目次

  1. ミミズといえばワキ製薬 創業141年の医薬品メーカー
  2. 「良い仕事」の意味を知りたくて家業へ
  3. 父と協力し営業先を開拓 毎年1.5億円ペースで伸ばす
  4. 特許切れでライバルが台頭 売上8割・社員3分の1失う
  5. 「倒産する」との噂 責任を感じて代表就任を決意
  6. 借金13億円の原因である大量在庫をプラスに
  7. 徹底したコスト削減で業績回復を目指す
  8. 酵素のスペシャリストを迎え入れ研究開発企業に
  9. 利益率は15%にアップ ミミズが「社会との接点」
右が創業者の卯造さん、左が2代目の直次郎さん

 ワキ製薬は明治時代、やかんなどの金物を扱う商人であった脇本卯造(うぞう)さんが、これからは健康産業が伸びるだろうと、1882年に創業します。2代目、脇本直治郎さんの代になると星製薬の代理店となる一方、研究所を設立し製造も手がけます。

70年以上製造・販売されているミミズを原料とした総合感冒薬「みみとん」

 中でもミミズを原料とした医薬品の開発・製造に着目し、1951年には現在も扱っている総合感冒薬「みみとん」シリーズを発売。さらに3代目、薬学博士の脇本佳信さんに代替わりすると、新たなミミズ商品の開発に注力していきます。

 四半世紀ほどの研究の結果、血栓に機能する消化酵素「ルンブロキナーゼ (補巡エンザイム)」を発見。脇本さんの父、4代目の脇本吉清さんが、世界初となるミミズサプリメント「龍心」として世に送り出します。

 子どものころは自宅の隣に工場があったため、箱詰めや配達などを手伝っていたという脇本さん。一方で、家業を継ぐ気はまったくなかったと、振り返ります。

 「まわりからは薬屋のボンと言われていましたが、商品はあまり売れておらず、正直、儲かっていないように見えましたからね。自宅も工場もボロでしたし(笑)」

 後継ぎという敷かれたレールに乗ることも嫌でした。大学から東京に移り住むと学校にはあまり行かず、ECなどのビジネスに夢中になり、大学も中退。フルコミッションの営業職となり、稼ぐ仕事を追求していきます。

 そして2000万円近い収入を得る年もありました。 そんなときでした、がんを患った祖父の見舞いに行くと「薬屋は良い仕事だから、やってみないか?」 との言葉をかけられます。

 この言葉が記憶に残っていたという脇本さん。祖父の葬儀の後、両親が「もう俺らの代で終わりやな」と話しているのを聞くと、薬屋の何が良い仕事なのか、祖父の言葉の真相を知りたいと一転、家業に入る決意をします。2001年、25歳のときでした。

 従業員6人、売上高2億円弱 。脇本さん曰く、ボロく薄暗い工場でアルバイトの高齢女性が働く。幼いころ、継ぎたくないと思っていた光景がそのまま続いていました。

 脇本さんは持ち前の営業力を活かし、新規取引先を次々と開拓。中でも一般向け置き薬でのミミズ商品が好評で、脳梗塞、心筋梗塞、高血圧、糖尿病といった生活習慣病を気にする層に、口コミで広がっていきました。

 ただ、脇本さん1人だけの力だけでなかったと言います。

 「自分は説得力で契約を取るタイプですが、父親は人柄。人間関係を構築していくスタイルでした。両方の営業力がかけ合わさったことが、大きかったと思います」

父親 の吉清さんと握手する脇本さん

 売上高は毎年1億5000万円ほどのペースで増え続け 、2006年には第2工場を新設、売上約13億円、従業員も25人ほどまでに増えました。

 このころになると製造に注力し、販売は代理店に任せていました。当然、代理店数も増加します。次第に統括するのが難しい状況となっていた折、総代理店契約をしないか、との話が舞い込みます。

 「私自身は営業仕事が好きだったこともあり、反対しました。ただ当時はあくまで営業という立場。最終的に経営者である父親が判断し、契約を結びました」

 しかし、この契約が大きな転機となってしまいます。

協力会社の離反により業績が落ち込んだ当時の様子を話す脇本さん

 当時、ミミズ商品の原料製造はパートナー企業に任せており、特許も取得していました。しかし、2008年、その特許が切れます。

 すると、安価な中国製の原料を使ったライバル企業が台頭するようになり、価格競争に陥ります。販売代理店からは値下げしてほしい、との要望が上がってきます。ところが、製造のパートナー企業との契約が固定価格であったため、値下げすることが難しい状況でした。

 売上は激減します。さらに追い打ちをかけたのは価格だけでなく、生産した原料を全量買い取る契約だったことです。売上は減っているのに原料は固定価格で次から次に入ってくる。あるとき、会計士から呼び出され「このままでは1年以内に倒産する」と知らされます。

 しかし、父は、パートナー企業に経営状況悪化を話すのが恥だと考え、動こうとしませんでした。そこで脇本さんは父親の了解を取ることなく、代理店、パートナー企業に連絡を取り、解決策を相談したいと助けを求めます。

 結果は、半年後に取引を停止するとの離反を受けるかたちとなり、仕入れ、販売の両チャネルを失います。

 ワキ製薬の状況は業界にも広まり、倒産するとの噂が広まります。取引先からはこれまでの手形決済ではなく、現金先払いにしてほしいと、さらに追い込まれます。

次々と納品されるミミズ商品の原料が社内に大量在庫されている当時の様子

 気づけば売り上げの8割を失い、赤字は1.2億円 、借金は13億円にまで膨らんでいました。父親は廃業を考えていたそうですが、最終的な要因をつくったのは自分。脇本さんは責任を感じ、あえて代表に就任することを決意します。

 まず取り組んだのは、銀行から信用を失わないことでした。返済の延期や給与支払いの遅延が発生しないよう、不動産、株などの証券といった資産をすべて売却しました。

 「リーマンショック直後だったので大損でしたが」と脇本さんは苦笑いしますが、とりあえずキャッシュを確保することができました。

 後払いであった、置き薬を販売する代理店などへの代金も、前払いにしてほしいと嘆願します。ここで前述した、父親の人柄です。お世話になっているからと、多くの顧客が応じてくれました。

 営業活動も再開します。先の総代理店と契約していた先にも足を運んだそうですが、ここでも昔からの付き合いがあるからと、再び契約してくれる先も多かったそうです。

 従業員には状況を正確に伝えるとともに、自分たちには製品を作ることのできる設備、技術者、大量の原材料在庫がある。何とか、ここからがんばろうとの言葉をかけます。

 「借金13億円の原因である在庫をネガティブとして捉えるのではなく、ラッキーと前向きに捉えることにしました」

 役員報酬はゼロとしました。実務に携わっていない親族の従業員は解雇しました。父親はもちろん親族からは猛反発を受けますが、脇本さんは押し通します。

 「お前一人だけがいい思いをするのかと、罵詈雑言の嵐を受けました。その後、業績の回復に伴い修復しましたが、2年間ほどは会話のない冷えた関係性となりました」

 さらに脇本さんは役職も一度すべてリセットし、改めてここから再起を図ろうとの決意も示しました。

 コスト削減も徹底します。ダンボールや紙類などの分別を徹底し、資源として業者に買い取ってもらいました。このとき、3分の1ほどの社員が会社を去っていきました。

自社で行っているミミズの育成

 すべての業務を社内で一貫しようと、ミミズの育成にも取り組みます。祖父の時代に取引があった鹿児島の農家を訪ね、種ミミズを分けてもらうところから始めました。

 ミミズは研究者が多くなく、脇本さんも含めた社員が一丸となって、24時間体制で育成方法を模索していきます。

 当初は屋外育成で雨の翌日に全滅するなど、多くの失敗を重ねました。しかし、土壌の成分を変えるなどあきらめることなく取り組み、2年ほどかけて最適な育成方法にたどりつきます。

2014年に特許を取得した「クリーンミミズ飼育法」

 「現在ではしいたけの菌床(おがくず)、植物繊維たっぷりのキャベツの中で飼育することですくすくと、それでいて土とは異なり雑菌の少ないミミズを安定的に生産できるようになりました」

 2014年には「クリーンミミズ飼育法」という特許を取得します。

 並行して、研究開発型企業への脱皮も掲げます。ミミズの研究に興味がある研究員や学者へのアプローチを行いました。「東大と京大には飛び込みで何度も行きました」と、脇本さんは当時を思い起こしながら微笑みます。

 実は営業マンになりたてのころ、まったく成果が出ませんでした。一方で、土下座をして成約をお願いしたり、涙を流して悔しがったりしたこともあったそうで、そのような脇本さんの姿勢を見た上司が、「こいつは見込みがある」と感じ、営業ノウハウを教えてくれました。

 その姿勢を再現したのです。「とにかく動く、熱意を見せることが大事」と、脇本さんは言います。実際、京都大学農学部から酵素のスペシャリストを迎え入れます。

 コスト削減、自社での一気通貫の製造に取り組んだことで、家業を継いだころは-6%であった利益率は常に10%を超えるように。最近は平均して15%までに高まりました。売上も12億円までに回復し、借金も着実に返済できる状態に体力は回復しました。

 自社でミミズを育成したこと、研究に注力したことでの効果も数多くありました。まずは、一貫体制によるコスト削減やトレーサビリティの実現です。ミミズの有効成分「ルンブロキナーゼ」 の濃度が2~3倍に高まると同時に、どのロットでも品質と効果が均一化するようにもなりました。

 ミミズの養殖場を兼ねている研究施設では、カビや菌類といった微生物の研究にも取り組んでおり、新たな医薬品や健康食品の元となる新成分の探究にもつながっています。ミミズの飼育は障害者が一部を担っているそうで、新たな雇用も生みだしました。

 ミミズの糞土は近隣農家や障害者施設の野菜育成に利用されており、収穫した野菜の端切れが再びミミズの餌になる、循環型社会の実現にも寄与しています。

 「これまでは原料を仕入れて販売するだけでしたが自社で育成することにより、社会との接点が増えたことが大きな収穫でした」

ミミズに関する情報や研究内容を紹介しているメディア「ミミズ大学」

 「ミミズ大学」なるユニークなネーミングのメディアも運営しています。研究内容も含め、ミミズに関するさまざまな情報を発信することで、ミミズといえばワキ製薬とのブランディングをより一層高めるのが狙いです。

 一方で、徹底したコスト削減や業務効率化により、社内には歪が生じていました。その内容は後編の記事「稲盛和夫氏のフィロソフィーもとに ワキ製薬はお金から幸せを求める経営へ」で紹介します。