中小企業は現経営者が自社株の大半を保有しているケースが多いため、事業承継には後継者への株式の移転が必要になります。事業承継をめぐる主な株式移転の方法は、①遺言による遺贈、②売買、③贈与の三つが挙げられます。
遺言は本人の死亡で効力が発生し、自社株が後継者に移ります。遺言での遺産の分け方によっては、他の相続人の遺留分を侵害するという問題が生じることもあります。相続時における株式の評価額が高ければ、高額な相続税が発生する可能性もあります。遺言で遺贈することを決めていても、死亡するまでの間は効力が発生しないので、経営者が脳梗塞などで寝たきりや後遺症で判断能力がなくなった際には、経営者は議決権を行使できません。株主としても会社経営者としても機能しなくなります。
後継者が現経営者から株式を買い取る方法があります。この場合、株式の対価が高額になることが多く、後継者はそれなりの資金が必要です。手元資金がない場合には融資を受けることになり、利息負担が生じてしまうことになります。後継者が力不足の場合であっても、一度売却した株式を返却してもらいたいと思っても、同様に費用が掛かり、実行するのは、困難になります。売買を実行するには、後継者の力量を見極めなければなりません。
贈与で後継者に株式を無償譲渡すると、確実に後継者にわたりますが、会社の評価額が高ければ、受け取る後継者に多額の贈与税が課税されてしまいます。一度に贈与してしまうと大きな税負担となるので、暦年贈与の非課税枠を利用する方法もありますが、長い期間を要する可能性があります。
自社株の売買と同じで、贈与後、後継者が経営者として不適格だと思っても、いったん渡した株式を返してもらうことは困難になります。現経営者の財産の比率の多くを自社株式が占めている場合は、後継者以外の相続人の遺留分を侵害する可能性もあります。
事業承継税制とは、事業を引き継ぐ後継者が現経営者から、相続や贈与によって非上場会社の株式を受け取り経営する場合、一定の条件を満たせば、その株式にかかる相続税・贈与税が猶予される制度です。
後継者が事業を継続し続ける限り納税は猶予され、さらにその後継者が、将来的に次の後継者に事業承継した際には、猶予されている贈与税または相続税が免除されます。
税制面では魅力的な制度ですが、現経営者から見れば、贈与した後、経営者として不適格だと思っても、いったん渡した株式を返してもらうことはできません。つまり、お試しはできない制度だということです。それでは、後継者の側も積極的にこの制度を使って、自分たちに事業承継をしてほしいとは言い出しにくい状況です。
そもそも、私がかかわった中小零細企業の経営者の方々の中には、事業承継税制を「知らない」という経営者もまだまだいらっしゃる状況です。知っていても、申請しない経営者の方の方が多いです。
自社株を信託財産にする承継の仕組み
家族信託を利用して事業承継した場合、「後継者の手腕を試せる」ところが上記の方法と大きく異なる点です。自社株を信託財産にした事業承継であれば、後継者も現経営者に提案しやすくなると思います。
では、実際には、どのような仕組みになるのでしょうか。下図などをもとに説明します。
【役割分担と信託の構成】
・委託者(父・経営者)
・受託者(子・後継者)
・受益者(父・経営者)
・指図権者(父・経営者)
・信託財産(自社株)
・信託契約の方式(信託契約に基づく自益信託)
・信託期間(委託者である父親が亡くなるまで)
・残余財産の帰属権利者(子・後継者)
自社株を信託財産にすると、その所有権は受託者である後継者に移転します。それによって、後継者は「議決権」を得るので、会社の経営権を持つことができるようになります。信託による所有権の移転なので、贈与税はかかりません。
信託財産である自社株には、経営権を持つ「議決権」と配当を受け取る「財産権」という二つの権利があります。これを分けて、議決権(経営権)は後継者が、配当権(財産権)は現経営者が持つ、という仕組みを作ります。
もし委託者である現経営者が、後継者が経営に向いていないと判断したら、委託者の一存でいつでも家族信託を終了させて、現経営者に自社株を戻すことができるのです。「手腕を試せる」のは、こういう仕組みだから可能なのです。
とはいえ、経営者の多くが議決権を手放すことに躊躇し、経営を任せられるかどうかが不安だと思います。その場合、契約書で「指図権」という権利を設定しておくことで、現経営者が経営にかかわることができます。
ここでいう指図権とは、信託財産の管理や処分について、受託者に指図できる権利です。
議決権は、受託者である後継者が行使して経営しますが、現経営者が後継者の経営の方向性が違っていると思えば、その方針に指図できるというわけです。つまり実質的に、現経営者が経営に参加し続ける状況を作ることになります。
通常の信託契約では、受託者の判断で信託財産の管理をしていくことができるのですが、指図権を設定することで、指図権者が、信託財産とする自社株の管理や議決権行使などについて具体的に指図できるようになります。受託者(後継者)は、指図権者の指図に従って、信託財産の管理をすることになります。
とはいえ、毎度毎度、指図されていたのでは前に進みませんので、契約書では、例えば、「株主総会の◎日前までに指図権の行使がなければ、受託者は単独で意思決定ができる」旨の条項を入れておくことも考えられます。
この条項を入れることによって、万が一、経営者が判断不能な状況になった時でも、後継者は単独で議決権行使をして経営ができるようになります。
後継者にとっては、せっかく議決権を得たにもかかわらず、指図権の行使によっていつまでも経営に口を出されるのは、抵抗があるかもしれません。
それでも、家族信託を活用することで、多額の費用や税金を払うことなく、後継者の手腕を試すことができます。後継者が、そうした仕組みをアピールするうえで、現経営者に「指図権」の付与を伝えることは、事業承継への一歩を踏み出してもらうための重要なポイントになるでしょう。
信託に必要な二つの手続き
このスキームを実行するには、以下の2点の手続きが必要になります。
一つは、株主名簿への記載です。
株式を信託財産とする家族信託契約を締結する場合には、会社法154条の2の2項の規定に基づき、株式が信託財産に属する旨を株主名簿に記載することが必要となります。
<会社法>
第百五十四条の二 株式については、当該株式が信託財産に属する旨を株主名簿に記載し、又は記録しなければ、当該株式が信託財産に属することを株式会社その他の第三者に対抗することができない。
2 第百二十一条第一号の株主は、その有する株式が信託財産に属するときは、株式会社に対し、その旨を株主名簿に記載し、又は記録することを請求することができる。
法令検索:会社法
もう一つは、信託財産にする株式が「譲渡制限株式」(他者への譲渡に取締役会や株主総会の許可が必要な株式)の場合、取締役会または株主総会の承認を得る必要があります。
取締役会が設置されている会社の場合には、取締役の過半数が出席し、さらに出席取締役の過半数の賛成が必要となります(会社法369条)。
取締役会のない会社は、議決権の過半数を持つ株主の出席と、出席株主の議決権の過半数の賛成が必要になります。
会社法 (譲渡等の承認の決定等)
第百三十九条 株式会社が第百三十六条又は第百三十七条第一項の承認をするか否かの決定をするには、株主総会(取締役会設置会社にあっては、取締役会)の決議によらなければならない。ただし、定款に別段の定めがある場合は、この限りでない。
2 株式会社は、前項の決定をしたときは、譲渡等承認請求をした者(以下この款において「譲渡等承認請求者」という。)に対し、当該決定の内容を通知しなければならない。
法令検索:会社法
会社法 (取締役会の決議)
第三百六十九条 取締役会の決議は、議決に加わることができる取締役の過半数(これを上回る割合を定款で定めた場合にあっては、その割合以上)が出席し、その過半数(これを上回る割合を定款で定めた場合にあっては、その割合以上)をもって行う。
2 前項の決議について特別の利害関係を有する取締役は、議決に加わることができない。
3 取締役会の議事については、法務省令で定めるところにより、議事録を作成し、議事録が書面をもって作成されているときは、出席した取締役及び監査役は、これに署名し、又は記名押印しなければならない。
4 前項の議事録が電磁的記録をもって作成されている場合における当該電磁的記録に記録された事項については、法務省令で定める署名又は記名押印に代わる措置をとらなければならない。
5 取締役会の決議に参加した取締役であって第三項の議事録に異議をとどめないものは、その決議に賛成したものと推定する。
法令検索:会社法
ただし、会社の定款によっては承認する人を定めている場合があります。その場合は、取締役会や株主総会の承認は必要なく、定款に指定された承認者の承認のみで済ませることができます。(会社法369条)
承継で家族信託を利用するメリット
今まで、家族信託で事業承継をする場合のメリットをお伝えしてきましたが、改めてまとめてみます。
贈与税がかからない
家族信託で、現経営者が委託者兼受益者である場合、自益信託となります。会社の株式は後継者に移るものの、株式から得る利益については現経営者が取得することになるので、後継者への生前贈与にはあたりません。従って贈与税はかかりません。
現経営者が引き続き経営に関われる
受託者を後継者として設定している家族信託では、後継者が自社株の所有権を持って経営権を握ります。
現経営者から見て、後継者の経営手腕に不安を感じるのであれば、信託契約の中で、現経営者に「指図権」を付与することで、後継者の経営手腕を見守りつつ、いざという時は指図権を行使して経営の軌道修正をすることも可能になります。
現経営者が、後継者に対して議決権の行使についての指図ができるようになるため、経営にかかわり続けることができるのです。
現経営者はいつでも自社株を戻せる
後継者に、会社の経営を任せてみたものの、経営者としてふさわしくないと判断したら、現経営者の判断だけで家族信託契約を終了させることができます。それによって、後継者が受託者として所有していた株式の経営権は、現経営者に戻ります。家族信託をスタートしてから終了まで、贈与税はかかりません。
ただし、このようなケースがあり得るとする場合は、信託の契約書の中に「委託者(現経営者)の判断のみで信託契約を解除できる」という旨を記載しておく必要があります。
判断能力がなくなっても運営を続けられる
経営者が脳梗塞などで倒れるなどして判断能力が低下しても、代表取締役であり、議決権を行使できる大株主の立場は変わりません。しかし、議決権の行使といった法律行為ができなくなりますので、会社の意思決定機能まで失われてしまいます。
株主総会が開けなくなるので、現代表取締役を解任しようと思っても、議決権がなければ変えられません。会社の運営は立ち行かなくなります。
しかし、家族信託で自社株を信託財産に設定している場合、自社株は後継者の所有なので、株主総会を開いて議決権を行使し、会社の経営をそのまま続けることができるようになります。
家族信託と事業承継税制は併用できない
家族信託で事業承継を始めてみることは、現経営者と後継者の双方に大きなメリットをもたらす一方、注意すべき点やデメリットもあります。その点も考慮して、検討すべきでしょう。
事業承継税制は贈与税・相続税を納税猶予、または免除できる制度になります。家族信託を利用して信託受益権を後継者に承継させた場合には、適用を受けることができません。
事業承継税制の最大の魅力は、節税にある一方、家族信託では節税ができません。とはいえ、家族信託で事業承継をすると相続時に高額納税が必要だとも言い切ることはできません。
事業承継税制なしでも、会社の状況と具体的な対策によっては、課税額を低く抑える可能性も考えられます。事業承継税制を使うかどうかは、個別の事情を鑑みて、総合的な判断が必要になります。
事業承継税制を使うということは、相続や贈与する後継者が決まっている場合になります。
現経営者が後継者を決めかねて、事業承継がなかなか進まないという状況なら、家族信託で試して後継者の力量を判断すればよいと思います。見極めがついたら、家族信託を終了し、事業承継税制を使っての事業承継に移ってもよいのではないでしょうか。
まとめ
2回にわたって、家族信託で自社株を信託財産とする事業承継の方法について解説してきました。家族信託で事業承継を行うスキームは、他にもありますが、事業承継を進めたいと願う後継者にとっては、自社株を信託財産にしたこの方法が、現経営者にとってもメリットを感じてもらいやすいでしょう。
後継候補者はこのスキームをしっかり専門家から学び、現経営者に「お金をかけずに、後継者の腕試しができる」、「経営権を持って学ばせてほしいこと」、「大事な時には指図して経営者がアドバイスもできる」といった家族信託のメリットを伝え、自分に成長の機会を与えてもらうようにアピールしていってほしいと思います。
とはいえ、多くの中小零細企業の現経営者の事業承継への意思は、かなり希薄だと感じます。後継者を決めかねていて、事業承継税制を利用できない場合もありますし、決めていても「まだまだ、そのタイミングではない」とおっしゃる経営者も多いです。
事業承継の必要性は理解できても、踏み出しきれない経営者の「会社の経営に執着する」その気持ちが、会社を継ごうとする後継候補者の気持ちをなえさせてしまわないかと思うような機会が多くあります。
実際、私のところに相談にいらっしゃる方は、後継候補者にあたる方がほとんどです。後継候補者に依頼されて、事業承継の選択肢や家族信託のスキームについての話を経営者としたことは何回もあります。
「話を聞こう」という経営者の方はまだよい方で、「事業承継はまだ早い」と話を聞かずに断られたケースもたくさんあります。
結果として、認知症対策としての家族信託は理解してもらって、実行に移している経営者は何人もいらっしゃいますが、肝心の自社株を信託財産とする事業承継については、なかなか進みません。顧問税理士と相談するといって、そのままになっているケースもあります。
「会社に迷惑をかけたくないと思うから、家族信託で認知症対策をする」といってくださった経営者の方がいらっしゃいます。その方の後継候補者も私も、「家族信託の良さを分かってもらえているのだから、そのうちに事業承継にも役に立つことがわかってもらえる」と、あきらめずに少しずつ事業承継の話をしているところです。
実行する場合、必ず経験のある専門家からレクチャーを受けたうえで、ぜひ挑戦してみてください。
※注:この自社株を信託財産にした家族信託は、信託銀行などが行っている「事業承継信託」とは全く異なるスキームです。