美濃和紙は1300年前から続く伝統産業で、灯りや障子などに使われてきました。紙をすく際、通常の「縦揺り」だけでなく「横揺り」を加えているため、薄くて丈夫という特徴があります。
古川紙工は1835年、古川幸助氏が古川商店として創業し、1940年に現社名になります。70年ごろから書道用和紙、半紙などの製造販売を始め、他社の下請けが主力でした。
現社長の古川さんが入社したのは2003年でした。大阪出身で前職は機械工具の商社の営業。美濃和紙とは縁もゆかりもありません。妻から突然「実家の古川紙工を継いでほしい」と言われたのが転機となりました。「いつか独立して事業がしたかったので、ラッキー!と思いましたね」
仕事を覚えるなかで、古川さんは会社の体制に課題を感じます。「身内と10人ほどの従業員で構成された田舎の中小企業で、存続するかどうかも危うい状態でした。教育、設備、社員の待遇など改善の余地がありました」
07年に社長に就任し、改革に着手します。
それまでの主力事業は、OEM(相手先ブランドによる製造)が8~9割を占め、取引先も書道専門店が中心。自社ブランド開発の必要性を感じました。
「商社時代、他社のものを売るため主導権がなかった一方、メーカーには主導権があると感じていました。自社ブランドは自分で価格が決められるうえ、書道などは縮小する分野なので、取引先を開拓しようとしました」
高級な印象が強い美濃和紙をカジュアルにするため、古川さんは一般消費者も使いやすい手紙や和雑貨を展開することにしました。
先代の義父からは反対されませんでした。「先代も婿養子だったので気持ちをわかってくれ、自由にさせてくれました。ただ、焦って無理をしてつぶすことのないようにと念を押されました」
古川さんは「家族が路頭に迷わないようにする」と約束し、自社ブランドの確立を進めます。
「和み文具」がロングセラーに
社長就任前からオリジナル商品を開発し始めたものの、すぐにヒットが出たわけではありません。「当初は失敗ばかり。例えば結婚式の席次表などを和紙で作り、大損しました」
それでも商品を作り続け、罫線をタコの足や風景などの図柄にした「遊び箋」という商品がヒット。そして就任時の07年、ロングセラーの「そえぶみ箋」が生まれたのです。
「そえぶみ箋」は、動物、スイーツ、武将、ご当地キャラなどワンポイントのイラストなどを付けて、手紙やメモなどに使えるコンパクトな美濃和紙です。このころ、安い紙が大量に会社に納入されたのをきっかけに、利用法を考えた妻が発案し、販売するとすぐに売れました。
当初、ペンがにじんで書きにくいという声もありましたが「万年筆などでも書けるよう、美濃和紙の特徴を生かしながら原料の配合を変え、開発から1年かけて今のそえぶみ箋が完成しました」。
当初は4種類だったそえぶみ箋も、春夏秋冬ごとに売れるよう開発を進めました。「展示会などに出るうち、美濃和紙を使った面白そうな会社だと、文具店さんに思っていただきました」
今では年間35万個が売れるヒット商品になりましたが、当初は売れた理由が分からなかったといいます。
社員みんなで理由を分析すると、売れる商品には「懐かしさ」、「ゆるい可愛さ」、「手紙の書き手が書いたような身近なイラスト」といった共通軸があることがわかり、「ほっこりかわいい和み文具」というコンセプトが確立しました。
そのコンセプトに従って商品を作ることで、動物や季節ものなど多様なイラストでありながら、「そえぶみ箋らしさ」が一貫して伝わるようになったのです。
そえぶみ箋はJRや不二家の「ペコちゃん」など有名企業とのコラボも進み、人気をさらに押し上げました。
古川紙工は下請けからオリジナルの紙雑貨メーカーへと生まれ変わり、そえぶみ箋は約500種類に広がりました。現在の価格帯は280円~350円(税抜き)です。「製造するものに名前がつくと、社員のプライドになり、次第にモチベーションが変わりました」
消費者とのつながりを商品開発に
そえぶみ箋などの販路は大手文具店などが中心ですが、一方で、オンラインショップやSNS発信で消費者と直接つながることも重視しています。
「一般消費者(toC)の支持を直接集めることで、(取引先の)店の売り場にもたくさん並ぶことになります。toC向けのアプローチは労力がかかり、すぐ大きな売り上げにつながるわけではありません。しかし、声やニーズが直接届き、商品開発に反映させられます。それが文具店などへの売りになるのです」
消費者のニーズを直接つかむことで、他の商品開発もスピーディーになったといいます。
例えば、元号が令和に変わるころ、懐かしの駄菓子などのモチーフを描いた「レトロ日記」シリーズというミニレターやメモを送り出し、人気を集めました。これも、元号の変化に伴って懐かしさを求める人が増えるというニーズを把握したことが、ヒットの要因となりました。
コロナ下のインスタライブでヒット
そえぶみ箋や他の新商品が引っ張り、社長就任後10年間で年商は4億5千万円を記録し、就任前の3倍に押し上げました。さらに勢いづくきっかけになったのが、コロナ禍で生まれた需要でした。
同社はインスタグラムで、消費者との距離を縮めていました。運用はほぼ社員に任せ、写真の撮り方や商品の並べ方、投稿文などに若い感性が光ります。
「コロナ禍で飲みにいくことができない金曜日の夜を、インスタライブの日にすると、フォロワーさんが2万~3万人に増えました。また、コロナ禍で少しでも人と触れ合うために手紙でやりとりをしようというニーズが増え、商品が大きく売れました」
今ではインスタで4万フォロワーを抱えています。こうしたコロナ下のニーズをつかんだSNS活用が奏功するなどして、過去最高益を記録。年商が15億円に跳ね上がったのです。
積極採用と時短勤務の充実
古川紙工の成長を支えたのは、人材採用と育成です。現在の従業員数は約70人で8割が女性。20〜30代の活躍も目立ちます。採用は全国規模で行い、全額負担のインターンシップも実施。23年は6人、24年は10人を新規採用しました。社員教育ではセミナーへの参加や幹部登用研修などを行っています。
採用、教育ともに年間予算を1千万円ずつかけているそうです。
「若い人材を活用する方が成長の伸び代があります。7年前に新卒だった人も、今は課長として大きな戦力です。目先の利益を考えると、女性雇用はリスクが高いと考える会社も多いかもしれません。しかし、産休や育休で空白ができても、1~3年で戻っています」
その支えになるのが、誰かが休んでも困らないよう、十分な人員を確保し、一人に仕事を偏らせない工夫です。リモート勤務はもちろん、半休だけでなく、子どもの送迎や通院などを想定した0.25休、0.125休などの短時間休暇も充実させています。管理職の6割が女性といいます。
「若い人や女性が頑張れる会社は透明度が高く、風通しが良い。逆に言えば、それがないと勤めてくれません」
古川紙工のオフィスをのぞくと、文化祭の計画をするように意見を交わしあったかと思えば、それぞれのデスクに向かい集中して仕事を進める光景がありました。
働きやすさの裏にわかりやすさ
古川さんが組織マネジメントで重視するのが、可視化とわかりやすさです。社内ではルールブックを作り、基本的なルールを共有しています。
ルールは「会議には5分前に来る」、「掃除をすること」、「月1回整理整頓をする」といったものです。ルールも柔軟に変え、気持ちよく働ける環境を整えようとしています。「進化と継承」という経営理念や、経営計画書も社員一人ひとりに共有し、経営の目的地を明確化しています。
新商品開発も、「かわいい」「はやっている」といった感覚の根拠となるものを市場調査や顧客アンケートなどをもとに数値化し、プレゼンで提案することから始まります。
「最終的には数字ではなく、社員の『売ります』という覚悟を見ており、言い切ることができるなら商品化を進めます」
最近では、お菓子の上に動物が乗ったイラストを付けた文具「お菓子などうぶつ工房シリーズ」が売れました。これも社員からの提案です。
「これがかわいいか、売れるかは僕の感性ではわかりません(笑)。だから商品化はすべて社員に任せています。決裁するのはこちらなので、失敗して売れなくてもいいんです。ただ、説得するために数値化をする過程が大切。社内の人を説得し、失敗の経験も生かしながら、責任ある仕事に挑戦して成長してもらいたいです」
ホールディングス化で広げる可能性
古川紙工は14年に新社屋を完成させて、東京支店も開き、ホールディングス(HD)化も進めています。18年にはコスメティック会社EPIS(大阪市)のM&Aを行い、コスメブランドを展開しています。
「美濃和紙を守り続けるのはもちろんですが、一つの産業だけでは社員も景気の浮沈に左右されます。新時代にふさわしい会社を作り、つぶれないようにするのが大切です」
HD化で資本を分散し、事業を優秀な社員らに任せる狙いです。「同じ商品だけでは行き詰まります。社員一人ひとりがやりたいことを実現してほしい」
古川紙工の事業継承も資本上は完了しています。「18歳の息子が99%の株を持っています。私はもう2番手です」
美濃和紙文化をつなぐために
23年9月には東京の大型展示会に出展するなど、販路拡大も進める一方、伝統産業の継承も大切に考えています。
現在、美濃和紙を販売している直営店「紙遊」を改築し、美濃和紙の手すき工房を作り「格式ある美濃和紙」の発信の場にしていこうと計画。手すき体験や、伝統的な美濃和紙の商品化も進めます。
日本は優れた伝統工芸品がありながらも、ビジネスとしての持続に苦労するケースが少なくありません。伝統工芸と事業性を両立させるポイントは何でしょうか。
「情熱を燃やし、伝統へのこだわりが受けることもありますが、それがマーケットと一致しなければ続きません。お客様の声、そして従業員の声をよく聞き、かなえていくことかなと思います」
「人は資本」ととらえる古川紙工。江戸時代から続く会社でありながらも変えるべきを変え、その価値を次世代につなごうとしています。