目次

  1. 酒蔵は歴史や文化を後世に伝える仕事
  2. 「長男が継ぐ」重責がなかったから芽生えた興味
  3. 14代目就任後にまず着手したこと
  4. ウイスキーに似た球磨焼酎「kohaku 次兵衛」を造る理由
  5. 新ブランド「108」に込めた思い

 なにげなく手にする木の板には「安政」の文字ーー。1804年創業の松下醸造場には、相良藩当主から焼酎の醸造販売免許を与えられたときの古文書や昭和初期の帳簿など歴史を感じられる品々が保存してあり、受け継がれてきたあらゆるものを後世につなげたいという代々の思いを感じます。

「安政」の文字が書かれた板

 熊本県南部に広がる球磨盆地、良質な水に恵まれた県内有数の米どころで松下醸造場は、2世紀以上にわたって蒸留技術を磨き続けてきました。

 松下さんは「大学時代、20歳の春休みに90代の杜氏の昔語りを聞く機会がありました。昭和の時代には税務署の方が来るというと山に入ってみずから鹿を狩っておもてなししていたんだよ、と。さらに昔になると相良氏が治めていた時代、役人の検分を逃れ年貢を回避した“球磨の隠し田”の余剰米で新たな産業として始まったのが球磨焼酎なんだよといった話を耳にするうち、焼酎が生まれた背景には移り変わる歴史や受け継がれる文化があり、それを後世に伝えるのも仕事のひとつなのではないか。おもしろそうな仕事だなと思ったのが、後を継ぐきっかけとなりました」と話します。

 大学生になって酒造りに興味を持つまで、「後を継ぐという考えはまったくなかった」と松下さんは言います。3人の姉がいる松下さんは長男。200年以上続く酒蔵で108年ぶりに生まれた息子ともなれば、祖父母からも父母からも後継ぎとしての期待を一身に背負いそうなもの。

 ですが、松下さんは「まったく、そんなことはありませんでしたね」と答え、今は会長職にある13代目も「好きなことを仕事にするといい。酒蔵は継ぎたいと思う人を養子に迎えて継いでもらえばいい」と考えていたと話します。

松下さん(中央)と両親

 松下さんの母は、松下醸造場に80年ぶりに生まれた子どもです。曽祖父である11代目は早世しているため11代目の妻、つまり松下さんの曽祖母が切り盛りしてのれんを守っていた時期がありました。

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