「社長を辞めて」と迫ったムソー工業3代目 ニッチな技術を広げる知恵
東京都大田区のムソー工業は、大手企業や大学などが実験で使う試験片を製造する町工場です。3代目社長の尾針徹治さん(41)は、引きこもり状態になったり、ピアノの調律師になる夢が破れたりして家業に入社。先代である父の反対を受けながらも、試験治具の設計やホームページを活用した集客、「下町ボブスレー」への参加など、事業を積極的に拡大し、5年間で新規取引先を6倍に増やしました。
東京都大田区のムソー工業は、大手企業や大学などが実験で使う試験片を製造する町工場です。3代目社長の尾針徹治さん(41)は、引きこもり状態になったり、ピアノの調律師になる夢が破れたりして家業に入社。先代である父の反対を受けながらも、試験治具の設計やホームページを活用した集客、「下町ボブスレー」への参加など、事業を積極的に拡大し、5年間で新規取引先を6倍に増やしました。
目次
「うちは製造業の中でもわかりにくい、ニッチなものづくりをしている」と尾針さんは言います。
試験片や試験用治具、試験装置を作るムソー工業は、取引先の約7割がJFEスチール、東京電力、旭化成などの企業、残る3割を大学や公的機関の研究所が占めます。
「試験片とは材料試験用のテストピースです。例えば、車は全体の7割が鉄ですが、サスペンションやブレーキ、ステアリングなどにはそれぞれ異なる性質の鉄が使われます。使い方や構造、機能に合う最適な素材でなければ車の安全性を保てません。そのため開発段階で試験片を用いた材料試験を行います」
材料試験は衝撃・圧力・時間・温度などあらゆる条件下で行われ、試験片が壊れるかどうか、もしくは壊れる条件を調べます。
同社は主に金属素材の試験片を製造しています。「試験片で最も大切なのは、どの素材を用いても完成品は全く同じ形状にすること」といいます。
少しでも形が違えば、正しい実験結果が出ません。しかし硬さや密度などそれぞれ特徴がある金属を全く同じ形状に加工するのは至難の業です。「職人たちは素材の特性を見極め、使う工具や削る速度などを工夫し、同じ形状にする技術があります」
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時に顧客からは「加工で金属が発熱した際、冷却に水を使用してはならない」といった難しい要望もあります。その際は「水の代わりに空気を吹きかけて冷却する」、「ノコギリの刃や操作を工夫し発熱を抑える」といった工夫をします。各素材や製造機械の特性を熟知した職人だからできることです。
尾針さんは「3メートルを超える大型試験片の製造もできる」と胸を張ります。
同社は、尾針さんの祖父・嘉一さんが1950年、武蔵工業研究所として創業。大学で機械加工の指導者だった嘉一さんは、教授の依頼で試験片を製造し、のちに事業化しました。63年にムソー工業となり、今は12人で業務にあたっています。
尾針さんは元々、家業への関心はなかったそうです。
「昭和気質で荒っぽい性格の親父(2代目)とソリが合わず、10代のころはほとんど口をききませんでしたね。親父からは製造業と経営者双方の資質がないと見なされたので、入社してほしいとも思っていなかったようですし、僕も継ぐとは思っていませんでした」
尾針さんはバンド活動や吹奏楽に打ち込みました。「当時は人前でしゃべるのも難しく、表現できない感情を音楽にぶつけていました」
しかし、大学卒業後は人生に希望を見い出せず、就職せぬまま半ば引きこもり状態に。「『死ぬまでに観たい映画1001本』という本で紹介された映画を全部見て、死のうかとも思っていた」
心の支えはインターネットでした。オンラインゲームやチャットを通じて仲間が増え、自分の居場所ができたそう。尾針さんは仲間を頼りに大阪へ移住し、新生活をはじめます。
尾針さんは大阪で大手通信企業の子会社に入社。仕事を通じて自信がつき、徐々に人と話せるようになりました。充実した生活を送る中、「このまま流されるように生き続けるのだろうか」という疑問も浮かびました。
「親父から逃げ、友人がいるという理由で大阪に来ました。でもこれからは自分の意志で人生を歩んでいきたい」
尾針さんはピアノの調律師を目指そうと決意。実家へ戻り1年間猛勉強するも、音楽大学への合格はかないませんでした。
同じころ家業は人手不足に陥り、母から「仕事を手伝ってほしい」と相談されます。「慢性的な人材不足で、経営について考えられる人材もいませんでした。親父との関係にケリをつけたい思いもあり、入社しました」
尾針さんは2010年、同社に入社。まずは先輩につき、旋盤やフライスなどの製造加工技術を習得しました。
約7年間、現場で働くうち「製造から仕入れ、生産管理まで担う“何でも屋”になった」といいます。そのきっかけは仕入れ先の精査でした。
「当時の材料は仕入れ後の下加工が必要でした。下加工とは、曲がりや形状が微妙に異なる素材を、正確な直角が出ている立方体にする作業です。でも下加工済みの材料を仕入れれば、その分の時間や人員が無駄になりません」
尾針さんは町工場をリサーチし、コストや納期、下加工の対応の有無を確認。最良の仕入れ先を選び、同業他社と比べて1.5倍の速さで納品できるようになったといいます。
尾針さんの発案で13年ごろからは、耐久性やひずみなどをチェックする試験用治具や、試験装置の設計・開発も始めました。「親父は取引先から試験治具の相談をされても、図面がないものは断っていました。僕はそれを見て『もったいないな』と」
尾針さんは父の反対をよそに取引先の要望を聞き、試験用治具の設計に着手。先輩社員から簡易的なCAD(コンピューター製図システム)の操作を教わり、その後独学で設計に挑みました。徐々に依頼も増え、治具と装置は現在は事業の三本柱のうち二つを占めています。
尾針さんは地元の町工場仲間から誘われ、11年から大田区の町工場の技術を結集した「下町ボブスレー」プロジェクトに参加しています。
「ボブスレーはカーボン製のボディーに金属製の刃を組み合わせます。材料研究関連の仕事をしているので、異素材と金属で作るボブスレーは有意義だと感じました」
区内で1メートルを超える特殊素材の大型部品を加工できるのは他にありません。「親父に反対されても絶対にやろう」と決意した尾針さんは、同社でソリの刃部分にあたる「ランナー」の製造を手がけることになりました。
下町ボブスレーはメディアの注目を集めましたが、尾針さんは「得られたのはPR効果だけではない」と語ります。
「メンバーには僕と同じく先代と衝突する後継ぎや新しい挑戦がしたいと考える人もいて、支えになりました」
同社の顧客は企業や公的な研究所の研究員です。しかし、尾針さんが赴く展示会にいるのは営業マンばかりでした。「なかなか社外に出ない研究員とつながるには、ホームページが最も効果的だと考え、自ら制作を進めました」
尾針さんが考えたのは、研究員がどんなルートで試験片の製造先に行き着くかです。ヒントは既存顧客との会話に隠れていました。
あるとき、大学の先生から「研究材料の調査に使う電子顕微鏡が炭素に反応してしまい、正しい結果を観測できない。炭素が含まれない素材で治具を作るにはどうすればいいか」と相談されました。
「研究員の方々は材料と研究は詳しくても、加工のプロではないと気づきました」
尾針さんは「素材加工が必要な試験片や治具を作りたいとき、研究員はどんなキーワードでネット検索をするか」を軸にホームページのコンテンツを充実させました。
サイトを開くと「レアすぎる材料」「難しすぎる切り出し」といった興味深いキーワードが目立ちます。尾針さんは「専門用語が一切出てこないページもある」と笑います。
狙いは的中し、16~21年の5年間で新規取引先は約6倍に増加。その9割がホームページからの問い合わせです。
尾針さんは14年ごろから、会社を継ぐ心づもりをしていました。ある難しい技術を持つ職人が高齢化で1人になり、定年も近づいていました。「親父に『技術承継をしないとまずい、誰か雇おう』と話しましたが、『お前に言われなくても考えている』と言われて(笑)」
小さな衝突が続いたまま事態は変わらずに3年。尾針さんは決意を固め、父親に切り出しました。
「僕に経営を任せてもらえるなら、社長を辞めてほしい。僕が辞めるか、あなたが辞めるかです」
技術の存続は会社の将来に関わります。「会社を守りたいなら覚悟を見せなきゃ。絶対に逃げない」と腹をくくっていました。
13年に起きた日本製大型コンテナ船の沈没事故の影響で、大型船用の金属素材の研究開発が活発化。造船所などから大型試験片の製造依頼が舞い込み、最高益を出していました。
「会計士さんが間に入り『今は幕引きに最高のタイミング。3代目に明け渡しては』と親父を説得してくれました」
父への周囲の説得もあり、17年、尾針さんは代表取締役に就任しました。その後、30代の若手社員が入社。社員総出で技術継承に取り組み、現在は頼れる技術者として定着しました。
尾針さんは「気持ちのいい事業承継ではないし、成功事例とはいえないかもしれない。でもあきらめず、良いと思ったことをやっていれば、味方する人は増えていくと思いました」と振り返ります。
尾針さんは入社当時、職人から「(仕事が)面白くない」と言われたことが胸に刺さっていました。「私たちが作る試験片は壊す目的で作られます。『壊されるものを一生懸命つくるなんて張り合いがない』と」
職人が「これは自分たちが作った」と家族に胸を張れる取り組みが必要だと考え、尾針さんは社長就任後は社外活動にさらに注力します。
21年、町工場が集う「くだらないものグランプリ」に参加しました。ものづくりのプロが「くだらなくて笑える一品」を本気で製作するコンテストです。全国の町工場20社がエントリーするなか、ムソー工業が出品したのは「金属製の鉛筆」でした。
鉛筆の木製となる部分はステンレスや銅、真鍮など一本一本異なる金属素材を使っています。「芯の部分は普通の鉛筆に使われるものですが、新たな芯を出そうにもうちの技術がなければ金属を削れません」
同社は「金属と鉛筆の芯という、特性も切削条件も異なるものを同時に削れる技術力」をアピール。メディアでも紹介されました。
最初は職人たちも「社長が面倒な話を持ってきた」とあきれ顔だったそうです。でも制作がはじまると「素材は絶対にこれ」、「鉛筆のこの角は削ったほうがいい」などとアイデアを出し合いました。
尾針さんは「自分の頭をひねって考えることが成長のチャンス。社外活動が職人の成長と社内活性化の機会になれば」と語ります。
23年2月には「全日本製造業コマ大戦」に初出場。同社の技術力を生かしたコマで戦いに挑みました。
尾針さんの社長就任から業績は右肩上がり。19年には1億6900万円を売り上げ、前年比113%を記録しました。コロナ禍では苦戦するも、営業支援システムやAI搭載のマーケティングオートメンションツールを導入し、IT営業も進めています。
「製造業同士が手を組み、社会をよくしたい」という思いが挑戦心に火を付けています。地元大田区の町工場が集う「鉄工島フェス」、「ROUNDTABLE2020」などのイベントにも積極的に取り組みました。
「日本の技術力と開発力は世界に誇れます。しばしば海外製のコピー品が問題視されますが、『コピー品が出回るころには日本で新たな製品が生まれているから意味がない』という状態を目指したい。製造業が協力し合えば、ものづくりの未来が切り開ける。ムソー工業がハブになってつなげていきたいです」
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