「入社してみると、私の幼い頃とは現場の雰囲気が一変したと気付いたのです。かつて、現場には活力にあふれていたのに、たった15年間で覇気がなくなっていました」。経営はすでに債務超過に陥っていました。
「私は経営どころか、一般企業の勤務経験もないので、財務諸表の読み方など実務的なところから始めました。そしてマネジメント、経営戦略の立て方など、経営者として必要な知識とスキル、考え方を叩きこんでいったのです」
「建設業の売り上げの柱のひとつは、土木・下水・道路や、施設などの公共事業を請け負うこと。これは、地元の建設会社が所属加入する組合に所属し、入札によって仕事を得ることが多いのです」
しかし、仕事を継続してもらうために、利幅がどうしても薄くなってしまっていました。
同時に永草さんは、目を背けたい財務体質に徹底的に向き合いました。背景には格闘技で弱いところと対峙し自ら鍛えるという思考法がありました。
「経営コンサルタントに財務諸表を見てもらいました。すると即座に“このままでは倒産する”と断言されたのです。それで目が醒めました。ただ漫然と仕事をしていては、会社が立ち行かなくなる。そこで、会社の肉体改造を進めていく覚悟を決めました」
材料業者との価格相談、20人ほどの社員のうち数人を解雇、給料引き下げなどを考えます。
しかし、父は断固としてそれを反対。そこで、経営陣である、永草さんたちの給料を大幅に減額することを決めました。父は月10万円、永草さんは月5万円の給料で2年間を過ごします。それを支えたのは負けん気の強さです。
「総合格闘技の修業中に鍛えた闘志のようなものが湧き、会社の屋台骨を支えるという気持ちを強く持ったのです」
試合終了時間は未定という終わりのない戦いを持ちこたえ、黒字化したのは3年目。永草さんが28歳の頃です。それから2年間、社内一丸となって営業開拓を続け、安定した経営に向けて進み始めます。
死の直前まで営業電話をかけた父 仕事の依頼は数年続いた
2012年、永草さんが30歳の時に、父の体を病魔が巣くっていることがわかります。病名はすい臓がん。
「まだ60歳と若かったから進行も早かったです。二人三脚の経営がようやくできると思っていただけに、ショックでした」
しかし、経営は待ったなしです。
「病床から父は“永賢組をよろしくお願いします”とメールを送り、電話をかけ続けていました。これは父の没後、携帯電話の履歴を見てわかったのです」
父が亡くなってから数年間、永草さんのところに仕事の依頼の電話がかかり続けました。相手は「事務所を建ててほしい」「息子の家を作ってほしい」などと言うのです。永草さんは営業した覚えがないので聞くと、「お前んとこの父親が、死ぬ前に電話かけてくれてさ。ひとつ頼むよ」と彼らは口々に答えたのです。
父は最後まで会社のことを考えていました。祖父、父と受け継がれた思いに身が引き締まる思いがしました。
「いまでも思い出すのは、父が亡くなる1ヵ月前、医師の外出許可を得て、お世話になっているゼネコンの方と春日井市役所に行ったんです。もう末期ですから、痩せ体力も落ちていた。父は壁づたいに歩きながら、市役所の担当者にゼネコンの方を引き合わせ、つながりをつくるために挨拶したのです」
市役所の職員ほか有縁の人々も、これで最後だと思ったのか、父の姿が見えなくなるまで、見送っていました。
「父の生き方と、父が人生で重ねてきた“徳”に改めて涙が出ました」
亡くなる数週間前、父は経営計画発表会に車いすで出席。父は社員ひとりひとりに、その人の長所とアドバイスを書いた手紙を渡します。
「例えばある社員には“不愛想だが仕事の腕はいい”など、もらった人は泣き笑いをしていました。それにつけても人をよく見ているな……と思いました」
そして、永草さんが後を継ぐことを伝え、社員全員に見送られて病院に戻ったのです。
草野球からプロ野球的な組織になるには熟練の営業職が必要
父は徳の人でした。利益より相手のことを優先したところもあったそうです。父の葬儀の後、改めて永草さんはこれからの経営を考えます。
「父の時代のいいところを生かしつつ、利益体質になれば、現場が誇りをもって働けるようになる。それに、若者の就労者も増えます。建築業は地域にとって不可欠な仕事なのです。業界を盛り上げる存在になろう、そのためには10年で売り上げを100億円にしようと決意しました」
当時の売り上げは10億円程度。それを10年で10倍にすると全社員の前で宣言したのです。同時に「都市問題解決カンパニー」というビジョンを打ち立てました。
「建設業は地域の未来と環境を作る仕事です。ただ、建物を建てるのではなく、可能性を作るのだと、社員に伝え続けました」。この考えが浸透するにつれ、かつての活気が戻ってきました。
「赤字にならない体質になり、利益も出始めました。父の代は、地元で知られてそれなりにファンもいる草野球チームのような組織体制でした。自由度が高く、それぞれの個性や能力に依拠していても、仕事が勝手に回るような状態です。だから、波もありました。しかし、私の代からは、プロ野球のような組織になる 。タイミングは今だという潮目が見えたんです。入社から6年間、建設業のことだけを見続け、考えてきたのでそれがわかるようになっていたのです」
永草さんがいう「プロ野球のような会社」とは、飛躍的に高い成績を打ち出せる企業のことです。スタープレイヤーが多く在籍し、組織全体の「成果」を確立し、継続的な努力を続ける会社を意味しています。その視点から自社を顧みると、歴史はある、地元の実績もある。そこで、スタープレイヤーを増やすため、ヘッドハンティングする事にしました。
「地方の中小企業の領域を超えた年棒を提示し、3年間で社員数を2倍以上の50人に増やしました」
大手建設会社で辣腕を振るった営業パーソンは、新規客を獲得。春日井市、名古屋市のほか中部地域一帯に仕事は広がり、2016年に豊田支店と名古屋支店を開設。承継してから5年で売り上げが50億円を超えました。
その後も、毎年4億~10億円ずつ売り上げ伸ばし、前期はグループ全体の売り上げが62億円で期を締めました。2023年7月スタートの60期はグループ全体の売り上げは80億円以上、営業利益は5億円以上を目標としています。
「利益は社会に還元しようと、父が亡くなってから、春日井市に毎年100万円を寄付しています。また、地域の保育園へ玩具の寄付、『100万人のクラシックコンサート』のスポンサー、無料の学習塾の主催ほか多種多様な活動を続けています」
永草さんは、一連の活動が、社員のプライドにもつながりますし、社会全体を明るくすることに結びついていると考えています。社会だけではなく、社員にも「誇りをもって働くために、仕事に応じた給料は意識しています」。
地元の建築組合を脱会するという大きな決断
2019年に永草さんは大きな決断をします。それは、30社近くが加入する地元の建築組合から脱退することでした。
「同業同士のつながりなど、メリットはあるのですが、やはり組合にいると序列もあります。横のつながりを意識して、社格が上の会社に遠慮をすることもあります。ゴルフや会食など“組合の社交”に使う時間や労力も惜しいと感じるようになりました。あとは、自分自身の甘えもありました。“ここにいれば安心”と現状維持に甘んじてしまうんです。しかし、そこから抜けて、意識を改めれば、躍進できると確信しました」
50年以上にわたり、ともに企業活動を行ってきた同業者組合を抜ける……当たり前だと思っていたことを脱することは大きな決断です。
「以前、債務超過体質を改善するために、大なたを振るったように、脱退した後の未来にかけたいと思ったのです」
序列を考えずに、永賢組の全力を出し切った仕事をしたいという永草さんの希望が叶い、 この年から学校関連施設、介護施設、物流センターなど大規模な仕事を受注するようになりました。「組合から抜けたことで、営業パーソンたちの意識がさらに高くなった」と永草さんは振り返ります。
「経営塾や他業界の人々と交流し、得た気付きを経営に生かしています。時代の流れを取り込まないと、企業の存続は難しい。土木、建築(施設・住宅)の2本柱から、そこに付帯する仕事も開拓しています」
いま、施設の運営や保全、人材派遣業、不動産関連業、建築技術開発など部門を増やしています。
「みんなが熱心に働いていると、いい雰囲気が自ずと生まれるものです。経営者の仕事は、この雰囲気を作れることにあると、最近気付くようになりました。父は“徳”で、私は“戦略と開拓”でそれを維持しようと考えています。いま、取引先にも喜んでいたき、地域や社会に還元できるという循環も続いています。この発展が今後の課題です」
後継者のいない土木建設業の会社をグループ化を進めていきたいとも考えているといいます。「小さな力も結集させれば、大きな流れが生まれます。建設業で働く人達が物心両面で幸福になること。そして、また若手が働きたくなる業種を目指していきます」
とはいえ、建設業は厳しい事態にさらされています。帝国データバンクの発表によると、2022年度(22年4月-23年3月)の建設業における倒産は1291件。21年度1084件だったので19.1%も増加。
鉄骨や木材、給湯器や便器など住設機器などが不足し、価格高騰で工事原価が上がっています。前出の帝国データバンクの調査でも、22年7月の建設業倒産の10%以上は物価高が要因だったそうです。職人の高齢化のみならず、建築士や施工管理者などの人手不足も深刻です。
永草さんは、そこも見据えてこの11年間、会社と人を育て続けていました。それがやがては生きていきます。「時代の流れを取り込まないと、企業の存続は難しい。今後も建設業の人口は不足していきます。建設DXや新たな働き方、評価制度、ロボット化など革新的な取り組みをしていきたいです」
永賢組がつくる建物や道路が導く可能性と未来の先に、人々の笑顔があるはずです。