青木商店は1924年、初代・青木松吉さんが郡山駅前で輸入バナナの加工・卸問屋を開業したのがはじまりです。当時、栄養価の高いバナナは希少で、青木商店は大きく需要を伸ばします。
1983年、長男として生まれた青木さん。子どものころは郡山駅前の店の2階が自宅で、商売が日常に溶け込んでいました。「食卓を囲めば父や母、祖父母が仕事の話をしていて、いま振り返ると経営会議のような場でしたね」
子ども時代から自然と店を継ぐことを意識したという青木さんは、高校から郡山を離れて寮生活を送り、大学へ進学。その間に、青木商店は卸売業からBtoCビジネスへと転換し拡大していきました。2000年代に入るとギフト中心の販売形態となり、2002年にはフルーツジュース専門店「フルーツバーAOKI」 をオープン。県内百貨店への出店をかわきりに、全国のショッピングモールへ展開していきました。
立地や価格を見誤り店舗撤退
青木さんは2009年、家業に入社。最初に任されたのは、2004年から始めていたフルーツタルト事業を軌道に乗せることでした。
フルーツタルトは発売当初、朝作った商品が午前中のうちになくなるほどのヒット商品でした。しかし、それは一過性のもので、その後は売り上げが低迷。カフェを併設して他のメニューと一緒に売り上げることで、なんとか採算を合わせてきました。
「今でも苦戦していますよ」と青木さんが険しい顔をするほど、フルーツタルトは原価が高く、製造に手間がかかるスイーツだといいます。
青木商店のフルーツタルトは、フルーツ本来のおいしさを引き立たせるため、甘み・酸味に合わせて生地とクリームを使い分けており、旬のフルーツがもっともおいしい産地、品種を見極めて製造しています。青木さんは「このこだわりと品質を落としてはいけない」と考え、原価も手間も削らずに売り上げを伸ばす方法を模索しました。
青木さんが肝だと考えたのが、タルトを販売する店舗の立地です。当時、フルーツジュース専門店「フルーツバーAOKI」は、数年間は鳴かず飛ばずの業績でしたが、郊外のショッピングモールという出店場所がはまり、全国に拡大していきました。
青木さんはその成功体験を背景に、フルーツタルトの店もショッピングモール内に出店しました。しかし、思うようにはいかなかったと言います。
「ショッピングモールで1日過ごしたご家族が、帰りがけに家族分のフルーツタルトを購入しようとはなかなか思わないですよね。場所や価格、テイクアウトのニーズが完全にずれていたんです」
モールに出店をした8店舗はすべて撤退。「数年間は出口の見えない暗闇のような期間でした」と振り返ります。
トライ&エラーで出店地を見極め
光が見えはじめたのが2015年。茨城県つくば市の郊外にオープンしたフルーツタルト&カフェの路面店の売り上げが好調で県内店の1.2倍を記録し、初の成功となりました。
交通量の多いロードサイドに、広めの駐車場を併設した独立の店舗を構えたことで、幅広い客層を取り込むことができ、ランチやカフェ需要に加え、高価格帯のタルトや贈答用のフルーツが立地にハマったのです。
「トライ&エラーを重ね、ようやく出店場所の見極めができるようになってきたのはこのころです。ロードサイドへの出店は投資が大きいので徐々にではありますが、県内を中心に展開していきました」
さらにブレークスルーは続きます。首都圏の駅構内にフルーツタルトのテイクアウトショップを出店すると、数年で年商1億円を突破しました。「ある程度の通行量があり目立つ場所であれば、関東でもやれるという自信につながりました」
現在、横浜市に出店したカフェは行列が絶えず、東京駅や新宿駅構内のテイクアウトショップも好調をキープしています。
コロナ禍で浮かんだ経営課題
2018年、青木さんは青木商店の4代目社長に就任しました。
就任後、業績がようやく安定してきた矢先、新型コロナウイルスの感染が拡大。全国のショッピングモールに展開したフルーツジュース専門店の売り上げは軒並み減少し、「2020年は相当厳しかった」と振り返ります。
コロナ禍の中で、売り上げを伸ばしたのはフルーツタルトのテイクアウトでした。「ちょっとぜいたくなスイーツ」が巣ごもり需要にマッチしたのです。
しかし、物理的なコミュニケーションが極端に制限される状況は、経営課題を浮き彫りにしました。
「それまでは売り上げ予測をベテランの勘に頼ることが多く、マネジャーが全国を飛び回って各店舗に直接アドバイスをしていたんです。しかし、人の往来ができなくなったことで、コミュニケーションが希薄になり、マネジメントにおける効率性の課題が浮かび上がってきました」
そこで青木さんは社内のDXを推進します。課題だったコミュニケーションを円滑にするために、正社員から各店舗のパート・アルバイトスタッフまでおよそ2400人がビジネスチャットを活用。店舗スタッフ間でシフトの共有を行ったり、本部から店舗へ情報を流したりと、業務コミュニケーションがスムーズにして組織を活性化させました。
これまで勘や経験に頼ってきた部分をデータで可視化。売り上げを予想し、フードロスの削減やスタッフのシフト調整、発注や在庫管理など、ITを活用した攻めの販促を目指しています。
「とはいえ、2年かけてようやくインフラを整えるところまで来たという感じです。1年後にはデータドリブン経営ができることを目標にDXを推進しています」
「今までの成長戦略は店舗展開や新規出店、採用や従業員教育を柱としていたため、正直、IT投資が遅れていました。DX・ITに投資することで事業予測ができ、もっと面白いことが仕掛けられるようになるし、最終的には顧客満足につながると思います」
サンリオの人気投票とコラボ
同じ時期から広報も強化しました。2020年にブランド広報部を立ち上げ、新商品のプレスリリースをはじめ、社内外への発信を行っています。
2022年からは期間限定で、サンリオの人気投票イベント「サンリオキャラクター大賞」とのコラボ企画を実施。キャラクターをイメージしたコラボジュースを購入することで投票シール1枚と引き換えできたり、購入特典として限定コースターをプレゼントしたりと、今までにない試みにも挑んでいます。フルーツジュース購入の客層と、サンリオファンの親和性が高く、新規顧客の獲得にもつながりました。
100周年を迎えた2024年は特設サイトを開き、青木商店の歴史を写真とともに振り返りながら、高級フルーツが当たるキャンペーンなどを展開しています。
「今まで注力してこなかった広報力を強化した効果は大きいと感じています。リリースを出すことでメディアに取り上げてもらえますし、企業の認知度を向上することでブランドの信頼性を高めることができます。100年の歴史をまとめた記念誌も制作中です」
フルーツを嗜好品から必需品に
青木商店は2023年に年商100億円を突破し、全国に201店舗、従業員2350人(2024年6月現在)を抱える企業へと成長しました。
「今までの会社の成長は父の手腕が大きく、自分はまだまだ貢献できていると言えませんが、曽祖父から受け継ぐ『おいしいフルーツを世に広めたい』という思いは変わりません」
「日本人は海外に比べてフルーツの摂取量が極端に低く、昨今の価格高騰でさらにフルーツ離れが進んでいます。健康によいフルーツを、手軽に多くの方に食べていただけるよう、まだまだ努力を重ねるつもりです」
フルーツを嗜好品から必需品にするべく、青木さんが見据える未来は、想像よりもずっと先にありました。
「今はまだ全国200店舗しかありません。10年後には売り上げ300億を目指し、既存店舗のさらなる拡大と、お客様により手軽にフルーツをお届けできる新規事業の開発を進めていきます」