目次

  1. 「会社は兄弟でやるもんじゃない」と言われて育つ
  2. 家族のためにくら寿司へ
  3. 兄が急逝、「弟さん、戻って来られるの?」
  4. 債務超過状態が続いていた
  5. 「この会社にはよりどころがない」
  6. 時間をかけて理念を浸透
  7. 「口蹄疫」を教訓に事業を集約
  8. 兄が遺した日向夏ドレッシング
  9. 碁石事業は新価値を提案
  10. 父と袂を分かつ
  11. 祖業を守りながら食品を強化

 黒木さんが生まれ育った宮崎県日向市は、ハマグリを用いた碁石のまちとして知られます。ミツイシは、ハマグリをくりぬいて磨き上げる碁石の製造販売を1917年に創業。厚みとしま模様の美しさで等級が分かれる碁石は、白黒一式(361粒)数百万円で取引されるものもあるほどです。

ミツイシの碁石。白碁石ははまぐりから、黒碁石は那智黒石から削りだして製造し、職人が手作業で仕上げます(同社提供)

 「私が子どものころ、会社は碁石事業がメインでした。観光ブームの波に乗り、1986年に碁石工場の見学もできるドライブイン『はまぐり碁石の里』をオープン。土産物販売やレストラン業を営むドライブイン事業に参入しました」

観光客でにぎわっていたころの「はまぐり碁石の里」(ミツイシ提供)

 当時の会社経営には、両親のほか父の親族も参画。家族経営をめぐっては、意見の衝突も多かったといいます。黒木さん兄弟は母から、「会社は兄弟でやるもんじゃない。いずれお兄ちゃんが継ぐのだから、宏二は自分の力で生きる道を探しなさい」と言われたといいます。

 「私は環境問題に興味があったので、近畿大学農学部に進学。卒業後は水産専門商社に就職しました」

 水産専門商社の札幌支店に配属された黒木さんが担当したのは、カズノコの原料調達でした。

 「ロシア船籍のニシン加工船に乗り込むなど、1年のうち4カ月近くを海外で過ごす生活を、5年ほど続けました」

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