目次

  1. 原産国を救う「サードウェーブ」
  2. 「猿田彦への恩返し」で決断
  3. 企業コラボが広がる理由
  4. 「判断ミス」で挫折した海外進出
  5. 出店基準は設けない
  6. 「失敗したら修正すればいい」
  7. 「負の連鎖」の乗り越え方

 創業から約3年後の14年4月、日本コカ・コーラ社から猿田彦珈琲監修の「ジョージア ヨーロピアン」シリーズが発売され、恵比寿の小さなコーヒー店の名前が一躍全国へと広がりました。

 きっかけはその2年前、大塚さんが日本コカ・コーラ社から「コーヒーの『サードウェーブ』について話を聞かせてほしい」と依頼されたことでした。

 「僕なりの答えや考えを伝えさせてもらいました。『ハンドドリップで1杯ずつ淹れる日本の喫茶文化をまねしたのがサードウェーブ』という説明が当時は有名でしたが、それはあくまで表面的な内容かもしれず、僕は『コーヒー豆のダイレクトトレードをベースにしたことこそ、サードウェーブ』と話しました」

 大塚さんによると、コーヒーのファーストウェーブはおおまかにいえば1960年代に起きました。米国で真空パック包装の技術が開発されたのを機に、コーヒー豆は大量消費の価格競争時代に入ります。大手企業が原産国の豆を安く買うため、農園は疲弊し品質が落ちるという悪循環が起き、消費者のコーヒー離れが起こったのです。

 スターバックスコーヒーに代表される90年代のセカンドウェーブでは、高品質のコーヒーを求める流れが広まり、原産国への技術支援も広がります。

猿田彦珈琲は豆を厳選してコーヒーを提供しています

 さらに、生産地や豆の個性を楽しむスペシャルティーコーヒーを楽しむ流れができたのが00年代のサードウェーブです。適正価格で取引し、生産国の貧困を救済しながらおいしいコーヒーを求める動きが生まれました。

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