瀬戸内国際芸術祭でも頼られるマル喜井上工務店 信頼が新たな仕事へ
瀬戸内国際芸術祭で巨大なアート作品を手がけた工務店が香川県の小豆島にあります。マル喜井上工務店です。2代目の井上匡都(ただひろ)さん(43)は、工事の受注が減り焦る時期もありましたが、瀬戸内国際芸術祭のクリエイターや島への移住者の困りごとに対応するなかで、仕事の幅が広がり「面白いことがしたかったら匡都に相談しろ」と言われるまでになりました。そんな井上さんはいま、島内でも増えてきた空き家を活用した事業ができないか模索しています。
瀬戸内国際芸術祭で巨大なアート作品を手がけた工務店が香川県の小豆島にあります。マル喜井上工務店です。2代目の井上匡都(ただひろ)さん(43)は、工事の受注が減り焦る時期もありましたが、瀬戸内国際芸術祭のクリエイターや島への移住者の困りごとに対応するなかで、仕事の幅が広がり「面白いことがしたかったら匡都に相談しろ」と言われるまでになりました。そんな井上さんはいま、島内でも増えてきた空き家を活用した事業ができないか模索しています。
目次
人口約2万6000人、約4割が高齢者の小豆島は、適度なインフラが整備されていること、産業の規模感、地形などから日本の縮図のようだと言われています。みかん畑やオリーブ畑が広がる地区にあるマル喜井上工務店は、井上さんの父が1989年に創業しました。現在は井上さんと父、母、従業員の4人で運営しています。年商は約1億円。
家を建てるとき、小豆島の工務店の多くがそうであるように、1社で土木作業から、大工仕事まですべてを担います。最近では新築よりもリノベーションの受注が増えてきました。
井上さんは高校卒業後、大阪の専門学校でインテリアデザインを学び、卒業後20歳のころに高松市内の店舗内装会社に就職。25歳までは店舗内装の現場監督の仕事で、日本各地を転々とする暮らしをしていました。
その後、高松市内のキッチンメーカーで企画営業職を3年ほど勤めたのち、28歳の時に実家に帰ることになりました。父親が脳梗塞で倒れ、兄は島外で暮らしていたので、井上さんが現場に出るしかなかったのです。
「父が倒れて旗振り役がいないので、やるしかないという気持ちでした」
とはいえ、突然戻ってきたので状況が分かりません。幸いにして、当時2人いた従業員は子どものころからよく知る間柄でした。そこで、従業員にどこと取り引きしているのかを聞いたり、取引先に分からないことを聞いたりしながら、現場監督として作業を進めていきました。
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父が病気から回復して復帰してからは母が間を取り持ってくれたことで、大きな衝突はありませんでした。
島に帰ってきて3年ほどは、のんびり島暮らしをするつもりでした。あくまで雇われている立場で、経営状況にも興味はありませんでした。「平々凡々とこの仕事をしていけばいいかなと思っていました」と井上さん。
空いた時間に釣りをしたり、野球をしたりと島の暮らしを楽しんでいました。しかし、だんだんそんな生活が面白くなくなっていったと言います。
「自分が暮らす地域の魅力を見つけて、それを生かせるように楽しく活動している香川や高知に住む人たちにたまたま出会ったんです。平凡な毎日で満足していたけど、『もっと自分も楽しく生活したい。そのためには自分が動かないとあかん』ということに気づきました」
四国経済産業局主催の四国で精力的に町おこしを行う人たちが集まるコミュニティが立ち上がり、高松琴平電気鉄道の真鍋康正さんや仏生山温泉の岡昇平さんなどの講義が開催されていたのです。
参加した井上さんのなかで「のほほんと島で暮らせたらいい」という思考が「いろんな人に会って、自分の知らない世界をもっと知りたい」という風に徐々に変わり出しました。その頃から積極的に島外に会いたい人がいれば会いに行くように。自己紹介をする時には「小豆島出身であること」を枕詞に名乗りました。
「『小豆島の井上です』って名乗った方が印象に残りやすいと思ったんです。『小豆島を案内するよ』と声をかけたら、本当に来てくれることも多かったです」
島外の友人に島を案内している中で、友人のリアクションを見て「当たり前じゃないんだ」と島の魅力を再発見しました。
一方で、家業に入って5年経ったころに仕事がなく暇な時期が続きました。
「父が倒れて仕事のペースが狂った歪みが出たのと、当時僕も人に会いに行ったり、営業をしたりしていなかったからだと思います」
職人は日割の月給制のため、仕事を依頼できず焦る日々が続きました。
「職人に『仕事がないので明日は休みにする』と伝えるのが申し訳なくて一番しんどいことでした」
なんとかしなければと、以前、個人宅からぼんやり相談されていた小さなリフォームの案件などを改めて具体的に相談しようと個人宅に出向き、どうにか仕事を増やしていきました。
2013年ごろから瀬戸内国際芸術祭がきっかけで風向きが変わり始めました。瀬戸国際芸術祭が始まった2010年ごろは傍観していましたが、2013年は井上さんが以前から気になっていた作家が作品制作で滞在していたため、その作家のところへ出向き、見ているだけではなく少しでも手伝えればと交流するようになりました。
すると、展示で使う展示ボードの制作を頼まれたり、その後も瀬戸内国際芸術祭で出会ったクリエイターを通じて仕事を依頼されたりすることが増えていきました。
「困ったことがあったら手伝うよと声をかけて手伝ったり、作品作りの手助けになりそうな人を紹介したりしていたことが周囲からの信頼につながっていったのかもしれません」
また、徐々に小豆島に移住者が増え、井上さんの人当たりの良さや感度の高さから、「お金がないけど面白いことがしたかったら匡都に相談しろ」と口コミが広がり、移住者から個人宅のリノベーションなどの相談が増えました。
インテリア雑誌を広げて「こんな風にしたい」と住まいのイメージをはっきり要望する移住者も多く、実現できるように応えていくうちに、引き出しが増え実績になり、次の案件で顧客へ提案できる選択肢が広がりました。今では、もともと小豆島に暮らしている島民と移住者からの注文は半々になりました。
個人宅だけではなく、店舗の改装依頼もあります。例えば、元そうめん工場をスポーツジムにリノベーションする依頼もありました。
「高齢者でも利用できるマシンを設置したり、子ども向けの運動教室を行うようなスタジオを併設したりするプランだったため、温かい雰囲気になるように床は無垢材に張り替えることを提案しました」
顧客から「予算を抑えたい」と要望があった時には、床のニス塗りなど顧客が自分たちでできそうな工程はやり方を伝えて任せ、工事費を抑えるなど顧客に寄り添った工事を心がけたといいます。
2022年の瀬戸内国際芸術祭2022では、アート作品の製作にも携わることになりました。中国の作家による全長25m、幅9m、高さ10.4mの巨大な船の形で表現した作品です。
主催会社と打ち合わせながら現代アートに馴染みのない年配の職人にも分かりやすいように、アーティストの作品に対する思いはストレートに伝えず、職人が作業する上で必要なことを噛み砕いて伝えるようにしました。
「瀬戸内国際芸術祭を通じて得た刺激や人とのつながりは大きかった」と井上さんは言います。例えば、瀬戸内国際芸術祭で小豆島に滞在製作をしていたことで、出会った大阪のデザイン会社のgrafやUMA design farm などクリエイターから仕事を依頼されたことがありました。
「クリエイターたちからは仕上がりに高いクオリティーを求められることが多かったので、それに応えていくうちに自社の仕事への感覚や職人の考え方もそれに応じて変化し、仕事に対する意識が上がっていきました」
「芸術祭が始まって思うようになったのは、島が実験的に使える場所になればいいということ。アーティストたちが面白がって島に来てくれて、島民も得るものがあって、お互いに活かし合える関係性になればすごくいいのかなと思っています」
井上さんが事業承継したのは2019年、39歳のときでした。売上高はバブル頃のピークに比べて下がってはいるものの、クリエイターなど新しい顧客が生まれたことで、井上さんが家業に入った2008年のころ よりも1.5倍近く上がっていると言います。
マル喜井上工務店も含め、小豆島の事業所では慢性的な人手不足に悩んでいます。マル喜井上工務店の従業員は62歳であと3年後には退職します。パート勤務の職人も同じく60代。
職人たちが体力的にできないことが増えてきたため、力を入れずに木材を切れる裁断機を導入しました。高温になる夏の作業には体への負担を減らせるよう、作業場に換気扇をつけて熱を抜けるようにしました。
井上さんに小豆島全体で考えている対応について次のように話します。
「おそらく40代以下の職人が20人以下ぐらい。メインで動いているのが50代以上で、この10年ほどでその世代が一気に定年退職する時期が来ます。だから、島内の他の工務店と横のつながりを作って、お互いの知識を共有し合ったり、できないことを担い合えたりする関係性を作っていくことが必要だなと感じています」
また、求人を出す時には、高松や小豆島の引き合いのある業者を含めて、同じように不足していることを聞くクロス職人、家具職人など他職種もまとめて一緒に呼びかけようと考えています。
「関係する業者なら、こちらも職人がいなくなると頼めなくなる。だから、自分たちが求人を出す時にはSNSなどで一緒に呼びかけてあげたらいいんじゃないかと思っています」
小豆郡地域雇用創造協議会が運営する、小豆島に移住したい人と島内の事業者を繋ぎワークサポートをする「島ワークプロジェクト」に相談もしています。
今でも事務などを手伝ってくれている井上さんの両親ももう70代半ばになりました。今、自分の身の振り方に悩んでいると井上さんは言います。
「新しく従業員を募集するか、人が集まらなかった場合、自分単独で動けるようにするか。プロジェクト単位でその都度チームを作り、個人事業主の大工を呼んでくるとか。島内に大工が足りていないのであれば、島外から呼んでくるのかとか。外国人や、女性の雇用も視野に入れています」
井上さんは小豆島に空き家が多く残っていることも懸念しています。移住者が増え、家を探している人が多いにも関わらず、使われないまま状態がひどくなっていく空き家が増えています。
仏壇が残っていたり、貸すことに抵抗があったりする持ち主が多いこと、もしくは持ち主が亡くなり宙に浮いた状態の物件もあることからです。
「今後は古民家を買い取って、自社でリノベーションし、不動産業にも乗り出したいと考えています。朽ちてしまう前に手を入れなくてはという危機感からです。実験的に自分がやりたいことができるし、工務店の仕事が暇な時期にリノベーションを進めることができることも魅力的に感じています」
地域の人がDIYなどで活用できるよう作業場の開放も考えています。
「親が残してくれた大きな資産があるから、それをどう生かそうかと今、少し悩んでいるんです。例えば、職人が現場に出ると作業場は空くので、DIYで何か作りたい人がいれば、作業場が空いている時に道具を使ってもらえるようにしたいと思っています。個人ではなかなか買えない軽トラックを貸すとか、そんなこともできるなと思っています」
井上さんは少子高齢化の先進地で事業を継続していくために、横のつながりを作ったり、ものや場所、情報を共有したりしていく具体的な方法を思案しているところです。
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