目次

  1. 食卓が経営会議の場だった
  2. 立地や価格を見誤り店舗撤退
  3. トライ&エラーで出店地を見極め
  4. コロナ禍で浮かんだ経営課題
  5. サンリオの人気投票とコラボ
  6. フルーツを嗜好品から必需品に

 青木商店は1924年、初代・青木松吉さんが郡山駅前で輸入バナナの加工・卸問屋を開業したのがはじまりです。当時、栄養価の高いバナナは希少で、青木商店は大きく需要を伸ばします。

 バナナの消費量増大に伴い、1964年には本社ビルを新設。そのほかのフルーツの取り扱いも充実させ、専門小売業としての地位を確立しました。

郡山駅前に開業したバナナ問屋(青木商店提供)
郡山駅前に開業したバナナ問屋(青木商店提供)

 1983年、長男として生まれた青木さん。子どものころは郡山駅前の店の2階が自宅で、商売が日常に溶け込んでいました。「食卓を囲めば父や母、祖父母が仕事の話をしていて、いま振り返ると経営会議のような場でしたね」

 子ども時代から自然と店を継ぐことを意識したという青木さんは、高校から郡山を離れて寮生活を送り、大学へ進学。その間に、青木商店は卸売業からBtoCビジネスへと転換し拡大していきました。2000年代に入るとギフト中心の販売形態となり、2002年にはフルーツジュース専門店「フルーツバーAOKI」 をオープン。県内百貨店への出店をかわきりに、全国のショッピングモールへ展開していきました。

 「大学生のときに会社が変革期であることを感じましたね。フルーツバーやカフェのオープン時にはよく手伝いに駆り出されていました」

 大学卒業後は、東京・新宿の高級フルーツ店に就職し、3年間みっちりフルーツの品種や産地、熟度の見極め方を体にたたき込みました。

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