目次

  1. 「菓子のまち」で始めた駄菓子問屋
  2. 熟練の技が求められる「組み飴」
  3. 音楽アーティストのグッズ企画を経て家業へ
  4. 「チャンスがあるなら渡す」営業で認知を拡大
  5. SNSが海外でヒット、セレブにも届く
  6. パッケージも含めてプロデュース
  7. 強みをいかしたウェブサイトに改修
  8. まいあめの売り上げが1.7倍に
  9. 職人の技術を維持したい
  10. 飴がコミュニケーションツールになる理由
  11. ミッションは「駄菓子文化と組み飴の技術」を伝えること

 名古屋を中心とした東海地方には「菓子まき」という文化があります。結婚式当日、花嫁の家の2階から駄菓子を投げたり、近所の人に駄菓子を詰め合わせた袋を配ったりするというもの。昭和の時代には、近所の結婚式が子どもたちの楽しみでした。

 なかでも名古屋市西区は、駄菓子の袋詰めを販売する問屋が立ち並ぶ地域で、名菓子メーカーも多く存在。名古屋城の築城で集まった職人におやつを提供するために店が集まったのがルーツとされ 、「菓子のまち」とも呼ばれます。

 この地で1963年、慎吾さんの祖父の中村弘さんが駄菓子問屋「中村弘商店」を創業しました。2代目で父の貴男さんが1993年に法人化し、「株式会社ナカムラ」に。現在も同社の売り上げの一番の柱は駄菓子の卸売り。主な取引先は、関東地方の大手スーパーマーケットです。

創業時の看板(ナカムラ提供)

 しかし近年、少子化の進行で、昔ながらの駄菓子屋は激減しています。さらに健康意識の高まりから、砂糖の消費量は1975年より減少。お菓子全体の売り上げも微減傾向となっています。「このトレンドは止められません」と慎吾さんも話します。

 そうした中、2007年に父の貴男さんがはじめたのが、顧客が希望する柄をオーダーメイドでいれられる組み飴「まいあめ」でした。組み飴とは、切っても切っても同じ絵柄が出てくる飴のこと。顧客からの注文を受けて、メーカーに製作を依頼。企業のロゴなどをいれることで、ノベルティーグッズとして活用してもらうことを想定しました。

 組み飴作りではまず、デザインを設計図に落とし込みます。次に職人が着色した飴のパーツを組み合わせて、直径50センチほどの筒状に。飴がやわらかいうちに、人の手で少しずつ引っ張り、直径約2センチの細さになるまで引き伸ばします。これをカットすると、どの面にも同じ柄が出る組み飴が完成します。「飴はすぐに固まってしまうため、40分ですべての工程を終えなくてはいけません。製作がはじまれば手を止めずに一気に組み上げます」と慎吾さんは話します。

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