「星の駅たかざき」は、都城市に編入された旧高崎町(たかざきちょう)が1994年に創業した町の直売所です。当時は「高崎町農産加工センター」という名称でした。2006年の市町村合併以降は、高崎町農産加工センター事業協同組合が指定運営管理者となってセンターを経営してきました。
しかし、組合員の高齢化によって存続が危ぶまれたことから、センターは第三者事業承継を決断。承継したのは、2020年8月まで、都城市地域おこし協力隊員を務めていた大内康勢さんです。
岡山生まれの大内さんは大学を卒業後、東京の大手不動産会社に勤務し、30歳を目前にして宮崎県都城市に移住しました。移住を考え始めたのは、就職して1年後に起こった東日本大震災がきっかけでした。
「あっという間に店頭から食べ物が消えて、お金があっても買えない状況になりました。当時は家に災害用の備蓄もなかったので、数日食べずに過ごしました。この経験をきっかけに、農作物をつくれる人はすごい、自分も地方で野菜をつくる自給自足の生活ができないか、と考えるようになりました」
「仕事はやりがいがあり、同僚や上司ともいい関係を築いていました。今移住しなければ、ずっと東京でサラリーマンをすることになるだろうと思い、チャレンジを決めたんです」
移住先の候補は、地元の岡山と母親の実家がある宮崎でした。悩んだ末、食べることが大好きな大内さんは、フルーツだけでなく肉や野菜などの特産品でも有名な宮崎を選びます。食に関わる仕事をしたい、と探して見つけたのが、直売所の活性化を担当する都城市の地域おこし協力隊員の募集でした。
「もったいない」椎茸の軸をパウダー化
2017年9月、大内さんは地域おこし協力隊員として働き始めました。任期は3年。高崎町農産加工センターを含めた複数の直売所の商品開発、経営改善、集客、イベントが市から与えられたミッションです。「経営や食に関しては素人」という大内さんは、消費者目線で問題点を挙げ、改善策を提案していきました。
たとえば、高崎町農産加工センターでは頻繁に在庫切れが起こっていました。また、商品の陳列が乱雑で、お客さんが買いたいと思える売り場づくりができていないという問題もありました。
「商品の欠品が続くとお客様は来なくなってしまいます。当たり前のことですが、商品を切らさないようにたくさん製造すること、丁寧に陳列をすることなどをアドバイスしたところ、売上の向上につながりました」
20ほどの商品開発も行いました。最初に開発したのは椎茸の軸をパウダーにした商品です。椎茸農家で「軸は商品にならないから捨てるしかないのよ」と聞いたのがきっかけでした。
「テレビ番組で、椎茸の軸にも栄養があると知りました。そこで捨てるのはもったいないと思って商品化したんです。主張しすぎない味なので味噌汁や野菜炒めなどの料理のほか、お茶にも入れることができます」
独自イベントの企画・開催、集客にも力を入れました。結婚を機に北海道から高崎町に来た近隣の高齢女性にふるさとの味を届けたい、と企画した北海道フェアでは、大内さんが北海道まで商品を仕入れに行って販売。1日の店舗売上で過去最高を記録しました。折り込みチラシを入れたり、ラジオやテレビでの宣伝をしたりと集客の工夫もしました。
「お客さんが喜んでくれるのでやりがいがありましたし、食の仕事に関われている充実感がありました。自分の支援のスタイルに反対の人がいなかったわけではありませんが、イベントをするうちに地域に応援してくれる人が増えて、ありがたかったです」
「継いでくれませんか」理事長からの打診
地域おこし協力隊員の任期が終わりに近づいた2020年春、大内さんは高崎町農産加工センター事業協同組合の坂元順子(さかもと・よりこ)理事長から、高崎町農産加工センターの事業承継を打診されます。
「ある日、センターの畳の部屋に呼ばれて、後を継いでもらえないかと言われました。その場では返事できなかった私を見て、『無理にとは言わないから』と気遣ってくださったのを覚えています」
当時、坂元理事長は82歳。体力的に限界で、若い人に引き継ぎたいと考えていたのです。高崎町が都城市に編入された2006年には30人以上いた組合員も、2020年には11人となり、平均年齢は76歳に達していました。
自分に経営できるのかと不安に思った大内さんでしたが、センターの商品には、地域の女性たちの家庭の味を商品化したものが多数ありました。
「事業承継しなければ、高齢化によって近い将来センターが閉業して地元の味は失われるだろう。人気商品をなくすわけにはいかない」──。そう考えた大内さんは事業承継を決断。数日後に理事長に報告しました。
「とても喜んでくださいました。理事長からは『私は引退するから、好きなようにやってね』と言われ、きちんと商品を守っていきます、とお伝えしました」
じつは、大内さんは2019年にROPESという会社を設立していました。
「ロープのように伝統と今をつなぎ、地域を束ね、次世代につなげる存在になりたい」との思いから、地域の食品加工業の事業承継を目的として他自治体の地域おこし協力隊員とともに創業。すでに宮崎県高千穂町の漬物屋を承継した経験があったのです。
漬物屋の承継では、大内さんは交渉終盤になって事業承継の条件の見直しを余儀なくされるトラブルに見舞われました。そのため、高崎町農産加工センターとの交渉では条件を慎重に詰めていきました。理事長が意見の異なる組合員も含めて説得してくれたおかげで話し合いはスムーズに進み、条件面で揉めることはありませんでした。
事業承継の交渉と並行して、大内さんは当時在籍していた20代の従業員とともに現存する商品のレシピと製造を組合員から習うこともしました。
「従業員に給料を払えない」承継後に気づいた課題
2020年9月末、大内さんと高崎町農産加工センター事業協同組合は第三者承継の契約を結びました。大内さんは10月1日に高崎町農産加工センターを「星の駅たかざき」と改称し、経営を始めます。
道の駅のように人が集まる施設にしたいという思いと、高崎町が旧環境庁主催のコンテストで「日本一星空の美しい町」に7年連続で選ばれたことから付けた名前です。
順調に船出したかに見えた星の駅たかざきでしたが、「ここからが大変でした」と大内さんは当時を振り返ります。
「承継後、それぞれの商品にどれだけの材料費と時間をかけて製造しているかを旧高崎町農産加工センター事業協同組合の各組合員にヒアリングしました。すると、人件費が商品価格に一切乗せられていないことがわかったんです」
組合自体の財務状況はそう悪くはなかったのですが、実際には、各組合員は人件費を考えずに商品づくりをしていたことになります。
「商品を製造すればするほど赤字が増える状態で、これでは従業員に給料を払えない、と青くなりました。自分の感覚に頼って人に聞いたり相談したりせずに事業承継を進めたため、独立した事業者の集まりである事業協同組合の特殊性を理解できていませんでした。自分の経験の浅さが招いたことです」
そこで大内さんは人件費分をまかなうべく、事業承継後にほぼすべての商品の値上げを決めます。たとえば、当時350円(税込)で販売していたにんじんドレッシングは500円(税込)へと大幅値上げしました。販売数が減り、売上も下がりましたが、採算は取れるようになりました。
さらに、材料の仕入れの見直しにも着手します。承継前、材料の調味料が切れたら組合員が近所のスーパーに買いに行っていたそうですが、それでは材料費がかなり割高になってしまいます。大内さんは1つひとつの商品の原価をチェックし、材料は仕入れ先からから業務用を安く大量に購入することを徹底しています。
コロナ禍でも「攻めの姿勢」 外販とOEMを開始
事業承継時、すでに世間はコロナ禍に入っていました。承継した当初の売上は好調でしたが、2021年春ごろから星の駅たかざきの売上は下がり始めます。政府の休業要請も影響して、星の駅たかざきの店舗売上は一時、コロナ前の4割ほどにまで落ち込みました。
そこで大内さんは外販に乗り出しました。催事に出店してドレッシングなどの人気商品のほか、都城市が市を挙げて推しているメンチカツの販売も始めます。
「承継直後は、店舗をいかに盛り上げるかを考えていました。しかしコロナ禍の損失が大きくなるにつれ、店舗で待っていてはいけない、人がたくさんいるところに行って売らなければと考えるようになりました。待ちの姿勢から攻めの姿勢に転換したんです」
地域の人口減少も、大内さんが“攻めの姿勢”に転じた理由の1つです。旧高崎町エリアは、都城市と合併した4町の中でももっとも人口減少が激しい地域です。2005年に10726人だった人口は、今は7497人となっています(2024年5月現在)。
外販に加えて、大内さんはドレッシングとメンチカツのOEMも開始します。
2024年3月にメンチカツのタネの計量と簡易成形ができる機械を導入し、生産能力を強化。これまでの3分の2の労力で生産できるようにしました。
2024年3月現在、売上は少しずつ戻っていますが、コロナ前と比較すればまだ店舗売上は6割前後で推移しています。2024年3月の星の駅たかざき店舗売上は前年同月比約マイナス100万円となりましたが、外販がその損失を補って余りある売上を上げており、ROPESとしては黒字です。
「今いるスタッフに店舗と製造は任せられるので、安心して外販に行くことができています。ただ、外販に出られるのは私1人だけ。年間15回以上の県内外で外販をしていますから、これ以上回数を増やすのは難しい。人を採用できるまでは、商品の卸先を増やすことでさらに売上を伸ばしていくつもりです」
「平日に市外から人を呼ぶのは難しくても」
星の駅たかざきの目下の課題は、人手不足の解消です。2024年5月現在、スタッフは社員1人、パート・アルバイト7人の計8人。外販や卸先の開拓をしても、販売する商品が足りなければ売上につなげることができない、と大内さんは頭を悩ませています。
「星の駅たかざきまでは都城市の中心部からでも車で30〜40分かかるため、採用には本当に苦労しています。できれば製造で2、3人、外販もできる営業を1人、店舗で1人を採用したいのですが、有効な打ち手がなかなか見出せません」
事業承継時に11人いた元組合員で、現在残っているのは3人だけです。
「高齢の方が多く、悲しいことに亡くなった方、病気で働くのが難しくなった方がいらっしゃいます。事業承継の直後に組合員が入院して、レシピを引き継ぐのが間に合わなかった商品もありました。レシピの引き継ぎと事業承継のタイミングとしてはギリギリだったと思います」
ただ、星の駅たかざきの承継前と比較するとROPESの売上は20倍以上に成長しています。今後は星の駅たかざきの稼ぎ頭であるドレッシングとメンチカツのほか、もう1つの売上の柱となる商品をつくり、3本柱で店舗を盛り立てていく考えです。
「平日に都城市外から人を呼ぶのは難しくても、土日祝日には遠くからわざわざ訪ねてもらえるような商品を開発したいですね。店舗はコロナ前の売上に戻すのが当面の目標です」
今は3品しか掲載していませんが、ECにも力を入れていきたいと考えています。
「ROPESとしては、これからも第三者承継のお話があれば検討していきたいと考えています。3〜5年かけて現在の売上を2倍にするのが目標です」
第三者承継の鍵は条件のとりまとめ
最後に、第三者承継の魅力を尋ねました。「難しいと思われていますが、メリットはいろいろあると思います」と大内さんは力を込めます。
「第三者承継は譲渡側と譲受け側、双方が納得のいく条件をまとめることさえできればそれほど難しいものではないと思っています。事業を始めるハードルは起業より低いですし、親族内承継にありがちな親子げんかもありません。ただ、星の駅たかざきのケースでは表に現れている財務状況以外の隠れた経営課題を事前にしっかり調べなかったのが失敗でした。第三者承継で事業を譲り受けたいと考える人は、まずは経験者に承継の際のポイントを聞いたり、相談したりすることをおすすめします」