林さんが26歳の頃、家業の旅館は深刻な経営難に陥り、一緒に暮らしている父が資金繰りに苦悩し、奮闘する姿を隣で見てきました。
家族の危機を放っておくことはできず、会社を辞めて、実家の立て直しを決意します。
後を継ぐ前に、まずは立て直しです。
「とがったホテル」で群を抜く関屋リゾート
林さんがこだわったのは、別府市にある数多くの旅館やホテル、簡易宿所にはない「新しいとがり」です。
先代から継承した割烹旅館「関屋」(2000年10月閉館)は、地元の旬な野菜、魚介類、肉を堪能できる料理で特徴を生みだしました。
2005年には、当時の別府にはなかった露天風呂付客室のデザイナーズ旅館として「別邸はる樹」を開業。
融資を渋る金融機関はありましたが、ねらいが功を奏し、経営は軌道に乗り始めます。
2015年には10歳以下の子どもは利用不可にして、美的空間のおもてなしを提供する「テラス御堂原」がオープン。
林さんの手掛けるホテルは別府市内でも存在感を見せていきます。しかし、それはあくまでも「表(おもて)」から見える、関屋リゾートの姿でした。
売上好調の裏で 大ショックな2度の大量離職
売上好調の裏で2度の大量離職が起きていたのです。
1回目は、2005年に開業した「別邸はる樹」で、スタッフ8人のうち、5人が一斉退職。2回目は、2015年に開業した「テラス御堂原」で5人の一斉退職です。
当時を振り返り、林さんは「ショックだった。自分を全否定された気持ちになって落ち込んだ」と話します。
どちらかと言えば温厚な性格で、仕事で誰かを怒鳴ることもしないタイプなのに、どうして集団離職が起きてしまったのかをじっくり考えることになります。大きな勘違いは「従業員=替わりがきく存在」「お金を払えば働いてくれる存在」と思っていたことだと気が付きます。
そして、スタッフ1人1人に興味を持たず、自分のことしか考えなかったという答えに辿り着くのです。集団離職を2度経験して、はじめて気が付いたのは、自分が経営者になりきれていなかった事実。
けれど「この経験があってこそ、今の関屋リゾートがある」と林さんは、力強く話します。
周りを押し切り、ひと育てへ全力投資
2018年大分県認定の地域牽引企業に選ばれた、関屋リゾート。大分県すべてで、年間わずか2社の狭き門であり、その際に助成金を交付されました。
一般的に旅館業界では、助成金の使い道は「設備投資」に使われることが多いのですが、林さんは人材育成に全力投資することを決断します。
周りの社員からは少なからず反対の声もありましたが、大量離職を経験したからこそ、事業を拡大していくためにはひとを育てることが大切、社内教育と採用の仕組みを整えることが必須だと強く感じたのです。
現状を維持するのであれば、このままでも何とかやっていける。でも、事業拡大の夢を叶えるためには、自分1人では何もできない。
協力し、信頼できる仲間を1人でも増やすことが、事業拡大の大きな近道だと確信していました。ですから採用に関しては、業界でも珍しいくらいにたっぷりと時間をかけています。
なぜなら、会社側も応募者側も実像以上にお互いをよく見せるような採用を一切辞めるためです。
一次は事業説明と簡単なワーク、二次は働く目的に焦点を当てて話してもらい、三次では社員のメンターをつけて「関屋リゾートに入社してやりたいこと」のプレゼン発表をします。
四次は役員面談、五次は誓いのセレモニーのような時間にして、本人に内緒で家族も招待することもあるそうです。
お互いが譲れないもの、大切にしていきたいことを分かち合い、一緒に大事にしていくことが、幸せな働き方を生みだすという考えです。
じっくりと時間をかけて採用するということは、入社の時点で「関屋リゾートで働きたい」という気持ちになっている人たちに自然と絞られてくるため、離職率も少なくなるというわけです。
人をコントロールしない育て方で経営に集中できた
2度の大量離職を経験後、自分のマネージメント力を高める必要があると気づいた林さんは、「選択理論(1965年、アメリカの精神科医ウィリアム・グラッサー博士が提唱)」の考え方を取り入れてきました。
人は色々な指示を出されても、実際は自らが選び、自発的に行動を選択しているという理論です。
そこから、林さんは「人をコントロールしない育て方」を強く意識するようになりました。
責任のある役職を与えるのではなく、条件を満たした社員が自らエントリーする制度を設けたり、新しいことにチャレンジをしたいのか、現状のまま頑張りたいのかなど、個人の判断を大切にしたりすることにしました。
「相手に自分の考えを押し付けるのではなく、まずは自分が変わることが大事」という信念のもと、どのように話しかければ、相手のやる気を引き出すことができるのか、楽しくなるのかに重点を置くようにしたのです。
まずは、社長である林さん自らが変わることに。
「2度の大量離職のおかげ。今は『人』のことで悩むことはありません」と最高の笑顔で言い切る、林さん。
どこにいっても人間関係のトラブルはつきものですが、火種が大きくなる前に、社員同士で解決をしてくれたり、自分がフォローできる環境が整っていると断言します。
だからこそ、経営に集中できるのです。
温泉×アート×交流でとがる。ガレリア御堂原
3年前の2020年、関屋リゾートは新たな「とがり」を仕掛けました。
体験価値を高める“サイトスペシフィックホテル”という温泉とアート、交流を融合した滞在型リゾート「ガレリア御堂原」です。特定の場所でその特性を生かして制作する「サイトスペシフィック・アート」から着想を得たコンセプトです。
別府の名前が世界に知られていない現在、普遍的に世界にアピールできるものを考えたときに、林さんの頭に浮かんだのが「アート」でした。ガレリア御堂原の館内に展示されているのは、全部で20作品。
アーティストたちは大分や別府にゆかりのあるメンバーばかり、まさに「ここだからこそ生まれるアート」です。
加えて、別府にもう一度来てもらうようにするには「あのお店で買いたい」「あの人に会いたい」と、別府という街との交流も欠かせないと思いました。
そこで、宿泊客に提供するサービスもできるだけ少なくして、滞在プランを自発的に考えてもらえるようにしています。
林さんは「ガレリア御堂原の売上が下がる可能性がある」と理解した上で、ホテルで食事をしないで街に繰り出して外食するのも、食材を購入して客室で調理してもらうのも、別府という街の地域活性化のためには必要だと考えているのです。
なぜなら、50年後も愛されるホテルであるために、別府全体で盛り上がることが必要だからです。
恩に着る 父である先代の誠実さが土台
廃業寸前の旅館を立て直すべく、家業に入った林さん。
新規事業を手掛けていく中で、幼い頃から旅館業に「誠実」に向き合ってきた先代である父の背中に、助けられてきました。
どんなに経営が苦しくても、一度も返済を遅らせたことはなく、自らの貯金を切り崩しながらも、関わる全ての人に誠実に向き合っていた父。
また、息子である林さんに、すんなりと家業を託した潔さも、かっこよかったとのこと。
その潔さは、自らが後継者を育てる時期になったころに、自分を後押ししてくれるだろうと感じています。
先代である父が築き上げた信頼があったからこそ、銀行や取引先とスムーズにやりとりもできたのです。
経営を退いたけれども、長年旅館を守り、支え続けてきた両親に「会社とつながる機会」も作ります。
週に一度水曜日に「おかみさん食堂」として、スタッフたちに1食250円というお得な価格で、母の味を提供する機会を作っているのです。
1人暮らしや寮生活をするスタッフたちは喜び、おいしそうに頬張る姿を見て両親も喜んでいます。
売り上げを20年で20倍にした経営者の林さんと、家族やスタッフを大切にする一人の人間としての林さん。
その両方が、穏やかな笑顔からにじみ出ています。
別府を世界へ そんな地域を全国に作りたい
「すべてのスタッフの面倒を喜んでみます。喜んで支えます。それが僕にとっての経営者だから」
林さんは、こう言い切ります。
2度の大量離職を経験した頃の林さんは「従業員=コスト」と考え、自分のことしか頭にありませんでした。
でも、今は違います。
新入社員に積極的に声掛けをして、現場の困りごとがすんなりと自分に上がってくるような環境を整え、相手を変えるのではなく、自分が変わっていく努力を惜しみません。
そんな林さんの心の中には、仲間であるスタッフと一緒に「別府を世界に」という夢も生まれています。
生まれ育った別府の魅力を伝えるフロントランナーとして、世界に発信していきたい。
もっと、別府を有名にしたい。
将来的には、地元の人が世界に誇れる町づくりのノウハウを、全国に広めていきたいとも考えています。
林さん率いる関屋リゾートは、他人にコントロールされることなく、社員40人一人ひとりの確固たる熱意と意思で、新たな夢を叶えるべく、大きな一歩を踏み出しています。
旅で世界と人を明るくするために。