目次

  1. 「店頭から食べ物が消えた」震災を機に地方移住
  2. 「もったいない」椎茸の軸をパウダー化
  3. 「継いでくれませんか」理事長からの打診
  4. 「従業員に給料を払えない」承継後に気づいた課題
  5. コロナ禍でも「攻めの姿勢」 外販とOEMを開始
  6. 「平日に市外から人を呼ぶのは難しくても」
  7. 第三者承継の鍵は条件のとりまとめ
星の駅たかざきの外観
星の駅たかざきの外観

 「星の駅たかざき」は、都城市に編入された旧高崎町(たかざきちょう)が1994年に創業した町の直売所です。当時は「高崎町農産加工センター」という名称でした。2006年の市町村合併以降は、高崎町農産加工センター事業協同組合が指定運営管理者となってセンターを経営してきました。

 しかし、組合員の高齢化によって存続が危ぶまれたことから、センターは第三者事業承継を決断。承継したのは、2020年8月まで、都城市地域おこし協力隊員を務めていた大内康勢さんです。

 岡山生まれの大内さんは大学を卒業後、東京の大手不動産会社に勤務し、30歳を目前にして宮崎県都城市に移住しました。移住を考え始めたのは、就職して1年後に起こった東日本大震災がきっかけでした。

 「あっという間に店頭から食べ物が消えて、お金があっても買えない状況になりました。当時は家に災害用の備蓄もなかったので、数日食べずに過ごしました。この経験をきっかけに、農作物をつくれる人はすごい、自分も地方で野菜をつくる自給自足の生活ができないか、と考えるようになりました」

 ただ、不動産会社での仕事は楽しく、あっという間に7年が経過。30歳を目前にしてようやく地方移住を決断します。

 「仕事はやりがいがあり、同僚や上司ともいい関係を築いていました。今移住しなければ、ずっと東京でサラリーマンをすることになるだろうと思い、チャレンジを決めたんです」

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