目次

  1. 立ち退きを迫られビルを買い取り
  2. 賃金体系の見直しを模索
  3. 名店に評価された手製靴
  4. 農協職員から靴職人へ
  5. 「これが修業」とワクワク
  6. オリジナルブランドを立ち上げ
  7. 目の肥えたユーザーをとりこに
  8. 職人技をつなぐために

 「昨年(2022年)は本当に苦しく、つらい1年でした。病院で診てもらったら適応障害と診断されました」

 スニーカーの台頭で革靴の業界は縮小の一途をたどっていましたが、クールビズに象徴されるビジネスシーンのカジュアル化とコロナ禍のテレワークがそこに追い打ちをかけます。業界に閉塞感が漂うなか、小笠原シューズにはさらなる試練が訪れました。立ち退きの話が持ち上がったのです。

 「代表になってからは正直なところ、こんなにしんどい仕事からはいっそ足を洗ったほうがいいかも知れないと思うようになっていました。けれど、ここを出れば廃業するしかないし、手製靴への情熱を失ったわけではありませんでした」

 このふたつの思いがせめぎ合っていたという根岸さんは、重い腰をあげて地元の商工会に足を運びます。

 「先代の時代から加入していたのですが、訪れたのはこのときがはじめてでした。経営のイロハの“イ”も知らなかったぼくは目が開かれる思いでした。なんとかなるかも知れない。ぼくは指導員のすすめに従い、金融公庫からお金を借りてビルを買い取りました」

小笠原シューズは1955年に創業した手製靴工房です

 「革の値段が年々あがっていくなか、小笠原シューズの工賃(下請け代金)はずっと据え置きでした。値上げは喫緊の課題でしたが、価格交渉なんてしたことがありません。やはり頼ったのは、商工会。見直すにしたっていくらが妥当かさえわからない有り様でしたからね」

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