歴史に魅せられても縛られない 松下醸造場14代目は樽熟成で焼酎づくり
熊本県人吉・球磨地方では約500年前の室町時代から米焼酎造りが行われており、現在も27の蔵元が伝統の製法と味を守り続けています。そんな球磨焼酎最古の蔵「松下醸造場」の14代目・松下直揮さんは、家業の歴史に魅せられて継ぐことを決めました。焼酎ブームが過ぎ、全体の消費量が落ち込むなかでも伝統を守りつつも、縛りから解き放とうと新銘柄の開発に取り組んでいます。
熊本県人吉・球磨地方では約500年前の室町時代から米焼酎造りが行われており、現在も27の蔵元が伝統の製法と味を守り続けています。そんな球磨焼酎最古の蔵「松下醸造場」の14代目・松下直揮さんは、家業の歴史に魅せられて継ぐことを決めました。焼酎ブームが過ぎ、全体の消費量が落ち込むなかでも伝統を守りつつも、縛りから解き放とうと新銘柄の開発に取り組んでいます。
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なにげなく手にする木の板には「安政」の文字ーー。1804年創業の松下醸造場には、相良藩当主から焼酎の醸造販売免許を与えられたときの古文書や昭和初期の帳簿など歴史を感じられる品々が保存してあり、受け継がれてきたあらゆるものを後世につなげたいという代々の思いを感じます。
熊本県南部に広がる球磨盆地、良質な水に恵まれた県内有数の米どころで松下醸造場は、2世紀以上にわたって蒸留技術を磨き続けてきました。
松下さんは「大学時代、20歳の春休みに90代の杜氏の昔語りを聞く機会がありました。昭和の時代には税務署の方が来るというと山に入ってみずから鹿を狩っておもてなししていたんだよ、と。さらに昔になると相良氏が治めていた時代、役人の検分を逃れ年貢を回避した“球磨の隠し田”の余剰米で新たな産業として始まったのが球磨焼酎なんだよといった話を耳にするうち、焼酎が生まれた背景には移り変わる歴史や受け継がれる文化があり、それを後世に伝えるのも仕事のひとつなのではないか。おもしろそうな仕事だなと思ったのが、後を継ぐきっかけとなりました」と話します。
大学生になって酒造りに興味を持つまで、「後を継ぐという考えはまったくなかった」と松下さんは言います。3人の姉がいる松下さんは長男。200年以上続く酒蔵で108年ぶりに生まれた息子ともなれば、祖父母からも父母からも後継ぎとしての期待を一身に背負いそうなもの。
ですが、松下さんは「まったく、そんなことはありませんでしたね」と答え、今は会長職にある13代目も「好きなことを仕事にするといい。酒蔵は継ぎたいと思う人を養子に迎えて継いでもらえばいい」と考えていたと話します。
松下さんの母は、松下醸造場に80年ぶりに生まれた子どもです。曽祖父である11代目は早世しているため11代目の妻、つまり松下さんの曽祖母が切り盛りしてのれんを守っていた時期がありました。
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曽祖母が親戚筋から養子として迎え入れたのが12代目。松下さんの父は、その12代目の娘の婿養子となり、13代目となりました。松下醸造場の事業承継において実子であること、長男であることはとうの昔に大事なことではなくなっていたのです。ですが松下さんは22歳で実家に戻り焼酎造りを始めました。
「20歳の頃、家業の焼酎造りに興味が湧いた時点で大学を辞め、酵母の研究室に通い始めたんです。ほかの何より酵母について学びたい!と思ったんですよね」
1990年代おわりの焼酎ブームのあと、2000年代中頃をピークに焼酎の生産量や消費量は右肩下がりの状況が続いています。
焼酎の主な消費地である九州を中心とした地方では少子高齢化による人口減少も影響し、同じ銘柄の酒を一升瓶で定期的に購入する「地元のお得意さま」が減少。この状況は松下醸造場も同じで、一升瓶の需要は減り続けています。
こういった背景のなか、松下さんが14代目社長に就任したのは3年前の2020年7月、32歳のときでした。コロナ禍で生活が一変し、定期的な酒造組合の集まりも対面ではなく画面越しになった頃。13代目は急速に進むオンライン化に「潮目が変わった」と感じ、代替わりのときだと考えたといいます。
「14代目に就任後、まず着手したのが時代のニーズに合わせた設備の入れ替えと蔵の改装です。昔は、同じ銘柄の気に入った焼酎を大瓶で定期的に買って飲み続けるスタイルが主流だったと思います。ですが今は、味わいの違うものを気分に合わせて飲む。最小の生産量が4500ℓのタンクで行う少品種大量生産は今のニーズに合っていなかったんです。そこで750ℓでも造れる多品種少量生産の形に移行しました」
「あわせて麹室を改装し、温度調節をしながら長期熟成するための“樽の部屋”を作りました。これで味わいの違うさまざまな焼酎を少量ずつ造ることができるようになりました。顧客のニーズに合わせた蔵のカスタマイズは、コロナ禍で空いた時間ができたからできたことです」
松下醸造場の代表的な銘柄「最古蔵」は、米の華やかな香りとほのかな甘みに、すっきりとした味わいが特徴となっています。原料の米はすべて熊本県産。13代目の実家は農家で、その農家を継いだ13代目の兄、つまり14代目・松下さんの伯父が原料米を契約栽培しています。
「父の実家ということもあり、温度管理しやすい米にしたい、つくりたい焼酎に合わせて品種改良したいなどわがままが言えます。地域の自然を守りたいという思いもあるので、なるべく農薬を使わない栽培方法の研究など米作りにも力を入れていきたい。こういったことは、父の実家である農家と協力関係ができているから取り組めることです」
このほか、初代の名前を冠した「kohaku 次兵衛」は、焼酎にしては珍しくかすかに黄褐色がかっています。大きく違うのは色だけでなくアルコール度数。「最古蔵」は一般的な焼酎と同じ25度ですが、「kohaku 次兵衛」は40度です。
「kohaku 次兵衛は海外への輸出を視野に造りました。ウイスキーやジンなど世界的に人気の蒸留酒はだいたい40度。25度の洋酒カテゴリーはないんです。日本酒はワインと同程度の15度で、ワインのカテゴリーで評価され欧米などでも人気が出ています。焼酎も続きたい。アルコール度数を40度としただけでなく、アメリカンオーク樽で6年以上熟成し、ウイスキーのような甘い香りとやわらかな口当たりを追求しています」
次の一手は海外展開だけではありません。国内の新規顧客開拓もインバウンドも、もちろん海外への輸出も狙う新しい銘柄「108」も準備しています。
2023年9月の発売を予定している「108」は、球磨焼酎の酒蔵にあって麦焼酎をオーク樽で仕込みました。球磨焼酎は、「国産の米(米こうじを含む)を原料としていること」「人吉球磨の水で仕込んだもろみを人吉球磨で単式蒸留機をもって蒸留しビン詰めされていること」と定義付けされています。新ブランド「108」では、そういった縛りから解き放たれ焼酎を進化させたいと松下さんは考えています。
「このあたりは米だけでなく茶も有名な地域です。茶の焼酎を“108のグリーン”として商品化すればまったく新しい焼酎の味だけでなく、インバウンドで訪れた人に日本の文化も伝えられるかもしれない。そんな気持ちで新ブランドを立ち上げました。名前を108にしたのは、108年ぶりに生まれた息子が造る焼酎という意味に加えて、煩悩の数の意味合いもあります。
煩悩は人間の心身を悩ませ、苦しめる原因となるものです。伝統産業には昔からやってきた“こうしなければならない”といった縛りがあります。これを守り続け、伝え続けることが大切な一方で、縛りから解き放たれて自由な発想やひらめきで進むことも同じくらい重要です。煩悩から解放されて新たに生み出された焼酎。そういった意味も込め108としました」
「蔵に残っている古文書を解析して江戸時代にはどのように造っていたのか、どのように飲んでいたのかあらためて勉強している」とも話す松下さん。伝統の製法を受け継ぎ守りつつ、まったく新たな焼酎で開拓していくーー。
若き14代目の挑戦がこれから始まります。
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