父(創業者の山本一さん)は会社員で、母は私が生まれる前まで喫茶店を営んでいました。自宅は店舗だった1階を改装してリビングのようにしていましたが、貧乏な家庭だったと思います。
「ちゃんぽん亭」のルーツは、彦根駅前にあった「麺類をかべ」という小さな食堂です。父が出張の時にたまたま入ったら、ちゃんぽんの味にほれ込み、通っているうち、1987年に店の経営を譲り受けることになりました。
家族は愛知県一宮市に住んでいたのですが、父は彦根まで毎日通い、「をかべ」を経営していました。私も何度か連れられてちゃんぽんを食べました。とはいえ、父とビジネスの話はほとんどせず、売り上げがどうなっているのかも知りませんでした。
1年後に帰国し、仲間とIT教育事業のスタートアップを起業したのですが、社会人経験がほとんどない私は名刺交換の仕方も商談の方法も知らず、相手の動きをこっそりまねして覚えました。
そうやって恥をかいて七転八倒しながら経理や採用の仕方を身に付けました。小規模の企業でしたが、今思うと経営の勉強になっていましたね。
──そこから医療系のビジネスも経験しています。
ビジネススクールの学友がやっていた医療系コンサルタントの仕事を手伝うことになりました。軽い気持ちで入社したのに、いきなり「国のプロジェクトをやってもらうから」と言われ、翌日から国の遺伝子研究のプロジェクトに携わることになりました。
といっても研究は先生たちが行うので、私はプロジェクトや予算の管理といったバックオフィスの業務を任されました。経理や法律については、スタートアップでの経験が生かせたと思います。国からの予算の振り分けも、私がエクセルで作っていましたから。
京都への出店を機に家業へ
──家業を継ぐことを決めたいきさつを教えてください。
2003年末に帰省した時、母から、翌年(04年)に京都市中心部に初進出し、しかもショッピングセンター(SC)への初出店になると聞かされました。
ひとごとのように聞いていたのですが、母から「後継者が来るから一緒に頑張るぞ、と幹部に言っているの」と言われた時は、少しずつ外堀を埋められているなという気がしました。
父から誘われた会食の席で、幹部の方々は「京都に進出して盛り上げるんだ!」と盛り上がっているわけです。その席で、何となく「戻ってくるんだよな?」という空気になって(笑)。父のビジネスについて、これまでろくに話したことも無かったのにですよ。そして04年、家業に入社しました。
──家業に入ったときは、どのような仕事を手がけたのでしょうか。
何でも屋でした。当時は組織として小さく(店舗数13、従業員数約70人)、経理も採用も担当しましたし、商品開発やマーケティングも行って、ヘルプが必要になったら店舗に出てオペレーションもしました。
「こんなの、ちゃんぽんじゃない」
──京都の店の反響はいかがでしたか。
京都は今のイオン、当時はダイヤモンドシティという名前だったのですが、そのフードコートへの出店でした。
京都市中心部への出店もSCへの出店も初めてでしたが売り上げは好調で、フードコートの全店舗でトップ3に入るくらいでした。
でも、食べた人はこう言うんです。「こんなの、ちゃんぽんじゃない」と。
「ちゃんぽん亭」のちゃんぽんは豚骨スープの長崎ちゃんぽんとは大きく違い、和風の澄み切ったスープが特徴です。麺は中華鍋で炒めず手鍋でじっくり煮込んだもので、豚肉や野菜と共に食べます。
しかし、フードコートで注文されたお客様はほぼ100%、豚骨スープに海鮮の具材が載った「長崎ちゃんぽん」を想像していたので、頼んだものと全然違うと感じてしまったんですね。
そんな意見がSCのお客様窓口にたくさん寄せられ、SCからも「クレームがたくさん届いています」と言われました。
我々のちゃんぽんは、滋賀県以外では全く知られていなかったのです。これは問題だと、社内で会議を重ねました。
社内世論を乗り越えて名称変更
──本場長崎とは異なるちゃんぽんへの理解を、どのように得ていったのでしょうか。
当時は「和風ちゃんぽん」として販売していましたが、この名前をやめて「地名を冠するのはどうか?」という意見が出ました。
最初は「彦根ちゃんぽん」が候補に挙がりました。今でこそ「ひこにゃん」のおかげで知名度がありますが、当時は今ほどではなく「どこにあるか分からないのでは」という意見が出ました。また、「信長ちゃんぽん」という案も出ました。「ちゃんぽんで天下布武!」といった意味合いのようですが、何か違うぞと(笑)。
そして最終的に私の考えで「近江ちゃんぽん」という名前になりました。近江牛や近江商人で連想されるように、「近江」という単語は伝統も感じさせるものだと考えたからです。
しかし社内では、彦根市の局地的なちゃんぽんなのに、滋賀県全域を意味する「近江」を勝手に名乗っていいのか、という反対意見も根強くありました。
滋賀の県民性だと思うのですが、照れくささや奥ゆかしさから、強い自己主張を避けるところがあるかもしれません。でも、僕は逆に「今は『自称』近江ちゃんぽんでも、いずれは滋賀を代表する商品を作ろう」と思ったのです。
名称変更を決め、2005年からは「近江ちゃんぽん」を打ち出しました。店の看板の「和風ちゃんぽん」も、全て「近江ちゃんぽん」に作り替えました。社内世論を乗り越えてここに至るまで、半年かかりました。
ちゃんぽんの歴史を勉強し直す
──ここから「近江ちゃんぽん」の名前が世に広まっていくわけですね。
「近江ちゃんぽん」としてスタートしてからは、「長崎ちゃんぽんとどこが違うの?」とか、「何でこれがちゃんぽんなの?」と聞かれるようになりました。
正直、確固たる理由はありません。(ちゃんぽん亭のルーツである)「麺類をかべ」が作り始め、タンメンでも野菜ラーメンでもなく、「ちゃんぽん」と名付けたからなのです。
売っている商品を理論的に説明するために、我々は長崎の「四海楼」という店で明治時代に生まれた「ちゃんぽん」の歴史から勉強し直しました。そして、長崎ちゃんぽんの麺やスープ、具材と、我々の近江ちゃんぽんとの比較表を作ったところ、ことごとく異なったんです。
どんなに有名なB級グルメも、成り立ちや名前を説明できる人は少数派で、積み重なった歴史があるだけです。だから我々も、事実をしっかりと積み上げていこうという方針になりました。
あえて言えば、長崎ちゃんぽんは中華料理の文脈で生まれたものなので、油を使って炒めます。でも、「をかべ」はうどんやそばを提供する和食の店だったので、ちゃんぽんの具も中華のように炒めません。
──「ちゃんぽん亭」は京都を皮切りに、全国に広がりました。
私が入社する前からその方針でした。京都の店が好調だったので、大阪のSCからもお声がけを頂きました。京都のSCの従業員さんの間でも、「近江ちゃんぽんは(あっさりしているから)毎日食べられる」と評判だったそうです。その評判も後押しとなりました。
岐阜、兵庫、愛知のSCへの出店がとんとん拍子で進みました。しかし、「近江ちゃんぽん」と銘打っていても、新規出店の度に「こんなのちゃんぽんじゃない」と言われ続け、継続的に「近江ちゃんぽん」のブランディングを進めていく必要があると思いました。
他府県と同時に、滋賀県内での出店も進め、地元では「近江ちゃんぽん」として認知していただけるようになりました。まず滋賀で、次は近畿でナンバーワンになる。オセロの石を滋賀に置き、周りの石を裏返していくような戦略イメージです。
「ご当地らしさ」を出す難しさ
──他府県に出店する中で、「滋賀らしさ」は重要な要素でしたか。
これは本当に難しいところです。
B級グルメは、ご当地の1次産業で採れた食材から作られたものと、企画ありきで作られたものの二つに分かれます。近江ちゃんぽんの始まりは後者でした。
でも、ご当地の食材を使わなくても「らしさ」を感じさせる食べ物は、全国にいっぱいあります。
例えばたこ焼きだって、大阪で採れた小麦を使っているわけでも、大阪で作られたソースを使っているわけでもありません。それでも、大阪らしさを感じさせてくれます。
近江ちゃんぽんも滋賀の食材ありきではありません。「赤こんにゃく」(滋賀のご当地こんにゃく)や「丁字麩」(ちょうじふ、滋賀のご当地麩)、近江牛などと合わせればおいしくなるのかというと、そうではありません。むしろ、合わないでしょう。
これは私の考えですが、ご当地の有名な食材ありきで企画されたB級グルメは、成功しにくいと思います。
近江ちゃんぽんの麺は、滋賀県産の小麦を使っています。18年に県内のしょうゆ工場をグループ傘下にしたため、スープも県産のしょうゆを使っています。それは品質へのこだわりが目的なので、「滋賀らしさ」と言われれば……。
まずは食べて頂いて、思い出していただくことで、時間をかけて少しずつ「滋賀っぽいな」と感じて頂けるようになる。ご当地の「らしさ」って、そういうものだと思います。
社長として本店移転を決断
──2011年、運営会社ドリームフーズの社長に就任しました。
父が高齢になっていたこともあり、自然な流れで就きました。就任してすぐに進めたのが、本社と本店の移転です。従業員も増えて手狭になり、車で便利に行けるような場所に店舗が欲しいと思っていたためでした。
今の本社は名神高速道路の彦根ICから、彦根城に向かう道の途中にあります。元々はパチンコ店なので、かなり大きな建物でとても目立ちます。本店も旗艦店としてこちらに移しました。
オープンしたのは、2011年11月11日11時11分。父の名前が「一」(はじめ)だったので、親孝行になるかなと思って掛けてみました。
※後編は、「近江ちゃんぽん」の商標登録やさらなるブランディングと地域活性化の背景、全国規模の飲食チェーンを目指すための成長戦略などに迫ります。