目次

  1. 総合格闘技の修行から家業へ 現場は一変していた
  2. 赤字体質脱却へ 2年は月給5万円
  3. 死の直前まで営業電話をかけた父 仕事の依頼は数年続いた
  4. 草野球からプロ野球的な組織になるには熟練の営業職が必要
  5. 地元の建築組合を脱会するという大きな決断

 愛知県春日井市に本社を置く建設会社・永賢組。1965年に永草孝憲さんの祖父が創業し、その後、娘婿である父が承継しました。

 永草さんは24歳まで総合格闘技の修行で、世界各国を巡り肉体を鍛える日々を過ごしていましたが、父に求められて永賢組に入社することを決めます。

 「入社してみると、私の幼い頃とは現場の雰囲気が一変したと気付いたのです。かつて、現場には活力にあふれていたのに、たった15年間で覇気がなくなっていました」。経営はすでに債務超過に陥っていました。

 原因はなぜなのか、経営者として何ができるのかを知るために、ある経営塾に入ります。

 「私は経営どころか、一般企業の勤務経験もないので、財務諸表の読み方など実務的なところから始めました。そしてマネジメント、経営戦略の立て方など、経営者として必要な知識とスキル、考え方を叩きこんでいったのです」

 そこで気付いたのは、永賢組の赤字体質でした。温厚な人柄で知られていた父は、利益が薄い仕事や、困り事を無償で受けることが多く、持ち出しが多かったのです。

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