「瀕死の状態」で挑んだ自社製品 米富繊維3代目が社員に示した覚悟
山形県山辺町の米富繊維は1952年創業のニットメーカーです。かつては300人超の従業員を抱えましたが、低価格化による海外生産の増加など、時代の波にのまれて一時は「瀕死の状態」に。3代目の大江健さん(45)は工場によるOEM(相手先ブランドによる生産)が中心だった家業で、それまでの技術や蓄積を生かした自社ブランド開発に乗りだし、高い評価を得ました。
山形県山辺町の米富繊維は1952年創業のニットメーカーです。かつては300人超の従業員を抱えましたが、低価格化による海外生産の増加など、時代の波にのまれて一時は「瀕死の状態」に。3代目の大江健さん(45)は工場によるOEM(相手先ブランドによる生産)が中心だった家業で、それまでの技術や蓄積を生かした自社ブランド開発に乗りだし、高い評価を得ました。
目次
米富繊維は52人(2022年12月現在)の従業員を抱え、年間5万枚のニットを生産。国内外100社以上と取引し、売上高は5億3800万円です。
高い技術力を売りに、ニット製造の要となる「編み立て」を行うエリアでは、国内では珍しいローゲージ(編み機の針の密度を表す単位「ゲージ」が小さいこと。太い糸でざっくりと編み込むため、網目の模様が分かりやすいのが特徴)に特化した機械が43台並んでいます。
創業したのは、大江さんの祖父良一さんと祖母英子さんです。2人は戦後、山辺町をニット産地にした立役者でした。
大江さんは小さいころから「大江さんのお孫さん」として見られ、誰もが自分の実家を知っている環境で育ちます。小学校の同級生の親が米富繊維の工場で働いていたこともありました。
ただ、祖父母や両親から仕事の話をされることはなく、社員旅行には数回付いていきましたが「工場にもほとんど入ったことはなかった」と振り返ります。中高でソフトテニスに明け暮れ、高校卒業後に上京し、大学の後にファッションの専門学校でも学びました。
卒業後は東京の大手セレクトショップで販売職に就きます。将来、米富繊維を継ぐ布石と思いきや「アパレル業界に入ったのはたまたま。テニスの次に興味を持ったのがファッションでした」。
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米富繊維は85年、大江さんの父富造さん(現会長)に代替わりしていましたが、バブル崩壊とともに受注が激減。コストの低いアジアへの生産地シフトが加速する中、売り上げも下降の一途で、リストラを行うなど会社は大きく変わってしまいました。
大江さんは同じアパレル業界にいながらも「できるなら継ぐのは避けたい」と考えていましたが、家業の厳しい状況を聞くたび「これからどうなるのだろう」という思いが頭をよぎりました。
そんな折、父親と初めて会社の今後について話す機会があったといいます。30歳を前に、今後のキャリアに迷っていた時期でもありました。「このまま自分の気持ちをごまかしていたら、きっと会社はなくなってしまう」と米富繊維への入社を決意します。
父親と語り合うなかで、会社の事業構造を変えるためにも「オリジナルブランドをつくるべきではないか」という話になりました。「小さなところで挑戦してみたい」と考えていた大江さんのチャレンジ精神に火がついたのです。
ただ、入社を決めた時も「『継ぎたい』よりも『ブランドをつくりたい』という気持ちの方が大きかった」と言います。
大江さんは2007年、29歳で米富繊維に入社しました。家族が住む東京に生活の拠点を置いたまま、山形と行き来する日々がスタート。それまで家業に関わっていなかったため、当時は社長の息子である大江さんの存在を知らない社員もいたそうです。
入社後は、まず大手アパレルメーカーやデザイナーブランドなどのOEMの営業を担当しました。「当時は世間知らずで工場やサプライチェーンのことはよく分かっていなかった」。機械の仕組みや原料調達など、日常業務を通して少しずつ工場の仕事を覚え、営業に生かしました。
しかし、入社前に「瀕死の状態」とは聞いていたものの、入ってみると「想像以上にヘビーな状況だった」といいます。リストラは一段落していましたが、当時の米富繊維はニットの企画・生産・販売を行う系列会社のトーアテキスタイルと合併したばかり。互いに慣れ親しんだ業務の進め方があり、ものづくりの方法を巡って派閥が生じ、あまり良くない雰囲気が漂っていたといいます。
大江さんは「自社ブランドに初挑戦したい」という思いを胸に入社したものの、それどころではありません。
「一つの会社としてまとめるためにどうすればよいか」を思案した結果、「“新しい米富”の方向性を示すため、新しい人に入ってもらおう」と、久しぶりに新卒採用を再開し、人材の活性化を図りました。
“新しい米富”を示すためにも、自社ブランドの開発は急務でした。大江さんはOEMの営業と並行して、ブランド立ち上げの準備を進めます。
しかし、一筋縄ではいきません。まだ実績がない大江さんに、社内では「社長の息子が何かしている」という空気が漂い、社員は「反対はしないけれど、協力もしない」という状況だったといいます。
孤軍奮闘していた大江さんですが、ニットのサンプル生地を編んだのに職人に縫製してもらえなかった時は、心が折れそうになりました。
生地を縫い合わせないと製品は完成しません。「会社のためによかれと思ってやっているのに何をしているんだろうと、その時ばかりは情けなくなりました」
しかし、その一件で大江さんは「縫ってもらえないのは、自社ブランド開発の重要度が高いと思われていないから」と決意を新たにしました。
社内での重要度を上げるためには「まず自分が後ろに引けない状況をつくるしかない」。本気度を示すため、アパレル業界の有力バイヤーが集う合同展示会への出展を決めます。
「一般の従業員であればほめられることも、社長の息子である自分は結果を出して当たり前。人の倍以上やらないと認められない」と自身に発破をかけました。
準備を進めるなかで「作って、売ることができる」という自分の強みも見えてきました。ものづくりやOEMの営業ができる社員はほかにもいますが、販売の経験があるのは大江さんだけでした。
会社のための自社ブランド開発が、結果として「社内での自分の居場所づくり」にもつながっていたのです。
10年4月、ついに自社ブランド「COOHEM(コーヘン)」が完成しました。米富繊維が得意とするローゲージの編地を生かした製品で、鮮やかでファンシーなデザインが特徴です。
コーヘンという名前は、異なる形状の複数の素材を組み合わせて編み立て新しい素材に仕立てる「交編」という技術に由来します。
一般的にニットと言うと、目の詰まったハイゲージをイメージする人が多いかもしれませんが、米富繊維は国内では珍しいローゲージに特化した工場で、表情豊かな編地の開発が強みです。
長い歴史を持つ同社には編地のアーカイブが大量にあります。中でも、大江さんが着目したのは、ニットの機械を使ってツウィードに見えるように編まれた素材「ニットツウィード」でした。
ツウィードは本来、羊毛を使った織物の一種で、クラシカルな柄としっかり織られた高級感が特徴です。着始めは着心地が硬く、かっちりした印象になりがち。しかし、それを伸縮性のあるニットで表現することで、何色もの糸を使った美しい見た目はそのままに、柔らかな着心地とカジュアルなスタイルにもなじむ服作りを実現させたのです。織物であるツウィードを編み物で表現できるのは、同社の交編の技術があってこそでした。
米富繊維の高い技術力で色や素材を組み合わられるニットツウィードに、大江さんは無限の可能性を見いだします。職人の技術力とデザイナーの感性を掛け合わせ、コーヘンという「うちでしかつくれない」ブランドが誕生しました。
その技術と感性を支えているのは、多彩な編地を生み出すプログラミング力です。早くから編み立てコンピューターを導入した同社は、高度なプログラミング技術で複雑な柄を表現し、コーヘンのように付加価値の高い編地を生み出しているのです。
一つのプログラミングを完成させるのに、1週間以上かけることもあるといいます。さまざまな素材と色、柄の組み合わせごとに最適な編み方を見つける作業は一朝一夕にはできず、長年の経験で得たノウハウと生産体制のたまものです。
工場では現物とサンプルに生産ラインを分け、開発力を磨くためのサンプル制作にも力を入れています。
大江さんのアイデアを形にするには、同社の技術に裏打ちされた開発力と、各工程での社員の協力が不可欠でした。最初は積極的ではなかった社員も、大江さん自らブランド立ち上げに邁進する姿を目の当たりにし、新しいメンバーが入って社内の雰囲気も変わってきたことで、協力的になったといいます。
コーヘンの初の展示会出展は大成功でした。商品力に加え、陳列や接客など大江さんが前職で得た「売るノウハウ」を生かして、デビューコレクションから複数の大手セレクトショップが買い付けてくれました。
展示会で手応えを得た後も、大江さんの緊張感は続きます。「立ち上げた後も売り上げが下がったら社内で『やめろ』と言われるのではないかと思い、1円も落とさないようにやってきました」
関わるスタッフも少しずつ増え、コーヘンはシーズンを追うごとに販路を拡大します。パリの展示会に出展するなど意欲的に海外にも挑戦し、国内外でブランドの認知を高めてきました。
その功績が認められ、15年には国際的な活躍が期待されるブランドに贈られる「TOKYO FASHION AWARDS2016」を受賞します。
販路拡大と同時に、ものづくりも着実にステップアップしました。立ち上げ当初は半信半疑だった生産現場のスタッフも、売れることで自分たちの技術への自信を付けていきます。
コーヘンを立ち上げるのに、ゼロから新しい技術を開発したわけではありません。「米富に元々あった技術的な潜在能力を生かし、形を変えて提案しただけです。社員は自社の技術への理解を深め、メンバーが増えたことで新しいことにもチャレンジできるようになりました」
現在、同社はコーヘンのほかにも二つの自社ブランドを立ち上げ、すべての自社ブランドで売り上げの5割を占めるようになりました。
今はシーズンごとに「トライすること」を決めて、コーヘンの新商品開発に取り組んでいます。大切にしているのは「ニットでこんなことができるんだ!」と感動を与えられる商品を生むことです。
23年春夏の新作では、立体的な表現を可能にするジャカード編みで、花柄を大胆に配した生地を開発。あえて編地の裏面を表として使うことで、絵画を思わせる奥行きのある表情に仕上げました。
クリエーティブの力で「まだ見たことがないニット」を提案するため、現場は日々試行錯誤しています。
※後編は、15年に後を継いだ大江さんが実践したデザイン経営の進め方やその成果、コロナ禍での新たな挑戦に迫ります。
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