で8代目社長になりました。地域での圧倒的なブランドを目指して生産体制やプロモーションを強化。米NBAで活躍する八村塁選手がビーバーを配る様子がSNSで話題を呼んだことも追い風に、社長就任3年で売り上げを5割伸ばしました。
北陸で人気の揚げあられ「ビーバー」を製造する北陸製菓(金沢市)は、髙﨑憲親さん(30)が先代の父に直談判して26歳で8代目社長になりました。地域での圧倒的なブランドを目指して生産体制やプロモーションを強化。米NBAで活躍する八村塁選手がビーバーを配る様子がSNSで話題を呼んだことも追い風に、社長就任3年で売り上げを5割伸ばしました。
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北陸製菓は1918年に創業し、ビーバーをはじめとする米菓子のほか、ビスケットや乾パンなどを製造販売しています。2021年の売上高は19億円で従業員数は約110人。主力のハードビスケット、シガーフライを中心に70品目を扱っています。
髙﨑さんは創業家ではありませんが、祖父が6代目に就き、先代の父・憲二さんからバトンを受け取りました。
「創業家でないこともあり、代々継ぐものという意識は少なかったと思います。父や祖父が代表を務めているという程度で、将来の夢はころころ変わりました」
高校までバスケットボールに打ち込み、関東の大学に進みます。大学3年生の時、父の中国出張に同行したことが家業を意識するきっかけになりました。
取引先だった中国企業の社長が、信頼関係を築くためにお互いの家族を見せ合うという考えでした。髙﨑さんは「従業員も同行するし、父に恥をかかせるわけにはいかない。はじめて会社のことをしっかり調べました」。
北陸三県だけにとどまらない事業の広さを感じ、興味がわきました。出張自体は先方の息子とあいさつを交わす程度でしたが、父親の仕事ぶりをはじめて間近で見る機会となりました。
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大学卒業後の15年、北陸製菓に入社し、2年間は工場で製造ラインを経験。包装や原料倉庫の管理なども含めすべての工程で働きました。
入社時は承継を約束されていたわけではありません。働くからには活躍したいという思いがあり、そのために現場を知ることが大切だと感じていました。
重労働もありましたが、仕事は楽しかったといいます。特に現場でのコミュニケーションは社長になった今も生きています。「当時はパート従業員の方とよく食事などをしていました。2年間一緒に働くと距離は縮まり、今も気軽に声をかけてくれます」
その後、常務や副社長となり、会社の中身を知るほど、課題やもどかしさを感じました。
大手と競合する中でどう強みを発揮し、営業戦略をかければいいかが不明確だと思っていたのです。
「地元でも、40代以下で北陸製菓が何を作っている会社か答えられるのはほとんどいないのではないかという危機感がありました。ハードビスケットやシガーフライというロングセラーで、会社を100年以上続けた先輩方を尊敬しています。ですが、それらの訴求だけで50年後も持続可能なのかと思ったのです」
「北陸で圧倒的な菓子ブランドをつくる」。そんな新しいビジョンを考えた髙﨑さんは、父に「社長をしたい」と直談判しました。この時、髙﨑さんは25歳、父もまだ59歳でした。
「父は当初驚いていました。100年続いている会社ですから当然です。25歳に社員がついてくるのか、金融機関や取引先との折衝も任せられるかと、役員も含め心配されました」
髙﨑さんは父や取締役に「次世代への菓子文化の継承も含めて発信し、圧倒的なブランドをつくるべきだ」という熱意を伝え続けました。
「まずは地元北陸で他に負けないブランド商品をつくると。ただ、予算が潤沢ではないので商品数の絞り込みが必要です。その分の売り上げと利益を一部捨てることでもあり、なかなか理解は得られませんでした」
心配されても「必ずやり遂げる」という意志は揺るぎません。父親や役員も熱意を受けとめ、最後は認めてくれました。「父も私も年を取ってから承継しても、お互いに新しいアイデアもエネルギーも衰えています。それではもう遅い、だから今なのだと」
創業100周年を迎えた2018年12月、髙﨑さんは26歳で北陸製菓の経営を継ぎました。実際、就任後半年で生産力の余剰を作るために商品数の絞り込みも断行しました。
北陸製菓の看板となったビーバーは元々、1970年に福富屋製菓という会社が製造を開始。当時の開発者が同年の大阪万博でカナダ館を訪れ、マスコットのビーバーの歯とあられの形が似ていると思ったことに由来しています。北陸で定番の揚げあられになりました。
福富屋製菓の経営難で福屋製菓が96年に事業を買い取りましたが、同社も経営破綻に陥ります。「無くさないでほしい」という地元の要望に応え、北陸製菓の先代が事業を買い取り、2014年から製造を担いました。福屋製菓の元社員を製造現場に受け入れ、当時の同社社長も北陸製菓で働いています。
髙﨑さんは「北陸一のブランド」をつくるため、仕掛け方次第でビーバーの可能性をもっと伸ばせると考えました。「北陸3県の米を使ったお菓子で、地元の人の心にすっと入ると感じました。ビーバーのかわいい商品キャラクターも生かせると思いました」
就任後の3年間は北陸での地盤固めを徹底しました。効率を上げるためにビーバーの製造ラインも増設し、製造量を倍にしました。
当時、ビーバーにはプレーンと白エビ、のどぐろ味がありました。まず、若い世代にもっと広めようとSNSでの発信を始めます。キャラクターの着ぐるみを作り、地元スーパーの催事から販促をスタート。イベントにも積極的に出て、キャラクターをモチーフにしたLINEスタンプも作りました。
プレーン味は全国のスーパーなどに広げ、19年7月には販売を停止していたカレー味のビーバーを復活させました。
その矢先、予期せぬ出来事からビーバーの名は全国に知れ渡ります。NBAで活躍する八村塁選手が、地元の富山県名産の白エビ味のビーバーをチームメートにお裾分けする動画がSNSで話題になり、瞬く間に拡散されたのです。
「まさにうれしい悲鳴でした。八村選手の件は全くの想定外でしたが、(プロモーションを)仕掛ける準備はできていました」
それでも全国から問い合わせが殺到すると、製造が間に合わずはじめて商品が一時店頭からなくなる事態になりました。「あのころは電話で謝罪ばかりでした。特に白エビ味のビーバーは北陸3県でしか売っておらず、全国から取り扱いを頼まれました」と振り返ります。
「でも、結局地域外には出さなかった。私の目標は北陸一の菓子ブランド。北陸に特化する道を選んだのです」
髙﨑さんは北陸での展開に特化し、3年かけて「圧倒的なブランド」を積み上げました。売り上げは承継時の12億5千万円から19億円に増加。同社によると、北信越5県の米菓ブランドの直近5カ月売り上げでは1位(22年10月現在)を維持しているといいます。
「素朴でどこか懐かしい感じがするビーバーは、お土産として定着していると感じています。地元で愛されているお菓子を、さらに知ってもらえてうれしいです」
八村選手との縁は大型プロモーションに発展します。22年秋、八村選手が出場したNBAプレシーズンマッチ(さいたまスーパーアリーナ)に、北陸製菓が公式スポンサーとして名を連ねたのです。「子どものころから大好きだったバスケット、そしてきっかけをくれた八村選手への感謝も込め協賛を決めました」
当日は2万人の来場者にビーバーを配りました。前日のレセプションでは八村選手との初対面します。「自分もバスケが大好きで、これからも応援していますと伝えました。八村選手からは『おいしいですよね』と言っていただきました」
北陸製菓は地元でバスケットボールの大会を開き、富山県のプロバスケチームなどの支援にも力を入れています。
21年には髙﨑さんと同じ中学校出身で大相撲の炎鵬関が監修する「炎鵬ちゃんこビーバー」も発売しました。
北陸での地盤を固めた同社のプロモーションは、新たなステップに入りました。
新海誠監督の映画「すずめの戸締まり」では、ビーバーのパッケージに映画のキャラクターを使用しました。「THE FIRST SLAM DUNK」では上映初日に、関東の映画館の入場特典としてビーバーを配りました。
「ビーバーとの接点を作るため、通常はリーチできない客層に向けたコラボを進めています。『すずめの戸締まり』は47都道府県を含めた企画で石川県代表として選んでいただきました。『スラムダンク』については、やはりバスケのおかげで今の弊社があるという思いがあり、どうしてもご一緒したい作品でした」
「もちろん運もありましたが、それだけではないと自負しています。社員の頑張りや様々な要因が重なりプラスのスパイラルが生まれています。それは、チャンスが巡った時に対応していくだけの準備ができているということです。これから全国、アジア、世界進出にも本腰を入れていきたいと考えています」
23年1月にはバレンタイン商戦を見据え、チョコをあられにしみ込ませた新商品「チョコビーバー」を冬季限定で発売しました。ビーバーの歴史で初のチョコ味です。
髙﨑さんが菓子メーカーの経営者として大切にするのが「女性目線」といいます。女性社員の意見を採り入れプロモーションを強化しているのが「米蜜ビスケット」です。
卵と乳成分は使わず、金沢市のあめ店・俵屋が提供する米由来の「じろあめ」と、玄米甘酒・塩こうじを使用したビスケットになります。売り上げを伸ばし、有名チョコレートブランド「ゴディバ」とのコラボ商品も販売しています。
「子ども向けにもっと甘さをおさえて」、「ここにイラストが隠れてたら喜ぶ」といった意見を集め、ウェブでのアンケートや母親への試食調査などで商品を進化させています。
もう一つ意識しているのはスピードです。「決裁に時間はかけず、良いと思ったら電話一本で決めます。やみくもに下した判断ではありません。即決ができるのは常に従業員のみんなと身近に話しているからです」
コロナ禍でも全体の売り上げは伸びました。しかし「観光が全滅した分、もっと伸びたはず」と強調します。「会社の中心メンバーには『もっと上がったはずだけれど、伸び悩んでいます』というくらいの感覚でいてほしいと話しています」
20代の髙﨑さんは若さゆえの熱意と勢いで承継を求めました。実績を上げた今、その判断は間違っていなかったといいます。
「若い時に引き継いでもらえて良かった。この年齢だからこそパワーもあり、長期的な目標が立てられます。父をはじめ認めてくれた周囲の皆さん、私についてくれる会社の仲間に心から感謝したい。これからも世界に笑顔とおいしさを届ける努力を続けます」
「北陸一のブランドをつくる」と心に決めて、会社を継いでまだ4年目。30歳の挑戦は始まったばかりです。
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