目次

  1. 全国有数のうなぎ扱い量を誇る
  2. 大手証券会社から家業へ
  3. 震災と絶滅危惧種認定でピンチに
  4. 若手採用と休日の増加に注力
  5. 休日を増やして若返りを実現
  6. 若手と「未来プロジェクト」
  7. 若手が生んだ「うなぎスナック」
  8. 冷凍うなぎの輸出を計画
  9. うなぎ文化を支えて恩返しを

 鯉平は、初代の清水平八さんが始めた川魚の卸売りがルーツで、社名も創業時はコイの取り扱いが多かったことに由来します。1952年に法人化し、3代目の晃さんがうなぎに主力をシフトして仕入れルートを確立しました。

 現在の従業員数は145人(パートを含む)、売上高は39億円(22年12月)。年間750トンを扱ううなぎを筆頭に、コイやドジョウ、アユ、ナマズなども守備範囲です。

 うなぎの流通には、多くの会社がかかわります。漁師が東アジア沿岸で稚魚となるシラスウナギを捕り、「池主」と呼ばれる養殖問屋が成魚まで育てます。それを2次問屋(消費地問屋)が買い取り、うなぎ店やスーパーなどの小売店に卸す仕組みです。

鯉平直営の「氷川三神料理 かのうや」で提供する国産うなぎのうな重

 鯉平は関東に約20社ある2次問屋の一つで、うなぎ料理店や中華料理店も運営しています。清水さんは「うなぎ店が多い埼玉県は出荷量が多く、首都圏にも販路が広がっています。加工品も含めて年間750トン超の扱い量は、おそらく日本でトップクラスだと思います」と胸を張ります。

創業当時の鯉平。現在は同社の直営店「氷川三神料理 かのうや」になっています(同社提供)

 小さいころから生き物好きの清水さんにとって、川魚が泳ぐ鯉平は楽しい空間でした。しかし、高校生だった2000年代前半、3代目の拡大路線が頓挫し、4代目の父が再建に奔走。事業再編で開いたうなぎ直営店も1店舗目こそ良かったものの、不採算店舗が経営を圧迫します。しかし、父は自力で経営再建を果たしました。

 大学卒業後、清水さんは家業に入る前に大手証券会社に就職。「卒業してすぐ家業に就職するとなめられると思いました。トップクラスの企業の景色を見たいと思ったのも理由でした」

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