目次

  1. 台風で工場が全壊、後継者探しに
  2. 取引先の声が継承の後押しに
  3. 現状維持の経営で売り上げが下降
  4. 初めての試練が転機に
  5. 三つ星シェフからの評価
  6. プロからプロへと広まる塩
  7. コロナ禍でビジネスモデルを転換
  8. 高付加価値のにがりを共同展開
  9. 与那国の塩を世界に届ける

 1689人(2023年6月時点)が暮らす与那国島。与那国海塩は2001年、宮城県出身の伊藤典子さんが移住して起業しました。黒潮源流に最も近い与那国島の海水を平釜で煮詰める昔ながらの製法でつくられた塩はミネラルが豊富で、うまみと甘味を含み、大手百貨店や高級スーパーなどで取り扱われるようになります。

ミネラルが豊富な与那国海塩の塩

 しかし、15年9月の台風21号で工場が全壊。当時64歳だった伊藤さんは会社をたたむことを決意します。しかし、事業を続けてほしいと多くのファンから寄付が集まり、後継者探しを始めました。

 伊藤さんは、長命草を栽培・販売する与那国薬草園を経営する杉本和信さん(53)に再建工事について相談し、会社の継承も持ちかけます。和信さんは多忙だったため、沖縄大学2年生だった息子の杉本さんに白羽の矢が立ちました。

 杉本さんには突然の話でしたが、先代から「来月には答えを出してほしい」と言われたといいます。 

 杉本さんは「会社が必ず自分に継承されるなら」という思いで大学を中退し、15年冬、島にUターンします。週1回、10トンの海水をくみ、約10日間、毎日15〜16時間かけて海水を煮詰めて塩に仕上げる作業は想像を絶する厳しさでした。

海水を長時間にわたって炊いて塩がつくられます

 杉本さんは父の元にいた従業員と工場を作り直し、先代の元で修業を始めました。職人仕事の塩作りは、教える側も言語化できないことがたくさんあったといいます。

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