磯沼ミルクファームは1952年、磯沼さんの祖父が創業し、2代目の父・正徳さんがオープンファームへと事業を拡大。2ヘクタールの牧場で、6種類の牛約90頭と羊数頭を飼育しています。
アニマルウェルフェアを重視し、牛が自由に歩き、食べ、寝ることができるフリーバーンの牛舎を導入しています。えさには、おからやビールかす、くず野菜などを混ぜたエコフィードも取り入れ、廃棄コストやエネルギーロスの削減にも努めます。
6種類の牛の特性を生かし、牛の名前をふたに記したヨーグルトは、推しの牛ができるほどの人気商品。中でも「ジャージープレミアムヨーグルト」は、その時期に最も甘みがありクリーム分の濃い生乳を出すエリート牛が選ばれます。1頭1頭大切に育てるからこそ、時季や個性によるミルクの味わいの違いを出せるそうです。
子どものころの磯沼さんは、家業に対し複雑な思いでした。「家だけど仕事場という感覚で一線を引いていました。小学生の時、自分の家に社会科見学に行くこともあり、変な感じもしました」
旅行の予定が立てられず、牛の出産が始まって出かける予定が中止になったことも。「父は朝からずっと仕事をしていて、楽ではないと感じていました」
姉は継がないことを明言。父から継いでほしいとは一度も言われませんでしたが、磯沼さんは「姉妹どちらかが土地や牧場を守らないといけないとは思っていたんです。自分は外で働いて家業を継ぐお婿さんを探そうと、大学は農学部に進学しました」と言います。
就職を延期して泣く泣く家業へ
2013年、磯沼ミルクファームがJR八王子駅の駅ビルの商業施設に直販店を出すことになり、20歳だった磯沼さんはアルバイト店員として働きます。
「うちのヨーグルトは千円以上しますが、お客様がどんな表情で買っていくのか初めて目にして、必要とされているのを体感できました」
一方で、「当時店長は別にいて、父は牧場の仕事をメインに担っていたため、現場管理が行き届いていませんでした」と言います。収支も赤字だったそうです。
磯沼さんはアルバイトで権限もなく、フラストレーションをためます。家業を未来につなぐには経営的視点が必要で「その仕組みを整えるのが自分の役割では」と考え、経営コンサルティング会社への就職を決めました。
ところが、大学卒業直前の春休み、店長が店に来られなくなるアクシデントが発生。赤字のため代わりの人材も雇えず、急きょ磯沼さんが店長を引き継ぎます。内定先に「1年で店を閉めてくる」と伝えていったん入社をあきらめ、15年に泣く泣く家業に入りました。
直営店の売り上げが急伸
磯沼さんは、どのタイミングで商品を棚に戻したか、どんなラッピングに足を止めたかなど来店客の観察から始めました。「自宅用か、贈り物か」と聞くこともスタッフに徹底したといいます。
「ヨーグルトを買うお客さんは、日常使いではなく、お見舞いなど特別な時に買う方が多いことが分かり、贈り物の需要があるのではと考えました」
店のレイアウトを変更し、贈り物セットの見本を広げました。パッケージの絵をイラストレーターに頼み、ラッピング用の包装紙もオリジナルにして贈り物向けのデザインに変えました。すると、お中元の時期の売り上げが2倍に伸び、特に配送件数がぐんと増えたといいます。
「売り上げが伸びたことで閉められなくなりました」。磯沼さんは、経営コンサルティング会社の内定を辞退し、家業に残ることになります。
店長業務と並行し、牧場での搾乳作業やヨーグルト製造なども経験すると、家業全体の課題も浮かびました。「長期間勤務してくれているベテランスタッフが多いというメリットの半面、見直しがされていない慣習やそれを改善するための仕組みがない状況でした」
父に訴えて新店舗の運営を担う
18年、磯沼さんは理学療法士だった夫の周平さん(32)と結婚しました。周平さんも20年から家業に入り、磯沼さんが製造と販売、周平さんが酪農と役割分担しました。「夫が入ったことで、酪農部門の改善案も相談しやすくなりました」
周平さんは 酪農で重要な繁殖や飼料設計について、専門家と成績向上に取り組んでいます。
その少し前の19年、父が牧場の敷地のうち借りていた部分を購入し、新店舗建設を決めました。しかし、その投資額は年商でも追いつかない規模で、磯沼さんをはじめ家族は猛反対でした。
「返済をメインで担うのは私たちで、人生をかける大ばくち。責任をとる人が決定権を持つべきだと思っていましたが、意思決定権は代表の父にあります。事業承継の難しさを感じました」
このころ、八王子駅ビルの店の売り上げは横ばいで、その矢先に新型コロナウイルスが流行。磯沼さんの出産も重なり、店舗を休業せざるを得ませんでした。一方、最寄りの京王線山田駅から徒歩圏内で、車のアクセスも良好な牧場は、コロナ禍で遠出できない首都圏の家族連れでにぎわいました。
「お客さんに『ソフトクリームは?』と聞かれることが多くなりましたが、牧場ではヨーグルトしか販売していませんでした。牧場に店を出したいという想いはありましたが、コロナ禍でますます必要性を感じました」
磯沼さんは父に「お金を返すのは自分たちなんだから」と訴え、牧場の店舗建設や運営をおおむね担うことになります。
ただ、ゼロから店を作った経験がありません。牧場の取引先で、八王子市内を中心に「BASEL」の名前で洋菓子店やレストランを展開するバーゼル洋菓子店2代目の渡辺純さんに相談しました。
渡辺さんのアイデアで、BASELがレストラン、磯沼ミルクファームが物販と建物外の広場を運営。BASELからのテナント料で安定収入を確保しました。開店のノウハウや予算感も渡辺さんに教えてもらい、近くの農園・中西ファームの協力も得て準備を進めました。
クラファンで目標額を大幅超
しかし、市の開発許可をとる過程で緑化と雨水処理を行う必要があることが判明。植栽や設備投資のため、500万円を超える追加費用がかかる見通しとなりました。そこで、周平さんがクラウドファンディングを提案し、21年12月から募集を始めました。
乳製品や中西ファームの野菜などを返礼品にすると、目標の300万円は数日で達成。直接牧場にお金を持ってくる人もいて、2カ月で約650万円が集まりました。「特に父を慕う方たちが支援してくれました。クラファンをきっかけにうちを知った方も多いように思います」
磯沼さんは商品の企画・開発も進めました。「この店のターゲット層は、生活が豊かになるための投資に積極的な方々です。ヨーグルトなどに加え、商業施設の店舗よりもカジュアルで、贈り物にも日常使いにもなる商品を企画しました」
例えば、生乳を使ったクッキーやサブレは巾着や缶などを用意し、牧場の雰囲気に合うよう、型にもこだわりました。牛肉を使ったミートソースとパスタのセットは外部の業者と作り、試食を重ねて最適な味を選びました。
平日の昼でも店に行列
八王子駅ビルの店舗は22年5月に閉め、同年10月に牧場内の新店舗「TOKYO FARM VILLAGE」がオープンしました。
木のぬくもりを感じる店内でヨーグルトやソフトクリーム、スコーンなどを販売し、クッキーなどのほか、中西ファームの野菜も店頭に並びます。BASELのレストランでも、磯沼ミルクファームの牛肉や中西ファームの野菜を使った料理を提供しています。
芝生の広場にはアウトドアチェアを置き、牧場を眺めながら軽食を楽しんだり休憩したりできます。広場中央にはキャンプファイアができるファイアピットも置かれ、磯沼ミルクファームがマルシェや朝ヨガなどを定期的に企画しています。
オープン後は平日昼でも行列ができ、広場に軽食を食べる人があふれています。乗用車が35台とめられる駐車場も完備し、大型バスで訪れる観光客も増えたほか、牧場見学に来る学校も八王子市内全域まで広がりました。
店舗のみの年商は、商業施設の店の2倍以上に伸び、営業損益もコロナ以降で黒字に転換しました。
販売部門を法人化して未来へ
オープンから1年経ち、やっと顧客のニーズがつかめてきたといいます。「牧場のエキスが1ミリでも入ったものを置かないといけないと思っていましたが、最近少し考えが変わりました」
例えば、野菜の閑散期の冬に棚を埋めようと、自社や地元農家が作ったドライフラワーや、店の雰囲気に合う輸入雑貨を置いたところ、彩りが良くなり、商品の売れ行きも好調でした。「うちのものにこだわりすぎず、お客さんが価値を感じるものを見つけることに、力を注がなければと気付かされました」
利益が見込めるようになったことで、事業承継への歩みも進んでいます。23年10月、販売部門を「株式会社Dairy&Farmy」として法人化し、磯沼さんが代表取締役に就任しました。法人化で店の設備投資がしやすくなったほか、同社の従業員9人も社会保険に加入し、労務改善も期待できるといいます。
ただ、牧場の事業承継には課題も残ります。「ゆくゆくは製造部門も法人に移し、段階的に承継したいと考えていますが、酪農は父の代まで個人事業です。父は牧場の顔ですし、どうやって承継するか、難しさも感じています」
この先、人口減少社会となっても「動物に触れていやしを求める人は、むしろ増えていく」と磯沼さんは見ています。
「日常の中に牧場があるという豊かさを分かち合い、体現する場所であり続けたいです」
家業に経営的視点を取り入れた3代目。これからも試行錯誤しながら牧場を未来へとつなぎます。