目次

  1. 経営者との伴走にやりがい
  2. 「イキイキしていない」と感じて
  3. コーチングとの出会い
  4. 経営改善計画をめぐって父と対立
  5. 親子であることに甘えていた
  6. 父とのコミュニケーションに変化
  7. 「ビジョン戦略計画書」の効果
  8. ストーリーがつくる一体感
  9. 顧問先の「かかりつけ医」に

 同所は1971年、眞一さんが創業しました。長男の宏典さんは子どものころから、父が使命感に燃えて仕事に取り組んでいたことを知っていました。大学卒業後は、東京の会計事務所に就職します。選んだのは、いずれ親元に戻ることを了承してくれたからでした。

 ここは所員の自由度が高い事務所で、顧問先には税理士の判断で「経営会議を開いて、その場で改善策を議論しましょう」と提案できました。「経営者に伴走するのも税理士の重要な仕事」と考えていた宏典さんは、積極的に提案しました。

宏典さんは父眞一さんの背中を追って税理士を目指しました

 ある外食産業を担当したときのことです。その会社は特定の店舗が不採算で、全体の業績が芳しくありませんでした、宏典さんは何度かその店舗を閉めるよう進言しました。が、社長は聴く耳を持ちません。

 危機感を持った宏典さんは夜中の12時にその店を訪ね、店にいた社長から「こんな時間に何の用だ」とにらまれます。宏典さんは「殴られてもいいから、とにかく伝えないと」と覚悟を決め、「店を閉めるべきだ」と訴えました。

 社長はその言葉を受け入れ、店を閉めたのを機に経営を立て直します。宏典さんは、税理士としてのやりがいを感じるようになりました。

 34歳の時、父を支えるためにSS総合会計に転職しました。ところが宏典さんが感じたのは、東京の事務所とは正反対の息苦しさだったのです。

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