目次

  1. 工場にも入ったことがなかった
  2. 海外シフトで売り上げが下降
  3. 合併直後で生じた派閥争い
  4. 反対も協力もしない社員
  5. アーカイブ素材に「無限の可能性」
  6. アイデアを支えた技術力
  7. 海外挑戦で高めたブランド認知
  8. シーズンごとに新たなトライ

 米富繊維は52人(2022年12月現在)の従業員を抱え、年間5万枚のニットを生産。国内外100社以上と取引し、売上高は5億3800万円です。

 高い技術力を売りに、ニット製造の要となる「編み立て」を行うエリアでは、国内では珍しいローゲージ(編み機の針の密度を表す単位「ゲージ」が小さいこと。太い糸でざっくりと編み込むため、網目の模様が分かりやすいのが特徴)に特化した機械が43台並んでいます。

 創業したのは、大江さんの祖父良一さんと祖母英子さんです。2人は戦後、山辺町をニット産地にした立役者でした。

 大江さんは小さいころから「大江さんのお孫さん」として見られ、誰もが自分の実家を知っている環境で育ちます。小学校の同級生の親が米富繊維の工場で働いていたこともありました。

創業者の祖父良一さん(右)(同社提供)

 ただ、祖父母や両親から仕事の話をされることはなく、社員旅行には数回付いていきましたが「工場にもほとんど入ったことはなかった」と振り返ります。中高でソフトテニスに明け暮れ、高校卒業後に上京し、大学の後にファッションの専門学校でも学びました。

 卒業後は東京の大手セレクトショップで販売職に就きます。将来、米富繊維を継ぐ布石と思いきや「アパレル業界に入ったのはたまたま。テニスの次に興味を持ったのがファッションでした」。

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