目次

  1. 学生ビジネスコンテストで優勝
  2. ゲーム広告制作で得たもの
  3. 工場や飛び込み営業で修業
  4. 乏しかった社外との交流
  5. SNSの反応を販促に生かす
  6. SNSのリサーチを習慣化
  7. コラボの裏に「ストーリー」
  8. 折れないための「源泉」は

 タマノイ酢は1907年、大阪造酢として創業しました。1963年に世界で初めてお酢の粉末化に成功し「すしのこ」を発売。1996年から、薄めずに飲む黒酢をコンセプトに「はちみつ黒酢ダイエット」を売りだし、いずれもロングセラーとして全国の店頭に並んでいます。従業員数は250人です。

タマノイ酢の本社は豊臣秀吉が治世する1590年ごろから、造酢業者が集まっていた堺市にあります

 播野さんが子どものころ、商品ができるたびに父・勤さんが持ち帰り、自宅には常に新商品がありました。家族間で自然と試食会になり、新商品の動向や次の展開、売れ行きなどに触れました。

 勤さんが5代目社長に就任したのもそのころです。播野さんは母から「大人になったら手伝えるように」と言われましたが、父から後を継ぐよう言われたことはありませんでした。

 小学校で将来の夢を問われ、播野さんは父に初めて「僕は将来社長になるの?」と尋ねます。返ってきたのは「小学校にはスポーツが得意な人、音楽が得意な人、いろんな人がいる。経営もそれと同じで向き不向きがある」という答えでした。

 播野さんは学校でもリーダー役を買って出るようになり、大学時代にはゼミの仲間と大学対抗のビジネスコンテストに参加して、2年連続優勝を果たします。

 コンテストで取り組んだテーマは、地域活性化やマイナースポーツをどうはやらせるかというものでした。播野さんは日の目を見ない商品やサービスを伝える仕事に面白みを感じるようになります。

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