赤色だけじゃない 白河だるま総本舗14代目は大胆デザインでファンを拡大
「白河だるま総本舗」は江戸時代から300年以上、縁起物の“だるま”を一筋に作り続けてきました。衰退傾向のある伝統産業を継承した14代目・渡邊高章さん(30)は、赤色の伝統的な姿にこだわらず、デザインを大胆にアレンジ。大手企業とコラボをしてブランド力を高め、体験型施設「だるまランド」を展開するなど、伝統産業を成長産業にするべく新規事業に挑み続けています。
「白河だるま総本舗」は江戸時代から300年以上、縁起物の“だるま”を一筋に作り続けてきました。衰退傾向のある伝統産業を継承した14代目・渡邊高章さん(30)は、赤色の伝統的な姿にこだわらず、デザインを大胆にアレンジ。大手企業とコラボをしてブランド力を高め、体験型施設「だるまランド」を展開するなど、伝統産業を成長産業にするべく新規事業に挑み続けています。
目次
丸いフォルムに鮮やかな色彩、厳かな表情。「白河だるま」は、300年以上ものあいだ幸運の象徴として人々に親しまれてきた福島県の伝統工芸品です。
寛政の改革で知られ、白河藩主であった松平定信公が「市民の生活をより元気に」と願って作らせたことから誕生したと言い伝えられ、眉毛は鶴、ひげは亀など、顔の模様が「鶴亀松竹梅」を模して描かれているのがほかのだるまにはない特徴です。家族の健康や会社の繁栄、合格祈願や選挙での当選など、この地域の人々が何かを願う際は必ず白河だるまがそばにありました。
毎年2月11日に行われる「白河だるま市」では約500軒の露店が立ち並び、白河だるまを買い求める15万人もの人々で賑わいます。現在では市内のだるま制作所2軒が伝統を継承していて、「白河だるま市」で販売する約1.5万個のだるまはこの2軒のみで製作をしています。そのうちの1軒が「白河だるま総本舗」。14代目を継承するのが、渡邊高章さんです。
1992年白河市で生まれた高章さんは、2人兄弟の次男。小学生の時のあだ名は「だるま」で、「だるま屋だから『だるま』って呼ばれるんだ」ぐらいにしか意識していなかったと笑います。
スポーツが得意で野球少年だった高章さんは、体育教師を目指して都内の大学に進学。そこで時初めて、カルチャーショックを味わいました。
「自己紹介のときに『実家がだるま屋なんで「だるま」って呼んでください!』とウケを狙ってあいさつをしたら反応が薄くて……。『この中でだるまを買ったことがある人ー?』って聞いたら、手を挙げたのは50人中3人だけだったんです」
↓ここから続き
だるまが当たり前のように身近にある生活をしてきた高章さんが、「うちって大丈夫なのか?」とはじめて危機感を抱いた瞬間でした。
「そのとき僕は体育教師を目指していたので、家業を継ぐのは兄だと思っていました。だから、『兄ちゃん大変だなー』ぐらいにしか思わなかったですね」
というものの、「友人たちがどうしたらだるまに興味を持つだろう」と日常の中で考えるようになっていったといいます。
ある日、大学の同級生が「新宿に売ってたよ!」手渡してくれたお土産。包み紙を開けると、それはインテリアにも馴染むようなおしゃれなだるまでした。
「これだったら、私も欲しいって思える」
そう言わせたのは、震災復興プロジェクトの一環でインテリアショップ「Franc franc」と白河だるまがコラボした商品。「伝統工芸もデザインで生まれ変われるんだ……」。この気づきは、高章さんのその後の人生を大きく変えることとなりました。
だるまに可能性を感じ、学業のかたわら家業の営業活動をスタート。手はじめに、都内の雑貨店にだるまを持って10軒以上飛び込み営業に回りました。しかし、思うような反応は得られず、自社サイトの改修にも着手したといいます。
試行錯誤をしながら家業のPR活動をすると同時に、父・守栄(もりえい)さんの「家を継ぐなら兄弟で話し合え」という言葉が頭をよぎります。
ある日、意を決して都内で働く社会人の兄とふたり、東京の小さなごはん屋さんで向き合いました。「(これから)どうすんの?」と聞くと、兄からは「どうすんの?」という返答。「俺、帰るわ」と伝えると、「じゃあ、俺は仕事続けるわ」という言葉が返ってきました。シンプルな会話ですが、高章さんはこの兄弟の会話で300年の歴史と伝統を継ぐ覚悟を決めます。2013年、20歳の冬のことでした。
高章さんは、父親のうしろにくっついて同じ仕事をするなら、継ぐ意味はないと考えました。従業員からの信頼を得るためにも、早いうちに結果を出さなければと意気込みます。
そのために大学在学時は、学業以外の時間をすべて家業を継ぐための下準備に費やしました。卒業後は、米・カリフォルニア州立大学サンディエゴ校に進学し、ビジネス・マーケティングの基礎を1年間学びます。その間にも、家業の現状分析や将来予測などを行い、伝統工芸の新しい可能性を探り続けたそうです。
当時の白河だるま総本舗は、だるま市や選挙の際に多くの注文が入るものの、全体としての売り上げ数は減少傾向にありました。高章さんは減少の要因について、伝統の「赤」にこだわりすぎた結果、お客さま目線ではない商品作りをしているのではないかと分析。伝統を後世に残すためには、時代のニーズに応えることが必要だと考えました。
「デザイン性の高いだるまで企業とタイアップして市場を広げたり、だるまと直接触れ合う体験型の施設を作るなど、向こう5〜6年先の構想を立てました。ロールモデルとして、すでにこけしで市場を拡大している企業さんがいたので、だるまでもいけるという確信はありました」
帰国後、アパレル展示会の会社で働いたのち2016年に家業に従事。高章さんは「和の文化をもっとかわいくかっこよく」「『あ、これほしい!』と思えるだるまをお届け」をコンセプトに、新ブランド「Hanjiro」を立ち上げます。だるまを変幻自在にアレンジすることで、若い世代でも親しめるデザインに一新。歌舞伎やヒョウ柄など、常識にとらわれない斬新なだるまを企画・販売し、業界に新風を吹き込みました。
ブランド設立から間もなく、通信アプリ「LINE」の運営会社から1通のメールが届きます。
メールに書かれていたのは、「日本を代表する民芸品・白河だるまとコラボさせてほしい」という依頼でした。「正直震えた」という高章さんですが、躊躇することなく「やります!」と即答。参考図をもとに職人と制作を進め、LINEの人気キャラクターの顔が描かれたポップなミニだるまを完成させました。
実はLINEからの依頼は、まったくの偶然ではありません。高章さんは、どの店よりもデザインをニッチに尖らせた商品を多く製作することで、コラボの依頼がきやすいよう情報発信を心がけていました。その狙いが見事にあたったのです。
コラボだるまは、原宿と仙台のLINE店舗のほかネットで限定販売したところ、2日間で2200個が完売。地元メディアにも大きく取り上げられました。
「若い世代が購入してくれた上に、今までだるまに見向きもしなかった友人たちが興味を持ってくれたことが嬉しかったですね。デザインの力を改めて実感しました」
LINEとのコラボは大きな実績と信頼につながります。その後も、BEAMS JAPANや中川政七商店、人気漫画「東京卍リベンジャーズ」、NHKの人気キャラクター「チコちゃん」や吉本興業、アニメのキャラクター鬼太郎やルパン三世など、次々と大手企業から依頼を受けてコラボ商品を手がけました。
企業とコラボすることはブランド力を高めるだけでなく、自社の成長のチャンスにもつながりました。
「小売業の最前線で戦っている企業は、我々製造業よりもトレンドやマーケットに敏感です。その企業の要望に一つひとつ応えていくことで、デザインやカラー、梱包に至るまでのノウハウが社内に蓄積されていくんです。試行錯誤する中で自社設計デザインができるようになり、自社企画商品を作れるようになっていきました」
企画から自分たちで行い、付加価値の高い商品作りをすることは高章さんの目標の1つでした。言われるがままの商品作りだけをしていたら未来はないと考えていたためです。
現在、商品の多くは、職人が企画からデザインまでを手がけています。桃の節句やこどもの日のだるま、ハロウィンのおばけだるまなど、思わず手に取りたくなる可愛らしさで女性や若者層から人気を集めています。
自社企画製品を作るという目標を1つクリアしたことで、高章さんは次なる目標に挑みました。ネットでの販売に加え自社店舗を持って、販路を広げることです。
実際、祖父の代まではだるまを作るだけで生活が成り立ってきたのです。しかし父の代からは「このままでは先細りになる」と危惧し、だるまの製造工程を見直したり、民芸品の「赤べこ」や「起き上がり小法師」の制作も担うなど製造体制を強化してきました。
高章さんは、さらに実店舗を持ってだるまの価値を伝えることで、一人でも多くのファンを増やしたいと考えました。目指したのは、ただ販売するだけでなく、「見て、学んで、楽しむ」だるまのテーマパークです。
地域の伝統を残そうと、築150年の歴史的建造物を移築。約3年かけてリフォームし「だるまのように転んでも挑戦し続けることで道は開ける」という想いを込めて、2021年「七転び八起き」の7月8日にオープン。店名は地域全体が楽しくなるイメージで「だるまランド」と名付けました。
だるまランドは、職人の手仕事が見学できる「作業場」、作業工程がパネルで紹介されている「学び場」、アートなだるまを見学できる「展示場」、販売のほか絵付け体験などができる「物販体験場」、だるま様が祭られた「だるま神社」、スイーツやドリンクを提供する「屋外カフェ」の6つのエリアに分かれています。
物販体験場には、巨大だるまガチャがあったり、タブレット端末を利用した「だるまさんが転んだ」ゲームを楽しめたりと、およそ伝統工芸とはかけ離れた雰囲気。見て飾るだけだっただるまと触れ合うことができ、ワクワクする体験が新鮮です。
これらのアイデアはすべて高章さんが大学生時代からあたためてきたものなのだとか。週末には観光客や親子連れで賑わう白河市の新スポットとなっています。
家業を継ぎ次々と快進撃を続ける高章さんですが、決して順風満帆というわけではありませんでした。観光地やインバウンド向けの商品製造が多かった「白河だるま総本舗」は、新型コロナウイルスの影響をもろに受け、売上が激減。コロナ禍になってしばらくは苦しい時期が続きました。
とはいえ、歩みを止めることはありません。東京・浅草への進出を狙って機会を探り続けました。
「実は浅草への出店は、インバウンドを狙って2017年ごろから隙あらば物件をおさえたいと考えていました。けれど新規参入は難しく、半ば諦めていたんです。けれど、世の中がコロナ禍になって、今しかないと思いました。何度も足を運んで空き店舗を探し、撤退する店舗から物件を運よく譲ってもらうことができたんです」
2022年9月、東京・浅草メトロ通りに2店舗目の「だるまランド」をオープン。「コロナが落ち着けば、観光客やインバウンドは必ず回復する」と読んだ狙いは的中し、売上は一気に回復。外国人観光客向けに直接販売することで、国や地域によって求められるものが少しずつ違うことなどを分析し、顧客ニーズを着実に捉えることにもつなげています。
白河だるま総本舗の工房を覗くと、若い女性が多く和やかな活気に溢れていました。伝統工芸の職人というと、勝手ながら「男性」「昔気質」「後継者不足」などのワードを思い浮かべていた筆者は、意表を突かれました。
「うちは代々、職人は女性なんです。今では20代の職人も多く働いてくれています。衰退産業と言われる伝統産業ですが、僕は若い人たちに『夢がある』と思われる産業に育てていきたいと思っています。そのためにも、従業員の給料を公務員の平均年収ぐらいまでに引き上げて、『ここで働いていることが誇り』だと思ってもらえる会社にすることが目標です」
家業に入り6年目。大学生のときに見据えたビジョンは、着実に達成してきました。新ブランドによる若年層へのアピールなどによって、2022年度の売上高は家業に入る前と比べて2.5倍に成長。従業員は5人増えて20人になりました。「マイナスをやっとゼロにできたところなので、ここからですね。海外にも進出したいですし、伝統産業はまだまだチャンスだらけですよ」と真っ直ぐな瞳で前を見据えます。
伝統工芸品が存続できるのは職人が作り続けるからではなく、人々が何代にも渡って親しんでくれるからこそ。300年も前から縁起物として人々の夢や希望を応援し続けてきた白河だるまだからこそ、絶やすわけにはいきません。
近年、伝統的な赤い白河だるまの売上高は1割ほど。「新ブランドを入り口にだるまファンを増やし、伝統を絶やさない努力を続けていきたい」と語る高章さんは、伝統を何度でも新しく塗り替えながら、次の100年へつないでいきます。
(続きは会員登録で読めます)
ツギノジダイに会員登録をすると、記事全文をお読みいただけます。
おすすめ記事をまとめたメールマガジンも受信できます。
おすすめのニュース、取材余話、イベントの優先案内など「ツギノジダイ」を一層お楽しみいただける情報を定期的に配信しています。メルマガを購読したい方は、会員登録をお願いいたします。
朝日インタラクティブが運営する「ツギノジダイ」は、中小企業の経営者や後継者、後を継ごうか迷っている人たちに寄り添うメディアです。さまざまな事業承継の選択肢や必要な基礎知識を紹介します。
さらに会社を継いだ経営者のインタビューや売り上げアップ、経営改革に役立つ事例など、次の時代を勝ち抜くヒントをお届けします。企業が今ある理由は、顧客に選ばれて続けてきたからです。刻々と変化する経営環境に柔軟に対応し、それぞれの強みを生かせば、さらに成長できます。
ツギノジダイは後継者不足という社会課題の解決に向けて、みなさまと一緒に考えていきます。