経営の潮目を変えた「プレゼント作戦」 与那国海塩2代目の販売戦略
日本最西端の沖縄県与那国島にある与那国海塩の塩は、東京の三つ星レストランなどで使われています。2015年の台風で工場が全壊しましたが、地元出身の杉本和将さん(28)が18年に創業者から第三者継承し、2代目となりました。名の知れたシェフや経営者などに島と塩の良さを訴え、その道のプロからプロへと広めることで塩のブランディングに成功し、売り上げを伸ばしました。
日本最西端の沖縄県与那国島にある与那国海塩の塩は、東京の三つ星レストランなどで使われています。2015年の台風で工場が全壊しましたが、地元出身の杉本和将さん(28)が18年に創業者から第三者継承し、2代目となりました。名の知れたシェフや経営者などに島と塩の良さを訴え、その道のプロからプロへと広めることで塩のブランディングに成功し、売り上げを伸ばしました。
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1689人(2023年6月時点)が暮らす与那国島。与那国海塩は2001年、宮城県出身の伊藤典子さんが移住して起業しました。黒潮源流に最も近い与那国島の海水を平釜で煮詰める昔ながらの製法でつくられた塩はミネラルが豊富で、うまみと甘味を含み、大手百貨店や高級スーパーなどで取り扱われるようになります。
しかし、15年9月の台風21号で工場が全壊。当時64歳だった伊藤さんは会社をたたむことを決意します。しかし、事業を続けてほしいと多くのファンから寄付が集まり、後継者探しを始めました。
伊藤さんは、長命草を栽培・販売する与那国薬草園を経営する杉本和信さん(53)に再建工事について相談し、会社の継承も持ちかけます。和信さんは多忙だったため、沖縄大学2年生だった息子の杉本さんに白羽の矢が立ちました。
杉本さんには突然の話でしたが、先代から「来月には答えを出してほしい」と言われたといいます。
杉本さんは「会社が必ず自分に継承されるなら」という思いで大学を中退し、15年冬、島にUターンします。週1回、10トンの海水をくみ、約10日間、毎日15〜16時間かけて海水を煮詰めて塩に仕上げる作業は想像を絶する厳しさでした。
杉本さんは父の元にいた従業員と工場を作り直し、先代の元で修業を始めました。職人仕事の塩作りは、教える側も言語化できないことがたくさんあったといいます。
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「塩は生き物です。湿度や空気など全てが影響するので、毎日見ないといけないし、調整の仕方も経験しないとわかりません。私は昔から炎天下で何時間も畑仕事をして、高校では強豪のバドミントン部で猛練習したので忍耐強さはありました。それでも何度も辞めたいと思いましたね」
先代から「修業には5年かかる」と言われましたが、だんだんと塩作りの感覚をつかみ、1年後には工場長になりました。
「そのとき先代は『全てを任せる』と言い、島を離れたんです。塩作りしかしてこなかった私は、事務仕事が一切わからず、パソコンも使ったことがないレベル。事務作業の修業も始まりました」
アルバイト2人と現場を回しつつ、先代からは毎日電話で塩作りや売り上げについて確認があったといいます。
正式な継承時期も定まっていませんでしたが、与那国海塩の塩を15年間使うおむすび屋からの一本の電話で、状況が動きました。
それは「今回納品した分は誰が作りましたか」という電話でした。杉本さんはクレームかと思い、自分が作ったと正直に伝えると「今までで一番おいしい」と言われたのです。
「おむすび屋さんは先代にもそのことを伝えてくれました。その言葉で(先代も)決意したのか、すぐに事業継承されることに。5年と言われた修業は3年半で終わりました」
杉本さんは先代から経営権を買い取り、18年6月に事業を引き継ぎます。当時22歳の杉本さんに代わり、父の和信さんが銀行から資金を借りてくれました。
杉本さんは「塩の注文も入り続けていたため、とりあえず現状維持に努めました。当時の年商は1500万円ほどで、赤字ではなかったんです。正直、これから何をすればいいのかわからなかったのもありました」。
しかし、付き合いがあった百貨店やスーパーはすでに離れ、杉本さんも営業経験がなかったため、問屋との付き合いも薄くなるばかり。やがて売り上げは下がり始めます。
焦る杉本さんは19年、BS放送のショッピングに塩を出しましたが、1袋も売れません。商談会でも出店者の中で同社だけが受注できませんでした。売れない原因を考えると「塩はどれも一緒に見えることに気づいた」といいます。
「他の塩との違いを一生懸命説明してもピンと来る人はいません。平釜で炊く作り方も今では珍しくなく、塩をなめて違いがわかる人も少ない。魅力を伝えるだけでは売れないんです」
杉本さんは県内の塩屋を何件か回り、仕事を見比べることで、伝えるべきことが少しずつわかりました。
どの店も扱っている塩は2〜3種類しかありません。一気に炊き上げた塩を砕いて大きさを変えるのが一般的ですが、与那国海塩は先代の時から1種類作ったら釜を磨き、違う種類の塩を作っていました。他社よりも作る工程が多いことをうまく伝えられていなかったのです。
商談会でバイヤーと話した時、塩の良さを伝えても興味を持つ人はいませんでした。なので、塩の話だけではなく、作り手である自身や与那国島の話をするべきではと気づきました。
半年後の商談会では、持ち時間5分のうち塩の話は40秒ほどでまとめ「20代の若者が島に戻って塩作りをしている理由や、与那国島での塩作りを話すようにしました」。すると、参加20社のうち8社が興味を持ってくれました。
杉本さんは顧客に「与那国島にこないと塩の良さはわからない」と伝え続けました。
「普通は3カ月に1回しか磨かない釜を、与那国海塩では塩を炊く前に必ず磨いて雑味を取ります。熱い火の近くで何十時間も塩を見守ります。これだけの時間と手間がかかっていることは見てみないとわかりません」
熱意に押され、連絡先を交換した8社のうち4社が島を訪れ、少しずつ売り上げが伸びました。
杉本さんは2カ月に1度は東京で飛び込み営業もしました。「焼き鳥屋のカウンターに座り、焼き鳥を注文して塩のサンプルを置いて帰る。3日間の滞在で50件ほど続けました」
この営業はあまり売り上げにつながりませんでしたが、偶然入った中華料理屋で、ミシュランガイドで三つ星のフランス料理店「レフェルヴェソンス西麻布」のシェフと出会います。「塩を作っていることを話したら、興味を持ってくれたんです」
塩をシェフに渡すと後日連絡があり、与那国島も訪れ、すべての料理に塩を使ってくれることになりました。
「シェフは、与那国海塩の塩が素材の味を引き出し、うまみも感じさせる食材であることから選んでくれたと言います。入れれば入れるほどおいしくなるので、塩の概念が覆ったということを、取材などで何度も話してくれ、少しずつ飲食店から注文が入るようになりました」
それでも、1社が何百キロも塩を注文することはありません。売り上げの伸びは月10万円ほどだったといいます。
あるとき、杉本さんがレフェルヴェソンス西麻布に招待されると、料理人同士の会話が耳に入りました。
「一流店には料理人も訪れることに気づきました。そこでレフェルヴェソンス西麻布のシェフに、お客さんへのプレゼント用として塩を無料で納品しました」
「プレゼント作戦」が奏功し、レストランからの発注が増えたのです。
「その後も、塩を好きになってくれるシェフがいたら店頭に塩を置いてもらいました。レストランには別の店のシェフが訪れるため、毎週注文が来るようになりました」
月の売り上げは60万円ほど上がり、19年の年商は2千万円超になります。
軌道に乗り始めた矢先、コロナ禍の影響で20年の年商は1千万円を切ってしまいます。それでも、いつもより多く購入してくれる個人客も多く、月80万円は稼ぐことができました。
コロナ禍を受け、大量生産のビジネスモデルに限界を感じた杉本さん。多方に営業をかけることはやめ、商品のブランド価値を高めようとしました。
「経営を長く続けるには規模感は今のままが良い。その代わり、与那国海塩の商品を必要とする人に届け、その人に広めてもらうことで、価値を高められないかと考えました。生産量には限界がありますが、価値が上がれば欲しがる人も増え、さらにブランド力を高められるという狙いでした」
与那国海塩には5種類の塩があります。「黒潮源流塩」(540円/135g)はどの料理にも合い一般消費者に人気で、粒が細かく素材の味を引き出しやすい「SAI」(540円/135g)はレストランで人気を集めています。
一方、10日間かけて5キロほどしか取れない貴重な「花塩」(2160円/135g)やにがりは、そこまで変動のない商品でした。
「花塩はレストランにも相談し、とんかつやサーロインステーキに乗せて食べるとおいしいと教えてもらいました。使い方を伝えることで、花塩は徐々に売れるようになりました」
杉本さんはにがりも、必要とするプロはいないか模索しました。「にがりからはマグネシウムが多く摂取できます。健康に関心の高い女性に届けようと思いました」
そんなとき、杉本さんはクライアントの紹介で、インドの伝統医学アーユルヴェーダを活用してヨガなどを展開する会社「MOTHER」社長の岡清華さんと出会います。岡さんはインスタグラムで3万人超のフォロワーを抱え、メディアにも登場しています。
岡さんには最初「どこにでもあるにがり」と言われたといいます。杉本さんはマグネシウムの含有量を高めるため、塩を炊く時間を通常の2倍の200時間に増やすと、通常100グラムあたり4千ミリグラムのマグネシウムが8千ミリグラムを超えました。
杉本さんは岡さんに飛行機のチケットを送り、島に招きます。「島の人とつながってもらうことで、にがりだけではなく島の良さを知ってもらいました」
岡さんは毎月島に来てくれるようになり、22年末、高濃度のにがりの商品化に合意。MOTHERオリジナルのデザインで、高濃度のにがりを発売しました。
通常は500円ですが、少量しか取れない高濃度のにがりは4860円で販売しています。それでも、23年6月に大阪の百貨店で開かれた与那国フェアでは2日間で完売しました。「フェアに向けて、MOTHERとTikTokやインスタグラムで商品を発信し続けたからと思います」
希少価値の高い商品を増やした結果、塩の年間生産量は3トンに届き、今では与那国海塩の店頭販売分だけで売り上げは月100万円を記録。23年の年商は3千万円に届く勢いです。島内の土産屋でも売り切れになり、オンライン販売は5カ月待ちといいます。
「今後も無理して生産量を増やさず、価値を高めることで売り上げを伸ばそうと思います。会社をたたむ危機に直面した時もコロナ禍でも支えてくれた個人客の皆様も大切にしながら、長く商売を続けたいです」
与那国海塩の塩はニューヨークの高級すし店やベトナムとマレーシアの高級レストランなどでも使われています。しかし、BS放送のショッピングで失敗した経験も踏まえ、「ビッグネームが来ても飛びつかない」と言います。
「与那国島で直接話して島を感じてもらい、一緒にやりたいと言ってくれたところとだけ付き合うようにしています。クライアントはファミリー。数は一気に増やせませんが、親身になって一緒に頑張りたいです」
今は杉本さんのほか、社員1人、アルバイト2人の4人体制ですが、今後は自分が不在の時も塩作りが続けられる体制を整えるそうです。
日本最西端の島から世界に届く商品をーー。「与那国島といえば塩」と言われる日が来るまで、挑戦は続きます。
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