猿田彦珈琲は2011年6月、「たった一杯で、幸せになるコーヒー屋」というコンセプトを掲げ、恵比寿に開業しました。8.7坪からのスタートでしたが、ハンドドリップやエスプレッソマシンで淹れる高品質なコーヒーと、地域密着型の接客で着実にファンを増やしています。
「開業当初、本格的なコーヒーを楽しめる高価格帯のお店は職人気質の方が多く、フレンドリーなお店はほとんどないと感じていました。入りやすい空間、明るい雰囲気でおいしいコーヒーが飲めるお店を作りたいと、猿田彦珈琲を立ち上げました」
13年からはコーヒー豆の自家焙煎(ばいせん)を手がけ、その後、エチオピアやブラジルなど数カ国とのダイレクトトレードを実施。自社で生豆の調達から焙煎、抽出の工夫まで一気通貫で行っています。
大塚さんは「創業当初はコーヒー豆を他店から卸してもらっていましたが、もっとお客様の反応を良くしたいと、焙煎や生豆の調達に行き着きました。高いクオリティーのコーヒーを実現するには、勉強と実験の機会を増やさねばなりません。生豆の仕入れ量を増やさないと、技術開発の底上げにはつながらないと考えました」と振り返ります。
同社が扱うコーヒー豆の焙煎は、すべて17年に開業した東京・調布市の「猿田彦珈琲 調布焙煎ホール」で引き受けています。店舗も兼ねており、コーヒーを楽しみに訪れた客も大型の焙煎機をガラス越しに見られます。
現在は21店舗を構え、アイスクリームショップやベーカリーなどを併設する店も展開しています。従業員数は408人(23年7月末時点、役員・アルバイトを含む)の規模になりました。
店舗経営にとどまらず、高級料理店やホテルにコーヒー豆を卸したり、スーパーやコンビニを通じてドリップパックを販売したり、業務内容は多岐にわたります。小ロットでの卸販売にも細かく対応。徐々に規模を拡大し、23年時点の年商は26億円にのぼります。
そんな大塚さんのキャリアは、挫折からのスタートでした。
夢破れ「次こそメジャーに」
東京都調布市生まれの大塚さんは、15歳から俳優としてキャリアを重ねてきました。学業と両立しながら、映画やドラマ、CMなどにも出演しましたが、オーディションを受けても選ばれない日々が多かったといいます。
「下積みは長かったです。もう少しこうすればとも、純粋に実力不足だったとも思います。一生懸命やったから報われるわけじゃないという経験は、今も役立っています」
25歳で引退。手に職を付けようと様々なアルバイトの面接を受けましたが、なかなか採用されません。そして、コーヒー豆販売店「南蛮屋」(東京)で店長をしていた友人に誘われ、3年半働きました。
大塚さんは試飲用のコーヒーを淹れてお客さんに勧めるうちに、俳優時代との大きな違いを感じるようになりました。
「役者時代は最終オーディションまで行っても選ばれなければ終わり。自腹の交通費でマイナスです。一方、店では試飲をきっかけに500円ほどのコーヒー豆が売れて、『ありがとう』と笑顔で言われる。僕はこちちの方が向いているとも感じました。役作りなど人から見えないところで積み重ねた経験をコーヒーに生かしたら、次はメジャーシーンに行けるのではないかと思ったんです」
人に恵まれ「猿田彦珈琲」が誕生
大塚さんはやがて、南蛮屋のフレンドリーな接客を生かしたコーヒーショップを立ち上げたいと考えるようになります。
「店長だった友人のコーヒーの勧め方がナチュラルで面白いと思っていたんです。このスタイルでコーヒーを提供する店ができれば革命が起こせると思いました」
「たまたま見た雑誌で、海外で人気のコーヒーバーが紹介されていたのもきっかけの一つでした。紙コップにはかわいいロゴがあり、本格的なコーヒーを飲みながら気軽に過ごせる空間は僕の理想に近いものでしたが、日本には当時、そういう業態の店はほとんどありませんでした」
大塚さんは独立を決意。開業資金の用意はほとんどありませんでしたが、大塚さんの話を聞いた同僚が100万円を振り込んでくれたといいます。
「僕自身は正直、実現は無理だろうと諦めていたのに、後から(元同僚に)なぜ信用してくれたのかと聞きました。『ここまで大きくなると思ってはいなかったけれど、絶対成功すると思っていた』と言われて、うれしかったですね。それを元手に、恵比寿の小さな物件を借りました」
足りない分は家族や友人から少しずつ借り、内装も手作りで仕上げました。ボランティアで電気系統の工事を手がけてくれた社長もいました。
お店の顔となるロゴマークは、俳優時代から親交があったデザイナーのヒロ杉山さんに依頼。奥さんから「猿田彦珈琲」という店名を提案されたそうです。
猿田彦大神は物事を良い方向へ導いてくれる道開きの神。八角形のモチーフは、三重県・伊勢神宮の近くにある猿田彦神社の石柱と同じ形です。
人の縁に恵まれ、大塚さんは1号店の開業を迎えました。コアな創業メンバーは大塚さん含めて4人での船出でした。
客をつかんだ「ゲーゲンプレス」
開業後は数百人のお客さんが訪れ、長い行列ができました。1杯ずつのハンドドリップでは追い付かず、急いでエスプレッソマシンを契約する必要に迫られ、見かねた大塚さんの母親がリースの保証人になったそうです。
開業から1週間経ち、運転資金が20万円を切るころ、銀行から350万円の融資が下りることに。「これで毎月10万円ずつ赤字を出しても、35カ月くらいは持ちこたえられる計算が立ちます。その間に設備を充実させ、1年半かけて黒字化させればいいとホッとしました」
コーヒーショップがひしめき合う中で 大塚さんが勝ち抜くために工夫したのは集客でした。その方法を、サッカーの攻撃的な守備スタイル「ゲーゲンプレス」に例えます。
「当時、隣には有名なアイスクリーム店がありました。そのままでは、素通りして隣に流れてしまいます。その前にスタッフが走っていって店の前で話しかけている間に、もう1人のスタッフがコーヒーを淹れる。そうするとお客さんも入ってくれました」
「そして帰り際にも『お口に合いましたか』と声をかけるようにしました。この言葉は本来、飲食業界では自信がない表れとして禁句だそうです。それでも、このころは少しでもお客様と少しでもコミュニケーションを取ろうと必死でした」
地道な働きかけで、猿田彦珈琲は少しずつリピーターが増え、売り上げは毎月1.1倍ずつ上がりました。
スタッフとすり合わせた価値観
大塚さんは一緒に働くメンバーとのコミュニケーションも重視しました。当時はスタッフとよく食事に行っていたといいます。
「僕は資産家になりたいわけではなく、自分がおいしいと思うコーヒーをお客様にも楽しんでいただきたくて起業しました。一般的には、いい服を着ている、いい車に乗っているお金持ちの人が成功者に見えますよね。僕たちはそこをゴールにしていないことを伝えなければと思いました。店の方向性や価値観を共有し、同じ想いを持って働いてほしいと思ったんです。制度や仕組みで縛るより、企業文化をもとにルールを作った方がやりやすいのは間違いないです」
大学では哲学を専攻した大塚さん。スタッフへのアプローチにもその学びを生かしています。お金の価値観についてもスタッフと話し合ったそうです。
「例えば、猿田彦珈琲で提供するドリップコーヒーは1杯約500円ですが、チェーン店の牛丼はもっと安いし、ゲームセンターに行けば一瞬で使い切ってしまうかもしれない。その500円を、お客様は僕たちに投資してくれている。コーヒーのおいしさだけでなく、雰囲気や接客を含めてお返ししよう、というようなことを話していました」
対話の重要性は大塚さん自身、俳優時代に身をもって体感しました。
「先輩の俳優に呼ばれて飲み屋で朝まで話を聞くことが多かった。グダグダで意味不明なこともたくさんありましたが、あの熱さやこだわり、僕にはない多種多様なものの見方が、今の僕を形成したと思っています」
大塚さんが大切にする価値観のすり合わせは企業文化として浸透。スタッフが増えた現在は、新人研修の際の資料に盛り込まれ、体系化されているといいます。
恵比寿の小さな物件からスタートした猿田彦珈琲は開業3年後の14年、日本コカ・コーラ社の「ジョージア ヨーロピアン」シリーズの監修というエポックメイキングを迎えます。
今では猿田彦珈琲の代名詞となったコラボですが、企画が持ち込まれたとき、当時の創業メンバーは全員反対でした。
※後編では、コラボ商品が生まれた経緯や効果、多店舗展開やチャレンジ精神を育む人材育成などに迫ります。