目次

  1. 価格を決められないシステムに不安
  2. 百貨店での行商で感じたジレンマ
  3. 卸し先のなくなった品種を紅茶に
  4. 機能性という付加価値をプラス
  5. 地道な経費見直しも支えに
  6. 露出経路を増やす戦略

 東垂水さんは、南九州市知覧町で祖父が始めたお茶農家の3代目です。大学卒業後1年間サラリーマンを経験した後に家業の道へ入ることを決意しました。

 「もともと積極的に家業に入る意思はなかった」という東垂水さん。勤務していた鹿児島市の紙を扱う会社で単身赴任を命じられたことや、家庭の事情など、いくつかのことが重なってこの決断に至りました。

 その後、2年間知覧の茶問屋で修業をした後に就農して家業に入りました。

 東垂水さんが家業に入った1996年は、まさにお茶業界のバブル時期でした。お茶農家は4月~10月のお茶シーズンには数千万円の収入があり、半年働いて半年遊ぶような時代だったといいます。しかし、その一方でかげりの兆しも見せていたと東垂水さんは振り返ります。1996年は、伊藤園がペットボトルの緑茶飲料『お~いお茶』の500mlを発売開始した年でもありました。

 「それ以前は、例えば新幹線で駅弁と一緒にお茶を買う時、ティーバッグのお茶が入ったポリ容器にお湯を注いでもらうのが定番でした。でもペットボトルの緑茶が発売されてどんどん売れていくようになりました。どこかで現状維持のままではいけないという気持ちがありました」

 急須で煎れるときに使われるリーフ茶の需要が少しずつ減少して、ペットボトル緑茶用の茶葉の需要が増加していきます。茶葉の相場やお茶の飲まれ方に変化が起こりつつありました。

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