不祥事からの再建を果たした商社 組織を活性化した「三つのインフラ」
静岡市清水区のフジ物産は石油や冷凍水産食品の販売、太陽光・風力発電などを展開する商社です。3代目社長の山﨑伊佐子さん(65)は、ウナギ養殖で産地偽装を起こしたグループ会社の再建を任され、コストの切り詰めや社員教育などを断行しました。その経験を買われフジ物産の社長に就任。「三つのインフラ」を意識してコミュニケーションを活性化し、アイデアが生まれる環境を整えました。
静岡市清水区のフジ物産は石油や冷凍水産食品の販売、太陽光・風力発電などを展開する商社です。3代目社長の山﨑伊佐子さん(65)は、ウナギ養殖で産地偽装を起こしたグループ会社の再建を任され、コストの切り詰めや社員教育などを断行しました。その経験を買われフジ物産の社長に就任。「三つのインフラ」を意識してコミュニケーションを活性化し、アイデアが生まれる環境を整えました。
目次
フジ物産は創業65周年を迎えた2022年、地元紙に全15段の広告を打ちました。100人を超える全社員の笑顔が並び、全員が会社のシンボルマークの富士山を指で作っています。そしてこんなコピーを添えています。
「ひと言で言えない会社になりました。(中略)ここにいる社員一人ひとりが想像もしなかった未来を描いていきます。先人もビックリする程の発展を。清水から世界へ。フジ物産の成長は止まりません」
同社はSDGs(持続可能な開発目標)も意識しながら多様なビジネスで年商130億円を誇り、地元静岡のスポーツチームの支援にも積極的です。社員の生き生きとした表情を引き出す、山﨑さんの組織づくりを紹介します。
フジ物産は山﨑さんの父謹三さんが1957年に創業しました。山﨑さんは3人きょうだいの末娘。兄が2人いたこともあり他家に嫁ぎましたが37歳で離婚。97年にフジ物産に入社しました。
経理担当として父や兄を支えましたが、将来は独立しようと中小企業診断士の資格を取得します。その後も独学でコーチングを学び、独立に向けて着々と準備を重ねました。
しかし、そんな最中の2006年、当時のグループ会社(現在はフジ物産活鰻事業部として統合)でウナギの産地偽装という不祥事が発覚したのです。この会社は高知県でウナギの加工業を営んでいました。当時の社員数は50人で業界では大手でしたが、中国産のウナギを国産と偽ったシールを貼って流通させていたのです。
産地偽装を知った創業者の謹三さんは山﨑さんを呼び、こう言いました。
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「自分は責任をとって(グループ会社の)社長を辞める。代わりに伊佐子が会社の実態をつかみ、今後どうすべきか考えてほしい。場合によっては清算しても構わない」
山﨑さんは高知へ飛び、事件が起きた背景を調査しました。すると、業界環境の変化を軽く考えている組織体質がありました。
以前は中国産ウナギを国内で加工した場合は「国産」と表示できました。しかしJAS法改正により、02年からは国内でウナギを加工しても原産国が中国なら「中国産」と表示しなければならなくなりました。
「中国産」と表示するとウナギは半値でしか売れません。そこで幹部たちは、法律違反と知りながら中国産を「国産」と偽って売り続けたのです。
同社が高知では業界大手だったこともあり、産地偽装は大々的に報道されました。事件を知った社員の中には「会社に裏切られた」と辞める人が続出する一方、転職の当てがなく残留する人もいました。
山﨑さんは「残りたい人がいる以上、会社を残そう」と考えました。社員たちにはウナギの選別など加工のプロとしてのスキルがありました。そのスキルがあれば絶対にやり直せると決意し、会社に残った約半数の社員と再建に乗り出します。
まず着手したのはコストの徹底的な切り詰めです。人件費は半分になりましたが、取引停止となった顧客も多く黒字にはほど遠い状態でした。そこで、社員の知恵と力を借りることにしたのです。
実行したのは大掃除です。不正に利益を得ていたため、あらゆる経費について管理がずさんでした。例えばオリジナルシールや包材などを作っても、大半が残ったままでした。そこで不要なものは全て廃棄し、シンプルな管理に変えました。
食堂の壁にプロジェクターで過去3年の勘定科目を全て映し、水道光熱費など、何にいくら使ったのかを詳細に示したのです。それら一つひとつを切り詰められないか社員と検討していきました。
産地偽装が二度と発生しない仕組みづくりも構築します。「コンプライアンスに例外はない」をスローガンに掲げ、在庫管理にロット管理システムを導入しました。当時は国産、中国産、台湾産など様々なウナギを扱っており、それらが混同しないよう、国産とそれ以外を箱の色を変えて梱包したのです。
仕組みづくりと同時に顧客へのおわび行脚も行い、九州や山陰地方など、遠方のスーパーにも出向きました。
すると山﨑さんは、ある顧客から「なんで女が来るんだ」と言われました。中には「あなたには兄さんがいるだろう。女が来ることで、罪をごまかそうとしているのではないか?」という人もいたのです。
心無い発言は、命がけで再建に取り組む山﨑さんには屈辱でした。それでも、中には励ましてくれる顧客もいて、再建の道が見えました。
仕入れ先も見直しました。たとえ有名な会社でも「あそこは偽装をやっている」とのうわさがあれば、取引を断りました。お中元やお歳暮などの贈答品が、分不相応に派手な会社からの仕入れも断り、規模は小さくても正しいビジネスをしている顧客のみと付き合いました。
取引を断った中には逆恨みする仕入れ先もあり、「(山﨑さんの会社は)今でも産地偽装を続けている」という虚偽情報をファクスで業界関係者に送りつけたといいます。
部下たちは慌てましたが、山﨑さんはやましいことは何一つやっていないので、正々堂々としていられました。「清廉潔白であることの強さ」を学んだのです。
ある日、山﨑さんの元に耳を疑う情報が入りました。「社員がまた偽装をしようとしている」というのです。驚いた山﨑さんはすぐに高知に飛びました。飛行機の中で最初はその社員をどのように叱り飛ばそうかと、責めることばかり考えていました。
ところが考えているうちに、社員に向けていた矢印が突如自分に向きました。
「そんなことが起こるのは、自分が社長として未熟だからではないか」
山﨑さんは社員を責めず、逆に自分の未熟さを社員に謝りました。「もし清廉潔白な仕事をしても生き残れない業界ならば、こちらから見切りをつけよう」と断言しました。
このときから山﨑さんを見る社員の目が変わり、ベクトルがそろいました。そして再建から2年後、同社は黒字に転じます。「これからは、自分たちがフジ物産を牽引しよう」と心に誓いました。
このころ、フジ物産は長兄が父の後を継いで2代目社長に就任。山﨑さんは高知のグループ会社の社長と本社の社長室長を兼務していました。
ところが07年、長兄が病気で仕事を続けられなくなりました。山﨑さんは社長候補だった次兄から思いがけないことを言われます。
「自分は社長には向いていない。サポートするから次はお前が社長をやるべきだ」
山﨑さんは一晩考えた末、フジ物産の社長を引き受けることにしました。
社長に就任して最初に行ったのは、全社員と1対1で1人30分間の面談でした。社員が抱えている不満や不安、要望を知りたかったからです。
企業は個人の集合体で、一人ひとりの連携や協力といった一体感を高めてこそ力となります。「言いたいことが言えない」環境を取り除き、前向きな気持ちを引き出すのが個別面談でした。
社長が自分の目を見て話を真剣に聴いて共感し、不満や不安の種を一部でも摘み取って改善してくれる。習得したコーチングのスキルを生かした個人面談で社員のモチベーションは上がりました。
個人面談は社長対少人数の食事会に発展します。「役員にもの申す」と題して、役員が部下の話を聴く場を設け、上位層に「聴く習慣」を身につけさせました。
山﨑さんは幹部全員のベクトルをそろえるために、京セラ創業者の稲盛和夫さんの著書「働き方」と「生き方」の読書会も開催しました。
「動機が善であり、私心がなければ結果は問う必要はありません。必ず成功するのです」という稲盛さんの価値観は、常に「清廉潔白」であり続けたいと考える山﨑さんの価値観に通ずるものでした。
これを続ける中で、社員から「京セラフィロソフィを朝礼で唱和したい」という申し出がありました。
京セラフィロソフィは「人間として何が正しいのか」 「人間は何のために生きるのか」 という根本的な問いに向き合う中で生み出された仕事や人生の指針で、京セラを今日まで発展させた経営哲学です。
山﨑さんは経営者仲間から唱和を勧められていましたが、社員に強制すると「やらされ感」を生み出しそうで、言い出せずにいました。ところが、社員の方から申し出てくれたのです。
以来、朝礼で京セラフィロソフィを唱和して10年近く。内容は「利他の心を判断基準とする」、「フェアプレー精神を貫く」といった、人として当たり前のことですが、利他を意識すると他人や周囲への思いやりがでてきます。
社員の表情は徐々に明るくなってきたといいます。そして、全社員の価値観がそろってきたことで、冒頭のポスターのように笑顔あふれる組織に進化したのです。
マネジメントの「共通言語を持つこと」にも苦心しました。社長に就任した当時、幹部はマネジメントの基本であるPDCAも知りませんでした。
PDCAは、目標達成に向けて計画(Plan)を立てて実行(Do)し、定期的に振り返り(Check)、計画とずれていたら改善策を打つ(Action)というマネジメントサイクルです。山﨑さんが講師になってPDCAを回すことの大切さを幹部に伝えました。
そのための環境も整備しました。カギは「C」にあたる「進捗会議」をいかにうまくやるかです。進捗管理は一つ間違うと、経営陣が「なぜできないのか」「何だ、この成績は!」などと担当者を責める場になってしまいます。
そうならないよう、山﨑さんは会議を進行する社内ファシリテーターを養成しました。ファシリテーターたちは専門家にスキルを学び、会議を「できないことを責める場」ではなく、「できていることをたたえる場」や「失敗のリカバリーを考える場」に変えました。
例えば会議の開始と終了時には「姿勢を正して、にっこり笑って」というあいさつをします。これだけで場が和みます。そして、やり切った案件には参加者全員で大きな拍手を送ります。工夫を重ねた結果、会議が共創の場に変わったのです。
社内のコミュニケーションを潤滑にする社内ファシリテーターは現在8人。毎年1人ずつ養成しています。
フジ物産の大人数の会議では、4~5人のグループに分かれディスカッションして、全員が声を出しやすい環境にしています。新人もベテランも対等に意見を言い、良いものは採用。社員からは役員だけでは考えられない多くのアイデアが出ているといいます。
5年ほど前には新規事業や地域貢献をサポートする「次世代事業企画室」(通称「やらざぁ課」)を設置しました。
新規事業の定義は、フジ物産の強みとビジネスの手法で社会課題を解決することです。利他をベースに事業を考えることで社員のやりがいにもつながっています。
こうしたソーシャルビジネスが浸透。同社が取り組んだ、船上で処理・廃棄されているマグロの希少部位(尾・胃袋)を使った新商品の開発が、2021年度の静岡県主催のSDGsビジネスアワードで優秀賞に輝きました。
山﨑さんは「やったことが誰かに感謝されたり、社会にいい影響を与えたりすることを超える喜びはない」と語ります。産地偽装のような私利を追求する愚かさと、利他の心を持ち清廉潔白であること強さを知っているからこその確信です。
フジ物産の社員の笑顔は「自分の話を聴いてくれる環境」、「価値観をそろえること」、「共通言語の増加」から生まれたものです。この「三つのインフラ」を整えたからこそ、お客様や社内の仲間に喜ばれることを自分で考えて実践し、手応えを感じられるようになりました。
あなたの会社の社員は、ベテランも若手もにこやかに笑っているでしょうか。もしそうでなければ「三つのインフラ」を見直し、それを整えることから始めてみましょう。
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