角野さんは大阪府河内長野市の金属加工を営む町工場の3代目として生まれ、25歳で家業に入った後、30歳で日本ツクリダスを創業し、独立しました。同社でも金属加工業をメインにしつつ、同じような小規模の町工場の生産工程が属人化している課題を解決しようと、生産管理システム「エムネットくらうど」を開発し、第2の柱に育て上げました。
日本ツクリダスでは毎朝、工場や事務所の清掃を行った後、朝礼で従業員全員によるジャンケン大会を行っています。部署ごとのチーム戦で、1週間の勝負で一番負けた部署は翌週のゴミ当番をするというルールです。シンプルなだけに、毎回大盛り上がりだそうです。
角野さんは「創業のころから続けている『アイスブレーク』です。仕事は1日で最も長い時間を費やしているわけで、どうせなら楽しみながら笑いながら仕事したいやないですか」といいます。
日本ツクリダスでは、業績や財務状況などの経営指標をグーグルサイト上に全て公開し、社員に貸与されているパソコンからいつでも見られるようにしています。個々の給与と賞与の額は公開していませんが、人件費や賞与の原資は知ることができます。
「ボーナスは業績に連動させているので、自分たちが成果を出して業績がよくなればボーナスも増えていくことがわかります。逆に新型コロナが蔓延した20年度には業績が落ち込んだように、しんどい時も現状と見通しを包み隠さずオープンにしています。社員たちも経営側から隠しごとはされていないと、安心感を持ってくれるんじゃないですかね」
パート社員の応募倍率が60倍に
働きやすい制度の導入も進めてきました。中でも特徴的なのが、パート社員の勤務時間が自由なことです。通常、事務職は勤務時間を「9時~17時」で募集することが多いですが、日本ツクリダスでは「お好きな時間帯で働けます」、「1日4時間からでOK」と募集しています。
子どもが熱を出した、といった突発事態でも気兼ねなく休める環境も整えました。これも同社の「エムネットくらうど」(前編参照)で業務の進捗管理を「見える化」し、複数の人が同じ仕事をこなせる仕組みにしているためにできることです。
子連れ出勤も可能です。子どもが学校を休んだ時でも欠勤せず出勤できます。オフィスのミーティングスペースなどで、子どもたちが宿題をしている風景が日常的に見られます。
「『お父さんやお母さんは楽しく仕事している』と感じてもらいたいんですね。子どもたちが将来働く時に『仕事って楽しいもの』と思ってほしいし、その中に町工場という選択肢も入っているとうれしいですから」
同社は堺市で「パートさんが働きやすい会社」として知られてきているようで、18年に1人の募集を出した際には60人から応募が来るほどの激戦だったそうです。
公務員や作曲家も入社
日本ツクリダスはウェブサイトやSNSアカウントを通じて職場の雰囲気を積極的に発信しています。
同社がネット集客で業績を伸ばしてきたことを知った中小企業から、サイト制作の依頼を受けることが多くなり、自社でデザイン制作ができるようになりました。そのノウハウを生かし、自社サイトも採用を意識して多くの社員を登場させたところ、多様な求職者から応募が来るようになりました。経歴も市役所勤務の公務員、八百屋のスタッフ、作曲家など様々です。
「会社の中の人を見せることで、応募者の数が増えましたし、色々な業種の人から応募が来るようになりました。そもそも『即戦力』を求めるより、『この人が来てくれたらどんな仕事が取れるようになるかな』という視点で採用しているので、結果的に変わった経歴の人が入ってくれています。作曲家やったら『社歌の制作を請け負えるかな』といった具合に考えています」
本音が聴ける音声番組も人気に
日本ツクリダスでは町工場の関係者に向けたポッドキャスト番組「町工場の削らないはなし」も配信しています。放送作家だった人やフリーアナウンサーが入社し、「面白そう」と21年9月に始まりました。
これまで計102本(23年6月現在)の番組を配信。営業担当や新入社員が仕事の裏話を語ったり、町工場の社長を招いて角野さんとトークを繰り広げたりしています。「若手社員が赤裸々に語るなど本音が聞けて面白い」、「同じ経営者として孤独を感じた時に共感できることが聞けて救われた」などといった反響があるそうです。
23年7月時点で日本ツクリダスの社員はパート勤務を入れて27人。平均年齢は36歳で、20~30代が主力となっています。ウェブサイトやSNSなどの発信に加えて、工場見学も定期的に行って社内の雰囲気を「見せる」ことで、応募者・面接希望者の増加に効果がありました。
「5つ星」を目指しマークを制作
このような会社の「見える化」こそが、角野さんは会社のブランディングだと考えています。その一環として、20年にはシンボルマークと「5つ星の工場を目指す」という行動指針をつくりました。
そこで、社内のデザイナーに10通りのマークをつくってもらい、社員全員が好きなマークを選ぶ投票をしました。最終的に形になったのが、シンボルマークの「ファイブスターファクトリー」です。
シンボルマークができた後も社内会議を開き、「星それぞれに意味をみつけていこう」と提案。顧客や社員、協力会社などが日本ツクリダスと仕事をすることでどんな体験を得られるかを言葉にしてみました。その結果が「驚き」「快適」「満足」「楽しさ」「成長」で、「5つ星の体験」と名付けました。
これを機に会社のウェブサイトをリニューアルしただけでなく、内装や外装もリフォーム。名刺のデザインも変更し、おしゃれにこだわった独自デザインのトレーナーもつくりました。
「地道なブランディングが採用の成功と人材獲得につながり、適材適所による社員間の役割分担や新たな仕事の仕組みづくりにもつながったと考えています」
法人化して最初の年に1億2千万円だった売上高が10期目の22年度に3倍の3億6千万円に成長できたことも、積極的なブランディングの効果だと角野さんは考えています。
町工場のネットワークを広げる
日本ツクリダスでは近年、町工場へのエムネットくらうどの販売や、ウェブ・デザインの制作に加え、集客や採用、社風づくりに関するノウハウをコンサルティングする事業も展開しています。自分たちの経験が町工場の変革につながり、業界全体が変わる手がかりになると考えています。
エムネットくらうどを導入している町工場を集めた懇親会を開いたほか、導入企業とともに大規模展示会への共同出展も実現しました。エムネットくらうどを通じて、町工場業界の横のつながりが生まれた形です。
「町工場は発注元のメーカーなどとの縦のつながりはあっても、町工場同士の横のつながりは広がりにくい業界です。システム販売やコンサルティングだけでなく、音声番組なども通じてもっとつながりが生まれて、業界が盛り上がればいいと思っています。いずれは、僕の実家のような“発注元依存”ではなく、暗いイメージでもない、明るくて強くて自立した町工場を増やすことと、“ものづくりの業界”づくりにも貢献したいです」
「アトをついでないアトツギ」
いずれ実家の後は継ぐのか――。角野さんの父が経営する町工場についても尋ねてみました。
角野さんは「祖父も亡くなるまで社長だったので、父も当分は自分が経営を続けるでしょう。独立する時も、後を継ぐとか継がないとかはずっと先のことなので、あまり意識していませんでした」と話しました。
今でも連絡はたまに取り合っているものの、承継自体について話題にすることはまだないそうです。ただ、近年は「自分も後を継げるかな」という意識が芽生えてきたそうです。
角野さんの名刺には今、「アトをついでないアトツギ」と書いてあります。
「日本ツクリダスを創業して、会社経営の経験は十分積めましたし、視野も広がりました。相続や税務の専門家のネットワークもできました。父の町工場も、継ごうと思えばいつでも継げると思っています。その時が来たら、家族で話し合って決めたいと思いますので、それまでは『後継ぎ候補』でいます」
社長の公募を始めた理由
日本ツクリダスの採用サイトでは最近、「社長」の募集を始めました。もちろん角野さんが直ちに退任するつもりはないですが、サイトの募集文言では「私たちが求めるのは、新しいビジネスを創造できる新しいリーダー。自分こそが社長にふさわしいと感じたら、下克上を起こしたってかまいません。遠慮なく、日本ツクリダスを乗っ取りに来てください!」と記しました。
この募集を見て、直接社長をやりたいという人はまだいませんが、「おもしろそう」と5件(6月時点)の応募があったそうです。角野さんは既存の社員でも転職してきた人でも、意欲と能力がある人にはいずれ経営もマネジメントも、どんどん任せていくつもりです。
「町工場の経営者の多くは『俺がおらんと会社が回らへん』と口癖のように言いますが、経営者がそんな考えだと、属人化の問題はなかなか解決しませんし、会社と人の成長につながりません。僕自身、金属加工事業の方は取締役と現場に完全に任せていて、今はソフトウェアやデザイン事業ばかりを見ていますが、いずれこっちも意欲がある人材に任せたいと思っています。たとえ失敗しても、次の成功にきっとつながりますから。そしてこの町工場がみんなの成長の場になればええと思っています」